第四話. 宿舎へとやってきた(一)
ことん、とカップが置かれる。
それを合図に、お茶会はお開きとなった。
「すっかり長話となってしまったな。付き合わせて悪かったのぅ」
「いえ、大丈夫です」
グレイズ総帥は、テーブルから立ち上がると、ゆるゆると窓際に移動する。
その際、思い出したように呟いた。
「しかし狐か……。たとえが悪いが、まるで玉藻前のようじゃの」
「それってたしか……白面金毛九尾の狐、でしたっけ?」
「そうじゃ。平安時代、絶世の美女と謳われ、国を滅ぼしかけた狐の妖怪。まさに傾国の美女たる魔性じゃよ」
と、そこで一度言葉を切り、
「案外、おぬしの前世はその玉藻前かもしれぬな」
「ご冗談を。それは平安時代の存在でしょう? わたしには現代の知識がありますし。第一、さすがに自分はそんな大層なものじゃないと思いますけど……」
すると、グレイズ総帥はじっとわたしを見つめてきた。
「あくまで老婆心から言うのじゃが……おぬしは、もう少し自分が他人からどのように見られておるか自覚した方がよいじゃろうて」
「はあ……」
「伝説の妖狐よろしくバケモノ扱いされるのは、おぬしだって御免じゃろう?」
そう言ってグレイズ総帥は、再び執務机に腰を掛けた。
「とりあえず当面じゃが、おぬしに護衛の騎士を付けよう。分らぬことがあれば、そいつを頼ればよい」
「ありがとうございます」
「本来ならばこの場で紹介するつもりだったのじゃが……まったく、クリスのやつ、どこをほっつきあるいているのだか……」
*
「あ、テイル――」
待合室に戻ると、シルフィが待ちわびたように立ち上がった。
「どんな話でしたか?」
「うん、とりあえず、しばらくはこの修道院でゆっくりしていていいって。宿舎に部屋を用意してもらっているから、そっちに行こう」
そうしてシルフィと二人で建物を出る。
グレイズ総帥に教えてもらった通りに進むと、女性宿舎があった。
先ほどの建物に比べたらこぢんまりとした佇まいであるが、築年数は新しいらしく、清潔感に溢れた白亜の外装で、どことなく華やかであった。
「ここでしょうか……?」
「多分ね。他にそれらしい建物なんてないし」
自信なさげに呟くシルフィに対し、わたしは泰然と頷く。
正面の入り口から入ると、ロビーには誰もいなかった。
「すみませーん」
わたしは奥に呼びかけると、パタパタと小さな人影が現れた。
「こんにちわー。いったいどちらさまですか?」
出迎えたのは、小さな女の子だった。
いかにも宿屋のおかみさんらしい服装であるが、年齢は十歳に届くかどうかの、フワフワの金髪が眩い、ぎゅっと抱きしめたいくらいあどけない少女である。
いや、でもこの子よく見たら――
「あ、耳……」
わたしは思わず呟いた。
その女の子は、耳が尖っていたのである。
この人――エルフだ。
「そりゃ耳が尖っていますよ。わたし、エルフですもの。こう見えて、あなたよりはずっと年上ですよ。それにあなただって、頭に耳があるじゃないですか」
ロリエルフさんは、わたしの呟きに対して耳ざとく反応する。
年上ということもあり、わたしはさっと態度を改めた。
「すみません、失礼しました。あの、今日からこちらでお世話になるテイルです。グレイズ総帥にいわれてこちらに来たんですが……」
「ああー、はいはい、あなたがテイルさんですね。お連れの方は、シルフィさん」
エルフの少女は、ポンと手を叩いた。
「わたしはここの宿舎で管理人をやっております、エリーシャです。話は伺っておりますよー。どうぞこちらに」
エリーシャさんに導かれて、わたしは宿舎の階段を上る。
女性宿舎は三階建ての構成となっており、ざっと見た感じでも一フロアに付き、部屋数は十以上もあった。
わたしが案内されたのは二階の隅にある小部屋だった。
「まずはテイルさん、こちらのお部屋にどうぞ」
エリーシャさんに促され、部屋の扉を開ける。
「わぁ……」
わたしは思わず陶然としたため息を漏らした。
広さで言えば、わたしのいた世界でいうところの、ちょっとしたホテルのシングルルームくらいはあるだろう。
ベッドに机、タンスにクローゼットといった、生活に必要な家具は一通り揃っていた。
調度品こそ少ないが、壁紙は品のいいものを選んでおり、木製の床と合わさって非常に落ち着いた空間を作り上げている。
日当たりも良好で、窓からは柔らかい陽光が部屋を暖色に染め上げていた。
「どうですか? 気に入りました?」
「はい! ありがとうございます!」
わたしはエリーシャさんに感佩の言葉を述べた。
これからこの部屋での生活が始まると思うと、ワクワクが止まらなかった。
「鍵はこちらになります。あとでシルフィさんも部屋にお連れしますね?」
「え、二人一緒じゃないんですか?」
「はい、別室を用意するように伺っておりますが」
なんと贅沢なことに、わたしとシルフィにそれぞれ個室を用意してくれたのだ。
ハッキリ言って、これはかなりの好待遇ではなかろうか。
若干恐縮するわたしに対し、エリーシャさんは微笑みつつ、思い出したように言った。
「――あ、そうだ! この宿舎には大浴場がありますので、よかったらお二人とも、夕ご飯までに行ってきてはどうですか?」
*
宿舎の浴場は非常に大きなものだった。
時間的にまだ日が高いせいか、他に人影は見当たらない。そのため、より一層広々と感じられる。
「わあ、すごい! わたし、こんな大きなお風呂は初めてです!」
シルフィの感嘆の声が、大浴場の壁に反響する。
