第二十話. そして伝説は始まった
――結局、あの後シルフィは応えてくれなかった。
夜明けを迎え、わたしはシルフィの家を悄然と後にする。
静かな村の中を、ゆっくりと歩いて進む。
まだ明けきらない朝の紺碧の光とすがすがしい空気が、静謐に村を覆っていた。
息を吸い込めば、硝子のように冷たい空気が肺一杯に満ちていく。
塵一つない澄んだ新鮮そのものの大気、そして眩いばかりの曙光が、これからの旅路を暗示しているかのようだった。
村人たちはまだ寝静まっているのか、周囲は驚くほど静かだ。
(最後に、お別れくらい言いたかったな……)
そのように思いつつも、やがて村の入り口へと辿り着く――
そこでわたしは、はたと驚いて立ち止まった。
目の覚めるような朝日の下、村の入り口には、すでに多くの人々が集っていたのである。
「みんな……」
わたしは呆然と呟いた。
フランゼル村長がいる。
マリアさんがいる。
フラッカにジェシカ、一緒に遊んだ村の子供たちが揃っている。
ラグドさんや、世話になった村の大人たちも揃い踏みだった。
「みんなで見送ろうって思っていたの……。間に合ってよかった」
マリアさんが、優しい口調で説明してくれた。
フラッカとジェシカが駆け寄ってきた。
わたしはしゃがみ込んで、走ってきた彼女たちをそっと抱きしめる。
「テイルおねーちゃん、また村に来てね……」
「また一緒にあそぼ……」
別れに涙ぐみながらも、たどたどしく言葉を口にする小さな声たち。
わたしは胸に温かな気持ちが一杯となるのを感じつつ、頷いた。
「うん……きっといつか、戻ってくるから……」
わたしは二人の髪を愛おしく撫でて、名残惜しくも、そっと立ち上がる。
「短い間ですが、本当にお世話になりました」
わたしは集った村人たちに深々と礼をした。
「いってらっしゃい!」
「元気でね!」
「また村に帰って来いよ!」
光のような愛情に満ちた声援だった。
本当に温かな人たちだと、しみじみと思う。
「――はい、行ってきます!」
わたしは清々しい思いに胸がいっぱいとなりつつ、村の外に続く道を進んだ。
一歩一歩を踏みしめるごとに、心が海のように沸き立つ。
村の入り口から続く先には――出立の準備を終えたサイネリアさんたちが待っていた。
隊列を組んで並ぶ『セフィラの盾』の兵下たち。
その中心で、一台の馬車が待機しており、その前ではサイネリアさんが立っていた。
「テイル殿、我々と供に来ていただけること、心より礼を申し上げます」
慇懃な所作でお辞儀をして、馬車の扉を開いた。
「さ、どうぞ馬車の中へ――」
サイネリアさんが手を伸ばす。
わたしは、最後に村を振り返った。
まるで走馬灯にように、村で過ごした日々の思い出が蘇る。
村の入り口では、今も村人たちが見送っていた。
けれど、その中には、わたしにとって一番馴染みの深い少女の姿がいない――
「テイル殿……?」
ぼうっとしていたところに呼びかけられ、わたしはハッと振り返った。
「どうされました……?」
「えっと、その――」
わたしは、少しだけ逡巡する。
「あの……、すみません、もうちょっとだけ待ってもらえないでしょうか?」
「……? なにか忘れ物でも?」
わたしは言葉を口にしようとして――しかしそこで諦めて肩を落とす。
「――いえ、やっぱりなんでもありません」
わたしはかぶりを振った。
いつまでも、未練がましいのはいけないと思う。
(シルフィ……、元気でね……)
後ろ髪を引く思いを振り払らうように、わたしは馬車の中へと乗り込んだ。
*
◆インタールード:テイルの友達、シルフィ・ラドグリフ◆
「はっ――はっ――」
差し込む暁の光の中、私は駆けていた。
白く眩く、村を照らし始める朝の輝き。
徐々に世界は光に満ちていく――今は、それすらも焦燥に駆られる気持ちだった。
早鐘を打つように、心臓の音が高らかに亢進する。
高揚する気持ちに、頬が真っ赤に染まっていた。
呼吸に喘ぐも、口の中がカラカラに乾いている。それくらい今の私は、興奮と緊張に頭が真っ白となっていた。
――本当は私だって分かっている。
あの人の事を思うなら、私はこのまま村に残るべきだ。
