第十五話. 決着、そして――
発生した粉塵が次第に収まり、遺跡はもとの静寂な空間へと戻っていく。
魔神が暴れまわった後の遺跡は、しっちゃかめっちゃかだった。
――戦いは終わった。
魔神は消え、召喚したカイラス当人も、わたしの放った一撃の余波をまともに浴びて、倒れて沈黙していたのだった。
わたしは立ち上がって振り返る。
「ありがとう、シルフィ。来てくれて助かった」
「お姉ちゃん……」
シルフィは、だっ、と駆け寄ると、そのままわたしに抱き付いてきた。
「よかった……。生きていて、よかった……。お姉ちゃんが死んじゃったらと思うと、私……」
そうして、幼子のように泣きじゃくる。
そういえば――シルフィのお母さんも、彼女がいないところで死んでしまったのだという話を思い出していた。
わたしは、そっとシルフィの頭を撫でた。
子供をあやすように髪に触れて、その細い身体を抱き留める。
――その温もりから、自分が生きていることを実感していた。
「さっきは――」
と、今更になって先ほどのキスの光景が脳裏に浮かぶ。
「あ――――」
瞬間、かあっ、と顔が熱くなった。
茹だったタコみたいに顔を真っ赤にする。
シルフィもまた、先ほどのことを思い出したようで、わたしからぱっと跳ねるように離れると、もじもじと照れ始めた。
「あの、その……」
そんな様子を見て、こちらも増々恥ずかしさのボルテージが上昇していく。
まともにシルフィの顔を直視することができやしない。
「えっと……」
「あぅ……」
まるで付き合い始めた恋人同士のように、お互い真っ赤になって沈黙してしまう。
思考は白一色となり、まったく何も思い浮かばない状態だ。
それでも何か話さなければ、と内心パニックになりつつ気持ちだけが逸る。
(うう……、女の子同士なのに、どうしてこんなに気恥ずかしいの……?)
そんな判然としない感情のためにモヤモヤしていた、その時である。
「う……」
カイラスが呻きだした。
「――――っ!」
わたしはシルフィを庇うように前に出た。
しかしカイラスはうつ伏せに倒れて呻きつつ、起き上がるまではしなかった。
「大丈夫です……。あれほどの魔法を行使したのですから。しばらくは、魔力のフィードバックによって動けない筈です」
シルフィはそのように言うが、わたしは油断なくカイラスを見て反応を伺う。
カイラスは上半身だけをのっそりと起こす。
まだ戦うのか、と一瞬わたしは身構えたが、いつまで経ってもその気配はなかった。
「う……うう」
そして――
「う、あああああああああああああああああ――っ!」
突然咽ぶように泣き声を上げ始めたのだった。
わたしもシルフィも、突然のことに呆気に取られる。
「もう嫌だ! もう嫌だ! なんで俺ばっかりがこんな目に遭うんだ! あああああああああああああっ! うわあああああああああああああああああ――」
鬼気迫るほどの豹変ぶりに、わたしたちはポカンとしていた。
そうして、魔道士の男は人目も憚らず喚き続けたのだった。
*
しばらくして――
カイラスはようやく泣き止んだようで、ぐずりつつも、落ち着きを取り戻し始めていた。
今の彼からは、敵意や戦意は微塵も感じられない。
カイラスの心は完全に折れているようだった。今の彼ならば、わたしの攻撃に対して逃げることも防御することもしないだろう。まったく脅威を感じられなかった。
わたしは彼の目の前にやってきた。彼のすぐそばにしゃがみ込むと、泣き喚く子供をあやすように優しく声をかける。
「ねえ……。あなたの本当の名前はなんていうの? カイラスって、この世界での名前だよね」
そのように問いかけると、彼はぽつりぽつりと話し始めた。
「晃……。山辺晃……」
「そう、晃くんっていうんだ。いい名前じゃない」
異世界転生する前の歳月も合わせれば、相当な年齢を重ねているはずだが、わたしは彼を君付けで呼んだ。
――泣きじゃくっているその姿が、まるで自分と同じくらいの少年のようにも思えたのだった。
「ねえ、晃くん。あなたはどうしてこんなことをしたの?」
「……わからねえよ」
「わからない?」