バスタオル一枚となったシルフィが、たっ、と小走りで入った。
「シルフィ、そんなに走ると――」
案の定、すってんころりん、と足を滑らせて、シルフィは盛大に尻餅をつく。
「ああ、お約束……」
「いたたた……。えへへ、すみません。少しはしゃぎ過ぎちゃいました」
転んだ拍子にバスタオルがはだけて、あられもない姿となる。
シルフィは恥ずかしそうに前を隠した。
早速湯船に入ろうとするシルフィに、わたしは呼び止める。
「あ、待ってシルフィ」
「はい?」
「湯に入る前に身体を洗わないと」
「え、そうなんですか?」
不思議そうに小首を傾げるシルフィ。
そこでハテナ、とわたしも疑問に思う。
そもそもこういった異世界における公衆浴場のマナーは、今一つ勝手が分からないのだった。
でもまあ、ガンジス川じゃあるまいし、いきなり湯船に入って湯を汚すのもよくないと思い、わたしは提案する。
「ええと……。わたしのいた世界――というか、わたしのいた国だとね、こういう公衆浴場だと、まず身体を洗ってから湯に入るのがマナーなのよ」
「へえ……そうなんですね。さすがテイル、物知りですね」
こんなことで博識と思われてもなぁと思いつつも、わたしたちはまず洗い場に移動する。
見れば、洗い場には何やら液体を含んだボトルが備え付けらえていた。
「これって……」
「それ、身体を洗うためのポーションですよ。こんなものまであるんですね」
さすがは神官であると同時に魔法薬の専門家のシルフィ。一目でボトルの中身を見抜いたようだった。
「勝手に使っていいのかしら……これ」
「ええと、どうなんでしょうか……。あ、でも備品って書いていますよ」
そういうことなら、と思って、わたしはボトルの中身を出した。
そもそも、この世界に石鹸とかシャンプーといった上等なものがあるのか疑問だったために、こうした洗剤は素直に有難かったのだ。
適量が分からないので、なんとなく掌に取り出す。
擦り合わせると、すさまじいまでの泡がでた。
「うわ、凄い……!」
まるでヒツジもかくやという風にモコモコの状態になる。
くすくすとシルフィが笑った。
「もう、テイルったら、出し過ぎですよ……。あ、そうだ! よかったら、背中をお流ししますね」
そういって、シルフィに背中を洗ってもらうこととなった。
シルフィに背中を向けて座ると、彼女の小さな手がそっとわたしに触れる。
「ひゃっ……」
なぞるような手つきに、わたしは思わず声を上げた。
耳も尻尾もびくりとしてピンと伸ばされる。
わたしの声に、シルフィも驚いて手を止めていた。
「ごめん……ちょっと驚いた。うん、続けて……」
もしもこれがゴルゴ13なら『俺の背後に立つんじゃねぇ』となっていただろう。
そうしてシルフィはたどたどしい手つきで、わたしの背中を洗い始めた。
いざ始まると、そのあまりの心地よさにうっとりとした気持ちとなる。
シルフィの優しい手つきが、わたしの背中を丁寧に擦っているのだった。まるでマッサージを受けているような多幸感に包まれる。
シルフィは「うんしょ、うんしょ」と一心不乱にわたしの背中を洗っていた。背骨のあたりが、甘だるく溶けそうなほど気持ちよかった。
「テイルの身体、本当にスタイルよくて羨ましいです……」
ふと、シルフィがそんな風にぽつりと呟く。
背後のシルフィを見れば、まるでお菓子を目の前にした子供のように、物欲しそうな目でわたしの身体を見ていた。
「うーん、そこまで言うほどかしら……」
「そうですよ。ハッキリ言って、罪作りです」
憮然と断言するシルフィに対し、わたしは先刻グレイズ総帥から言われたことを思い出していた。
――自分が他人からどのように見られておるか自覚した方がよい――
しかし正直なところ、その辺の感覚はよく分からないのだった。
異世界転生して目覚めてから、確かにこの肉体は美人の部類だとは思っている。けれど、自分目線からすればまだまだというか、みんなが言うほどそこまで美しいとは思えないのだった。
(どうしてかな……。この世界の住人の美的感覚がズレているのかしら……。ううん、それとも――)
脳裏に浮かんだもう一つの可能性。
仮に――異世界転生する前のわたしが、より美しいと思う誰かを知っているとしたら。
わたしは嘆息と供に、心の中で首を振った。
そこから先は、記憶喪失のわたしには考えても仕方のないことだった。
第一、口にすれば嫌味に聞こえるだろうからあまり言いたくはないけれど――
わたしに言わせれば、肉体の美なんて時間の経過とともに衰えるものであると弁えている。
そもそもこの身体にしたって、異世界転生してタナボタ的に得たものであるから、大して自慢に思えないのだった。
背後のシルフィは、なおも言葉を続ける。
「その、わたしの身体、貧相ですし……。こうしてテイルの身体に触れられるだけでも恥ずかしいというか――」
「そう? シルフィの身体、すごく綺麗じゃない」
「そうでしょうか……?」
先ほどとは立場が入れ替わったように、今度はわたしがシルフィを肯定する。
「そうよ。というか、そこまで卑下するほどじゃないと思う。まだまだこれからというか、今に男たちがシルフィの事をほっとかなくなるって」
貧相とは言うが、シルフィの年齢を考えれば、ぶっちゃけ見込みがないわけじゃないと思う。
というか――将来、絶対にシルフィは美人になると確信している。
もしもわたしが男なら、まず間違いなくシルフィの事を青田買いしていると思う。
そこだけは太鼓判を押すのであった。