自分が行っては迷惑になる。
こんな、何の役にも立たない無価値な人間があの人に付いていっても、歩みを邪魔することしかできないだろう。
それを考えると――とても怖い。
せっかくの足も石のように重くなってしまう。
けれど――
これが正しいなんて言いきれないけれど――
初めてだったのだ。
あんな風に自分を必要とされたのは――
こんな自分を、友達と呼んでくれた人は――
だから――応えようと思った。
胸に灯った、たった一つの勇気を抱いて私は進む。
私が村の入り口に辿り着くと、まさしく出発しようとしている時だった。
「あれ、シルフィ? どうしたの?」
全力でやってきた私に対して、村人たちが振り返る。
私は一度呼吸を整え、宣言した。
「ごめんなさい……。私も、行ってきます!」
「え!? ちょっと、シルフィ――」
私が村を飛び出したのと同時に、馬車が発車し始めた。
私は全力疾走した。
心臓がはち切れてしまいそうなほど必死に駆け出していた。
「テイルさん!」
前を走る馬車に向かって呼びかける。
走りながらも、まるで嗚咽するように次から次へと言葉が胸を衝いて出てくる。
「私……強くなります! 今度こそ、逃げたりしませんっ!」
想いが迸るように溢れ出す。
激情のあまりに、目から止めどなく涙が出て、ぐしゃぐしゃになってしまう。
みっともなくても、無様でも、それでも私は走り続けた。
「あなたの傍にいられるよう、頑張りますから! だから――だから!」
肺が酸素を求めて上手く喋れない。
けれど、これだけはハッキリと口にしなければならない。
私はまるで懺悔するように一気に云い切った。
「だから、これからも傍にいさせてください! 私も一緒に行きたいです! 私も連れていってください!」
その時だった。
「あっ――!」
道中の石に躓いてしまい、足が縺れてしまう。
あわや、身体が宙を浮いて転倒しそうになる。
私は、転ぶ痛みよりも先に、追いつけないことが悔しくて、ぎゅっと目を瞑ってしまう。
けれど――そっと何かモフモフとしたものがクッションとなって、私は転倒の痛みから免れた。
私は驚いて目を見開き、自分を包み込んだものの正体を確かめる。
――尻尾だ。
――まごうことなき、尻尾だ。
狐の尻尾、なのである。
よく見れば、それは前方を走る馬車から伸びていた。
「シルフィ――っ!」
馬車の扉を開け放ち、危険を顧みず身を乗り出して、テイルさんは尻尾を伸ばしている。
私は尻尾をぎゅっと掴んだ。するすると尻尾は戻っていき、その勢いのまま、私の身体は馬車へと引き寄せられる。
「テイルさん!」
私はテイルさんの胸へ飛び込んだ。
テイルさんもまた、ばっと私を受け止めてくれる。
「ありがとう……ありがとう、シルフィ! 来てくれて!」
「はい、私も一緒に行きます……。私も、テイルさんと別れたくありません」
「うん……うん! 一緒に行こう――冒険へ!」
◆インタールード:END◆
*
かくして、真実を求める旅は始まった。
少女は失われた自身の記憶を取り戻すために、戦いの渦中へと身を委ねていく。
やがて彼女は知るだろう――今、この世界に覆いつつある脅威の正体を――
そうして知るだろう――自らに課せられた宿命を――
テイル――のちに、玉藻の勇者と呼ばれることとなる、この少女――
もう一人、のちに、偉大なる聖女と呼ばれる少女、シルフィ――
二人の少女は、この先幾多の出会いを経て、世界の命運を巡る戦いに巻き込まれることになるなどと、今はまだ知る由もなかったのである。
そうして――伝説は始まったのだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
以上をもちまして、第一章完結となります。
テイルとシルフィの旅は、ここからがスタートとなります。
次回投稿ですが、第二章の構成を練るため、お時間を頂きたいと思います。
7月9日に第二章第一話を投稿予定です。
お手数ですが、下記よりブックマークやポイントを頂けると、次回作成の励みになりますので、どうぞよろしくお願いします。




