第八話. 食堂での騒乱(三)
時が動き出したように、ざわざわと周囲が騒ぎ出す。
周囲の注目を集めているのは、わたしと、目の前の少女――ドミニクだった。
じくじくと痛む頭部を抑える。
――訳が分からない。
ここまでむき出しの憎悪に晒されることは、この世界に目覚めてから一度もなかったことだった。
グラスをぶつけられたことよりも、目の前の少女から憎しみを浴びせられていることの方が、わたしにとっては不可解過ぎた。
「――おい、これは何の騒ぎだ!」
その時、怒号として響いたのは、野太い声だった。
人込みをかき分けて割って入ってきたのは、冥府の獄卒を連想させるほどの強面をした、精悍な男だった。いかにも武人然とした佇まいであり、がっしりとした巨躯も合わさって、まさに歴戦の勇士に相応しい貫禄を備えている。
「マ、マルスバーグ殿!」
やってきた男の顔を見るなり、フリデールさんや周囲の騎士たちから露骨に狼狽の様子が見て取れる。
「――おい、『金剛』だぜ」
「南方の視察に出ていたって話だけど、本部に戻っていたのか――」
などといったヒソヒソ声が聞こえた。
マルスバーグと呼ばれた男は、そんな周囲をじろりとねめつける。
すると、すぐさま周囲はひっと息を飲んで佇まいを直した。
「――これは、どういう状況だ!? その者は誰だ、どうして怪我をしている!? 説明しろ、フリデール・オリアン!」
恫喝するような男の声。
並の人間ならば、それだけで竦み上がるほどの響きを含んでいた。
「それはっ――」
フリデールさんが言い淀む。
流石に自分の部下がしでかしたことを報告するのは躊躇われるのか、目を伏せて沈黙する。
そこに――
「……私が彼女にグラスをぶつけました」
ドミニクが潔く、自身の罪を認めたのだった。
マルスバーグと呼ばれた男は、そのように告白した少女へと視線を向ける。
彼女は兄とは違い、睨まれようと表情は澄ましたままだった。
そこには、どんな罰だろうと甘んじて受けようとする気概が窺えた。
――ドミニクの表情に反省の色はない。
罪は認めるが、自分のやったことは当然だ、といわんばかりであった。
「本当なのか? フリデール・オリアン」
「し、しかし、これには深い事情が――」
フリデールさんはなおも食い下がる。
一方でドミニクは、淡々とした口調で続けた。
「彼女の名前はテイル。本日、この本部へとやってきた異世界転生者です」
ドミニクの簡潔な説明に対し、マルスバーグと呼ばれた男は、
「……そうか、事情は察した」
鷹揚に頷いた。
――その声には、僅かな同情の響きすら感じ取れたのだった。
一度沈黙を置いたが、男はなおも激語する。
「だが、これは非常に問題のある行動だ。その者は客人として『セフィラの盾』に招いたはず。このような仕打ちを行うことは軍規にも反することだ。そのことは貴様とて理解しているはずであろう」
断罪するような声だった。
そこにフリデールさんが吼えた。
「お、お待ちください! 今回の事は部下を止められなかった隊長である私の責任です! どうか――どうか、ドミニクには寛大な処置を――」
そこには、先ほどまでのチャランポランな雰囲気とは打って変わり、妹でもあり部下でもあるドミニクを必死で庇う上官の姿がそこにあった。
見下ろすような男の視線に、フリデールさんは真っ向から対峙する。
しばし、そうして緊張に包まれた空気の中にいたが――
「……追って、今回の処罰は伝える。フリデール・オリアン、ドミニク・オリアンを下がらせろ。ドミニク・オリアンは自室で謹慎しているがいい」
「――はっ、了解しました。ドミニク、行こう……」
兄に連れられて、ドミニクは食堂から退出しようとする。
「あの……」
わたしは手を伸ばして、去っていこうとする彼女たちに呼びかける。
フリデールさんは一度だけ振り返り、
「……今回の事は、いずれ時間があるときに弁明させてほしい。貴女とはこんな出会いとなってしまって残念だが――妹がすまなかった……」
ぺこりと、小さく頭を垂れた。
そしてドミニクは――わたしを見向きもしなかった。
最後までわたしを無視したまま、食堂から姿を消す。
わたしは呆然として、それを見送ることしかできなかった。
そうして、周囲には再び喧騒が蘇る。
取り残されたわたしの目の前に、マルスバーグと呼ばれた男が立つ。
「――――」
聳え立つようなその威容を前にして、わたしは緊張に固唾を飲む。
すごいプレッシャーだった。おそらく、この者と対峙して睨まれただけで、並の者ならば呼吸すら難しくなるだろう。そう考えると、先ほどのフリデールさんは大した度胸を見せたのではあるまいか。
まるで猛獣と対峙しているような威圧感から、わたしは生物としての本能で察することができた。
(この人……強い!)
目の前の男は、戦士として途方もない程の実力を秘めていることが伺える。
男はわたしに対し、静かに言葉を投げかけた。
「……貴殿の事は聞いている。今回の事はこちらの無礼をお詫びする。『セフィラの盾』は組織としては新しいために、比較的若い連中が多い。血の気の多いやつが迷惑をかけた」
そうして周囲にいる衆目に対して振り返る。
「用のないものは今すぐに去れ! この場は見世物ではない!」
怒鳴りつけ、周囲の規律を正していく。
その後ろ姿を、わたしは呆気に取られて見送った。
「あの人は……」
「マルスバーグ・クトゥ・ヴォルザー。『セフィラの盾』の第三騎士隊の隊長を務める人物だ」
わたしの疑問に、後ろからゲルトルートさんが応えてくれた。
「ということは、サイネリアさんや、先ほどのフリデールって人と同じく隊長の人ですか?」
「いいや。サイネリア隊長よりもよっぽど立場は上だ。三年前の帝国侵攻の際に、獅子奮迅の活躍をした英雄将軍。通称『金剛のマルスバーグ』。グレイズ総帥を除けば、『セフィラの盾』の実質ナンバー3と目される人物だよ」
「テイル――! そんなことよりも傷が……すぐに治療しないと!」
シルフィは蒼白の面持ちで、わたしのことを心配している。
そう呼びかけられて、今頃になって、自分が怪我をしていたことを思い出した。
流血している頭部に触れると、自分でも驚くほど大きく腫れていた。
触れた途端、強い痛みが襲い掛かってくる。けれど自分にとっては――先ほどのドミニクから浴びせられた憎しみの方が、よほど心に重い傷を残していた。
「どうして……」
わたしが悲しみに目を伏せると、マクシミリアンさんがそっと声をかけた。
「……以前、聞いたことがあります」
マクシミリアンさんは、滔々と説明を続けた。
「オリアン家のドミニクは、一時期、教育のために西方大陸南部の家に預けられていたらしいのです。ところが、三年前の帝国侵攻の際に戦火に巻き込まれ、彼女の祖父や祖母、そして、友人たちも異世界転生者に殺されたとか――」
わたしはハッとして顔を上げた。
ようするに、彼女――ドミニクは、愛する人々を異世界転生者に奪われたのだ。
だからこそ、わたしが異世界転生者であることを知って、あそこまで怒りを露にしたのだった。
「――――」
わたしは、浴場で聞いたサイネリアさんの言葉を思い出していた。
『セフィラの盾』に所属するものの多くが、異世界転生者に対して複雑な感情を抱いている――つまりは、そういうことだったのだ。




