第十九話. 旅立ちの前夜に(二)
わたしはニコラス神父に丁寧にお礼を言って、シルフィの家へと向かった。
玄関の扉を開けると、家の中は火が消えたように暗かった。
「ただいま……」
返事はない。居間はシンと静まり、心が冷えるような寂しい空気に沈んでいる。
わたしは廊下を歩いて、奥の部屋へと向かう。
扉の前に辿りつくと、そっと語り掛けた。
「――シルフィ、起きてる?」
声は返ってこなかった。
けれど、扉越しに僅かに動く気配を感じ取り、部屋の中にいることが理解できた。
「話があるの、聞いて」
相も変わらず、無言のまま佇む扉――
あの小鳥のように愛らしかったシルフィの声は返ってこない。
怒っているのだろうか――無理もないと思いつつ、わたしは言葉を続けた。
「シルフィ。ごめんなさい……。あなたとの約束を破って、村から出ていくこと。わたしの決断があなたを傷つけてしまったこと、本当に申し訳ないって思ってる……。あなたに恨まれても、仕方ないと思う」
「――やめてください」
そのとき、そっと静かな声でシルフィが拒絶した。
「私は、テイルさんのことを恨んでなんかいません。私が許せないと思うは、私自身なんです……」
「どういうこと……?」
「最初にテイルさんをこの家に迎えたとき――私は、心の奥底ではテイルさんの事を可哀そうだって思っていたんです。記憶喪失で、何も分からないテイルさん。この人には私がいないといけないんだろう――って、そんな優越感に浸って、テイルさんのことを貶めていたんです。最低ですよね、私」
「……」
「けれど、そんなものは幻想でした。サイネリアさんの誘いに、迷いもなく頷いたテイルさんの姿を見て――本当は外の世界が怖いはずなのに、それでも前を向いて進んでいく姿に、私は打ちのめされました。それで思い知らされたんです。ああ――この人は私とは違う。たとえ誰よりも怖い目に遭ったとしても、恐れずに真っ直ぐに生きていける人なんだって。――そんなテイルさんの決意を鈍らせているのが、他ならない、こんなちっぽけな私との約束だって気づいた時に、自分のことが許せないって思ったんです。私なんかが、この人の足を引っ張っちゃいけないんだって……」
「足を引っ張るだなんて、そんな……」
「テイルさん、どうして神官候補生の私が、この村にいると思います? 正規の神官ではなく、ただの候補生でしかない私が、王都の学校で勉強することもなく、この村にいるのだろうって……」
「ニコラス神父から聞いた……。休学中なんでしょ?」
「はい、私、落ちこぼれだったんです」
あくまで軽く語るその言葉に、わたしは耳を疑う。
落ちこぼれ――どちらかといえば理知的なシルフィに、その言葉は一等似つかわしく無いものだった。
「そんな……。どうして? あんな魔法だって使えるし、『エリクシールの聖女』って特殊体質なんでしょ。どう考えたって優秀な部類じゃない」
「優秀なんかじゃ、全然ありません。私、基本的に初歩の魔法しか使えないんですよ。いくら座学を積み重ねても、それを実践するための才能がなかったんです。そもそも私なんて、学院の大多数を占めていた貴族出身の生徒たちと違って、何の後ろ盾もありませんし……。でも――そんな私でもこの体質のおかげで、退学にすらされなかったんです」
「退学に『されない』……?」
シルフィの言葉の音に、若干の不穏な違和感を覚えて、わたしは問い返した。
そうしてシルフィが次に紡いだ言葉は、わたしを愕然と打ちのめした。
「身体を売っていたんです。娼婦だったんですよ、私」
「…………!」
動揺のあまり、手足の感覚がなくなるような錯覚に襲われる。
「私のこの体質――粘膜の交換によって、相手の魔力を増幅させることができるんですよ……。学校の在籍と引き換えに、男の人に抱かれていたんです」
「そんな……」
淡々と語る凄惨な事実に、二の句を告げなくなる。
「けどそれって、いってみればズルじゃないですか。あの学校に通っているみんな、本当に正規の神官になりたくて頑張っている子ばっかりなのに、私だけこんな裏口みたいな方法で……。でも、私にはそれしかなかった。私のために死んでしまったお母さんのためにも、私は強くならきゃいけなかったんです……」
