第一話. 明媚なる聖都イデルヴァリス
大いに活気に満ちた都市景観の中を、一台の立派な馬車が駆けてゆく。
中世の貴族が乗るような、格調高い馬車である。
馬車の窓から喧騒賑わう街並を覗き、シルフィは思わず感嘆の声を上げた。
「うっわぁ……すごいです!」
シルフィは息を弾ませて街の景色に心奪われている。
彼女がそのようにはしゃぐのも無理はない。
馬車の外は、芸術品もかくやというほど、美しく整備された街並だったのだ。
聖都イデルヴァリス――
ファクトの村を出たわたしとシルフィは、サイネリアさんに連れられるままにこの街へと来ていた。
サイネリアさん曰く、この街には『セフィラの盾』の本部が存在するらしい。
彼女たちに協力することを決めたわたしたちは、『セフィラの盾』の総帥に会ってほしいと言われたのだった。
とはいえ――そうした目的が綺麗サッパリ吹き飛ぶほど、目の前に広がる街並を前にして、わたしたちは心を揺り動かされていた。
気分はもはや旅行である。
「ほんとね……。こんな綺麗な街……まるで絵画みたい」
わたしもまた、うっとりとして窓から街並を見ている。
さっきからぴょこぴょこと忙しなくわたしの耳や尻尾が揺れ動いていた。
本当にすごい――感動のあまり、語彙力が死んで息をしていない。
この美しさを表現するのに、人間の言葉のなんと無力なことか。
「ふふっ、テイルさんもすごいと思いますよね」
「ええ。……でもねシルフィ、言ったでしょ」
じっと、わたしはシルフィを見つめた。
「わたしのことを呼ぶのに、『さん』はいらない。わたしたち、友達なんだから、ちゃんと『テイル』って呼んでくれなきゃ」
「あ、そうでしたね。その……テイル――」
「うん」
「――さん……。えへへ。すみません、まだまだ慣れなくて……」
ふふっ、と笑い合う。
シルフィは頬をバラ色に染め、顔を上気させていた。
溢れる水のように親しみを満面に浮かべている。
わたしもまた、面映い気持ちを感じつつ、その視線を受け止めた。
友達といいつつも、傍から見たら、まるで付き合い立てのバカップルのようだった。
「相変わらず、仲睦まじいですね」
それまで蚊帳の外って感じで馬車の真向かいに座っていたサイネリアさんが、苦笑しつつも呟いた。
表情こそ穏やかであるが、言外に『何目の前でイチャついとんねん、ワレ』という響きが含まれているような気がしないでもない。
サイネリアさんは、兜を外して、美しい相貌を露にしている。
姿勢を正して座っているさまは、いかにも大人びた女性という感じだ。
「シルフィ殿、聖都に来るのは初めてですか?」
「はい。というか、ガリア王国の外に出たことはなくって……」
だからこそ、窓の外の景観は珍しいのだろう。
とはいえ、そのことを差し引いても外の街並は圧倒されるほど素晴らしいものだ。
色とりどりのレンガの建物が立ち並び、露店にはカラフルな果物や展示品がひしめき合って、目まぐるしい大パノラマを展開している。
歩道や水路も整備され、優れたインフラが整えられていることが伺わせる。
わたしのいた世界でいうところの、イタリアのローマやヴェネツィアを思わせるような、非常に芸術的香気溢れた景観が広がっていたのだった。
街の大きさに比例して、人の数も多く、人々のざわめきがひとつに入り混じって、大都市ならではの開放的な音を作り上げている。
道行く人々の喧騒や、店の人々の呼び込み声が、心地よいリズムのように馬車の中にに染み入った。
そして空は快晴。ぽかぽか陽気が、街の活気をなお引き立てている。
そんな中を、現代車でいうところのリムジンを思わせるような高級な馬車に乗って進んでいくのである。快適な旅であった。
実に、ファクトの村を発ってから一週間ほど。その間、馬車を乗り継いでここまでやってきたが、こんな立派な馬車をいくつもポンと用意できる『セフィラの盾』の資金力は、いかほどのものであろうか。
「綺麗……川の水があんなにも澄んでいる」
窓から街を流れる川を見下ろし、シルフィはうっとりと呟いた。
「イデルヴァリスは、別名『水の都』とも呼ばれているのです。広大なミレーヌ川の水を治水して、船で行き来できるようにしておりますし、街のあちこちには噴水もあります」
サイネリアさんが説明を入れる。
はしゃぐわたしたちに対し、絹布の肌触りのようにやさしい語り口だった。
