第十八話. 旅立ちの前夜に(一)
――明日の朝、我々はこの村を発ちます。その際、あなたも一緒に来てください。
先刻、村長の家でサイネリアさんにそのように言われた。
わたしは明日、この村を出ていくこととなる。
急な出発ではあったが、サイネリアさんたちだっていつまでもこの村に長居するわけにいかない事情があるのだろう。
日はとっくに落ち、周囲はすっかり夜となっている。
わたしはシルフィの家に帰ることもせず、一人村をそぞろ歩いていた。
今更――シルフィとどんな顔をして会えばいいのかも分からなかったのだ。
あてどなくぶらつきながら、一人煩悶する。
(わたしは……どうするべきなんだろう……)
――いや、答えはとうに出ている。
わたしは、自分の記憶を取り戻したい。
そのためにサイネリアさんに付いていくことは理に適ったことだ。
けれど、シルフィはどうするんだろう。
(別に……もう二度とこの村に戻ってこれないわけじゃないし……記憶が戻った後でシルフィの家族に戻れば――)
そこまで考えてかぶりを振る。
問題はそこじゃない。
シルフィを傷つけてしまったこと。
ずっと一緒にいるといったのに、それを果たせないこと、それが問題なのだ。
第一、仮にこの先記憶が戻ったとして、その時の自分がどうなっているかなんて分からない。
その時の自分には、シルフィとの約束よりももっと大切な何かを思い出しているかもしれないのだ。
もっと言えば――シルフィと会うのは、これが最後かもしれない。
(シルフィと――このまま別れるのかな……。喧嘩したままで……)
そんなのは嫌だった。
けれど――なんて言うべきなんだろう。
かけるべき言葉もなく、シルフィを傷つけたままが嫌ならば、やはりサイネリアさんの誘いを断ってでも、この村に残るべきなのだろうか。
――夜の景色となったファクトの村を見渡す。
家々からは滔々とした明かりが漏れていた。
酒場からは村人たちの笑い声が聞こえ、対比的に家畜たちは眠りにつき、夜の静寂を強調させる。
そんな風景を眺め、この数日間の出来事を思い返す。
わずか数日だけを過ごした村――それでも楽しかった。
名残惜しくはないといえば、正直嘘になる。
(それでも……わたしは行かなきゃ)
自分の忘れている過去を取り戻さなければならない。
理由は分からない。けれど、そうしなければならないような気がしたのだ。
村を見渡せる丘に腰を掛け、星と月明かりに照らされつつ、物思いに耽る。
そんな折に、声をかける人影がいた。
「――こんばんは」
そのように挨拶され、わたしは振り返る。
そこには、ランプを掲げて夜の散策をしている神父服の男がいた。
柔和な印象の神父――ニコラス神父だった。
「ニコラス神父……。どうしたんですか? こんな夜更けに」
「いえ、ちょっと教会での書類仕事に追われていまして……。煮詰まっていたところで、気分転換に夜の散歩など思いましてね」
そうしてニコラス神父は、隣に座った。
「明日、出ていかれるのですね」
「はい……」
「どうしても行かれるのですか? 皆さん、あなたの事を好ましく思っていたのですが……」
「……はい、やはり、わたしは自分が何者なのか知りたい……。これは自分で決めた事なんです」
そう――それは紛れもなく、自分が選び取った道だった。
後悔などあろうはずもなかった。
なのに――
「では、どうしてそのような悲しい顔をしていらっしゃるのですか?」
ニコラス神父にそういわれ、わたしは顔を伏せる。
悲しい――そう、今のわたしは哀惜に満ちた表情を浮かべていた。
「シルフィを傷つけてしまいました……。ずっと一緒にいるって約束したのに……」
あの時、夕暮れで彼女の流した涙が忘れられないでいる。
そうさせてしまったのは、他ならない自分自身だった。
「守れもしない約束をしてしまったわたしが悪いんです。シルフィのお姉ちゃん失格ですよね……」
「そんなに自分を責めないでください。よかれと思ってやったことが、結果として相手を傷つけることはよくあることです」
そうしてニコラス神父は、遠い日を見つめるように語りだした。
「実は――彼女に神官になるように勧めたのは私なんです。あの日……シルフィのお母さんが亡くなられた日を境に、彼女の聖女としての力が目覚めました。私はその力を見出し、彼女に王都の学院に行くように言ったのです。『あなたのその力は、いずれ多くの人を救うことになる』って伝え、強く生きるようにと、シルフィの背中を押したんです」
ニコラス神父の語る言葉に、わたしはシルフィのことを思い返していた。
考えてみれば、シルフィはいつも強くなりたがっていたような気がするのだった。
「けれど――結局はそれがいけなかったんでしょうね。学院への推薦状を渡して、王都へと旅立ったシルフィを見送ってから、二年後の事です。私は彼女の様子を確認するべく、王都に寄りました。そして私は、見るも無残に変わり果ててしまった彼女を見てしまったんです」
そうしてニコラス神父は、痛ましいものを思い出したように目を細めた。
「何があったのかは詳しく知りません……。けれど、二年ぶりに会ったシルフィは、酷くボロボロにやつれていました。しかもなお惨いことに、それほどの目にあっても彼女はなお頑張ろうとするんです。『強くならなきゃ、強くならなきゃ』と譫言のように呟きながら……。私のかけた言葉は、呪いでしかなかったんですよ」
「…………」
「結局、私は無理矢理にでも彼女を休学させ、この村に連れ戻しました。この村に戻ってきてからも、彼女は酷く落ち込んでいました。時には、自殺を図ろうとした彼女を止めようとした事もあったんです。私は、そんなシルフィを見守ることしかできませんでした……」
そこで彼は、にこやかにわたしに微笑んだ。
「あなたが来てから、シルフィは本当に笑うようになりました。あんなシルフィの顔を見たのは久しぶりです。全部あなたのお蔭なんですよ」
「けれど……わたしは、そんなシルフィを裏切ってしまいました……」
その話を聞いてもなお、わたしは落ち込むばかりであった。
ニコラス神父は、そんなわたしにそっと語り掛ける。
「大丈夫です……。シルフィもきっと分かってくれますよ」
そうして、しばし無言に落ちる。
吹きすさぶ夜の風は僅かに肌寒く、わたしは煩悶と夜空を見上げていた。
「ニコラス神父……わたしは、このままシルフィとは別れたくありません。どうするべきなんでしょうか?」
「そのためには、あなたの気持ちをはっきりさせることです。あなたは――どうされたいのですか? あなたにとって――シルフィとは何ですか?」
そう言われ、わたしは目を伏せた。
思い浮かべるのは、シルフィの笑顔。
そうして内なる声に問いかける。
「わたしにとって、シルフィは――」