「…………」
「そのうち、私が身体を売っているという話が学院内でどんどん広まっていったんです。そんなの、本気で神官を目指している人から見たら、きっと許されないじゃないですか。私はいつしか学院のどこにも居場所がなくなって、酷い迫害を受けるようになりました……。私だって本当はやりたくない――そんなことなんて、頑張っている彼女たちには口が裂けても言えないですし……。私はどうすることもできなくなって、どんどん心を病んでいって……。そうして、ニコラス神父に発見されてからは、強引にこの村に戻されたんです。……逃げてしまったんです、この村に」
その話を聞いて――わたしは、ぎゅっ、と手を固く握りしめた。
吐き気すら覚えるほどの怒りに、眩暈がする。
彼女にそうさせてしまった周囲に対して、今すぐにでも糾弾したい衝動に駆られる――たとえそれが、何の意味もない感傷だったとしても。
「結局、私は強くなれなかった……。学院では、私なんて生きている価値もない、要らない人間だって言われ続けていたんです。けど、それは本当です。こんな私なんて、なんの価値のない存在、意味のない存在でしかなったんです……」
「いいえ、それは違う――」
「違わないんです!」
悲鳴のような否定の声に、わたしは言葉を無くしてしまう。
シルフィは――母を死なせてしまったことの後悔から、強くならなければならないと思い込んでいた。
どこまでも真面目で、どこまでもひたむきで、どこまでも他人思いで、だからこそ――挫折してしまった。
そうして最後には、そんな自分を無価値なものと思いこむことでしか、全てを許せないでいるのだ。
悲しいほど――優しすぎる女の子だった。
「今だから言います。私、テイルさんのことが好きでした。初めて出会った時から、ずっと……。強くて、綺麗で、優しくて、真っ直ぐで――テイルさんは、私の憧れそのものだったんです。もしテイルさんが男の人なら、最後の思い出に私を抱いてと言っていたかもしれません。あはは……気持ち悪いですよね、こんなの……」
――ちょっと想像してみる。
自分がもしも男で、シルフィにそんなこと言われてたら、果たしてどうしていただろうか。
こんな魅力的な女の子に、そんなことを言われたら、きっと自分はシルフィを抱いていただろう。いや――仮にそんなことになったら、彼女に夢中になるあまり、自分の記憶なんてスッパリどうでもよくなって、サイネリアさんの誘いを断って村に残っていたかもしれなかった。
それくらいシルフィは素敵な女の子なのだ。
なのに――当のシルフィ自身が自信を貶めている――いや、そうするしかできないでいるのだ。
「テイルさんは……前に進んでください。こんな私なんかのことは、忘れてください……。お願いします……」
最後は消え入りそうな声でシルフィは呟いた。
わたしは一度目を瞑って、静かに胸の内の決断を口にする。
「シルフィ――わたしは、明日この村を出ていく」
「……はい」
「ごめんなさい……。あなたの家族にはなれなかった。わたしから言い出した事なのに――」
「はい……大丈夫です……」
「でもね――あなたのことを忘れるだなんて、できない」
もしかしたら、自分はとんでもないエゴイストなのかもしれない。
それを理解しつつも、わたしは言葉を続ける。今言わなければ――きっと自分はこの先も後悔し続けるだろう。
そうしてわたしは、精いっぱいの気持ちを言葉に乗せた。
扉越しに、自身の想いを伝える。
「シルフィ――わたしと一緒に来て!」
――シルフィを悲しませたくないから連れていくのか?
――ただの義務感だけでそんなことをいうのだろうか?
違う――わたしは、シルフィが大切だから離れたくない。
彼女が必要だから――今こうして手を伸ばしているのだ。
ニコラス神父から問われた言葉。わたしにとってシルフィは何なのか、その答えを口にする。
「わたしにはあなたが必要なの。家族としてではなく――この世界で初めてできた、友達として!」
次回、第一章最終話となります。
明日投稿いたします。
お手数ですが、下記よりブックマークやポイントを頂けると、次回作成の励みになりますので、よろしくお願いします。