まるで娘を微笑ましく見守る母親のようだ。
――ちなみに、シルフィを連れてきたことに対して、サイネリアさんは特に咎めることもしなかった。
「構いません。テイル殿共々、客人として迎え入れましょう」と言ってくれたのである。
正直、感謝のあまり、言葉もなかった。
シルフィは先ほどから夢見るような面持ちで街を見渡している。
単純に街の美しさに圧倒されている、という訳でもなさそうだ。
「憧れていた聖都にこんな形でくることができるなんて……私、感激です」
「憧れ?」
「はい、イデルヴァリスは私のような神官候補生にとっては、まさに憧れの地なんです」
そこに、横から差し込む形でサイネリアさんが説明を加えた。
「聖都イデルヴァリスは、西方大陸でも有数の交易都市であると同時に、ミール教の神殿がいくつも存在する宗教都市でもあるのです」
そうして彼女は、窓の外の一方を示した。
そこには雅やかな都市の中でも荘厳な佇まいをもつ神聖な建築物があった。
「あそこに見えますのが、戦神セフィラを祀るセフィラ神殿になります」
「セフィラ……って、『セフィラの盾』と同じ名前ですよね。何か関係性があるのですか?」
「セフィラというのは、偉大なるミール神の配下である女神の一体です。神話に曰く、女神ミールには四柱のしもべとなる神がいたと言われています。
正義の戦女神セフィラ――
秩序の天秤を守る知神アルボルト――
慈愛の神カルザ――
生命を司る神バーラウィン――
それら四柱を纏めて、『ミールの使徒神』と呼ばれているのです。この街には、そうした神々を崇める神殿がいくつも存在します。イデルヴァリスは、西方大陸のどの国からも干渉を受けない自治都市・宗教都市として完成されているのですよ」
蘊蓄を語るサイネリアさんは、さながらツアーのバスガイドさんみたいだった。
サイネリアさんの説明を受けて、わたしは改めて馬車の窓から道行く人々を眺めた。
街の人々の中には、商人や一般人以外にも、僧侶姿の人間もちらほらと見かけられたのである。
そうしてこの景観、太古に建てられた神殿を中心として発展してきたであろう街並。
おそらくこの都市自体が、人類が何百年、下手をすれば何千年とと積み重ねてきた遺産なのだろう。
西方大陸のあらゆる国家から完全独立の自治都市――あるいはそういう場所だからこそ、多国籍組織である『セフィラの盾』の本部が存在しているのかもしれない。
わたしはサイネリアさんの説明に耳を傾けて、時には相槌をうったりしていたが、ふと隣に座るシルフィの元気が消えているのに気付いた。
「どうしたの? シルフィ」
「え、ううん。ちょっと酔っちゃって――」
シルフィの顔は、幾分色を失っていた。
少し疲れた様子で、ぼやけた表情をしていたのである。
「人が多いせいか、少し気分が……。ガリアの王都でも、これほどの人だかりはなかったので」
確かにシルフィのいうとおり、窓の外ではひしめくような人の群れでごったにしている。
ストリートの賑わいも半端ではなく、おかげで馬車が通るのも一苦労って感じだ。
「テイルさ――テイルは、大丈夫なのですか?」
「うーん、確かに人が多いから疲れるかもだけど、こんなもの新宿駅とか渋谷交差点の人込みに比べたら――」
そこまで言って、ハッとする。
(新宿? 渋谷?)
あれ、なんでこんなことを知っているんだろう。
ふと浮かんだ情景に対して、疑問が雲のごとく沸き起こる。
(これは……わたしの記憶なの?)
しかしそれ以上のことは思い出せない。
不可解さに憑りつかれ、わたしは黙り込んで思考の渦に巻き込まれていく。
疑問が虫のように頭にまとわりついて離れない中で、次第に馬車は町の中心から外れて、小高い坂を上っていく。
「見えました。あそこです」
サイネリアさんが突然馬車の窓から前方を指示した。
そこでわたしの思考は止まり、ぴんと頭部の耳が張った。
彼女の言葉に窓の外へと視線を向ける。
遠くには、見るからに豪壮な建築物が佇んでいたのである。
例えるなら、それはさながら現代の学校の校舎のようだった。とはいえ、スケールからいえば、まるで王城を思わせるほど巨大な佇まいである。
そうして、サイネリアさんが言葉を続ける。
「あれこそが『セフィラの盾』の本部――クレルモラン修道院です!」