「自分でも、どうしてこうなったかなんて、わかんねえんだよ……」
カイラス――いえ、晃くんの話は要領を得ない。
わたしは質問を変えることにした。
「あなたは、どうやってこの世界に転生してきたの? 前世でのあなたは、どんな人だったの?」
「さっきも言った通りだよ。搾取されてばかりの人生だった」
そうして、晃くんは、遠い世界を回顧するように語り始めた。
「俺さ、前世だといじめられっ子でさ……。学校では毎日が地獄のようないじめを受けていた。教師を始めとする大人たちは誰も味方をしてくれなくて……、見て見ぬふりをするか、いじめっ子の味方までする始末だった……」
「…………」
「家でも同じだった。俺はいわゆる搾取子ってやつだったんだ。出来のいい兄貴や弟たちと比較されて、何もかも取り上げられて生きてきた。そうしてさ、中学を出たくらいから、学校に行かずにずっと引きこもってばっかりだった……」
わたしは、じっと黙って話の続きを聞いていた。
晃くんの語る過去は、生前に受けた苦しみを吐露するように次第に熱を帯びていった。
「いつも思っていたよ。人生をやり直したいって。すべてを圧倒するような力を手に入れて、今度はおもうがままに生きたいって……。
そんなときさ、親のちょっとした不注意から家が火事になって、逃げ遅れた俺はそのまま煙に巻き込まれて――死んだ。
家が火に覆われようとしていたのに、結局最後まで誰も俺を助けようしてくれなかったよ」
それはどれほど無念だったろう。
ずっと他者に奪われ続け、そしてとうとう最後には命まで奪われた男の過去――それを聞いて、少なからずわたしは動揺を受けていた。
「そして……俺はこのウィル・ファザードに転生した。
絶大な魔力と、『瞬間移動能力』というチート能力を与えられて……。
『生前に果たせなかった思いを果たせ』って言われたから、好きに生きることにしたんだ」
「………………?」
わたしは晃くんの述懐に若干の違和感を覚えた。
しかしとりあえず、黙って話の続きを聞くことにする。
「そりゃ、この世界に転生した最初の頃は嬉しかったし、楽しかったさ。剣も魔法も常人には及ばないくらい秀でていたし、神童なんて呼ばれたりもした。けどさ……駄目だったんだ。二度目の人生も結局上手くいかなかったよ」
「……それは、どうして?」
「怖かったんだよ、他人が……」
そう語る晃くんは、自嘲じみた風に笑みを浮かべた。
「生前の、いじめられた記憶っつうか、トラウマはちっとも消えてくれねえ。そもそも、俺なんて、生前も人と上手く会話なんてできなかった。普通にしているつもりでも、いつも誰かに影で笑われているような気がしたんだよ。だから――俺は能力を鼻にかけて他人と接してばかりいた。笑われないようするには、それ以上の恐怖で他人を抑えつけることしかできなかった。強い自分を演じることで、その中に逃げていたんだ」
その話を聞いて、わたしはようやく思い至った。
目の前で語る晃くんはおそらく、『大人になれなかった少年』だ――そして、その心の傷を、異世界転生した後も引きずっている。
どうしてそうなってしまったのか――それは彼自身の責任によるものだろうか。それとも周囲の人間の無理解や社会がそうさせたのか。きっと考えても答えなんて出ないものだろう。
「そんなことをしていたらさ、いつのまにか、誰も相手してくれなくなって……。腫物のように扱われるか、露骨に煙たがるようになっていった。そうして生前と同じく――いや、生前以上に人生を転落して、気が付けばならず者の仲間入りさ」
そうして最後に流れ着いたのが、この盗賊団なのだろうか――
わたしは晃くんの話を聞いて、別の話を思い出していた。
平和に暮らしていた凡庸な人間、なのに、宝クジで一等が当たったばっかりに、人生を踏み外してしまったという話だった。
それほどまでに、晃くんの話と酷似していた。
もっとも、彼の場合は宝クジどころじゃなかったのだろう。金銭とは比べ物にならないほどの、人の手に余る力を手に入れてしまったばっかりに、二度目の人生すらも棒に振ってしまったのだった。
「最近になって、ようやく気付いたんだよ。俺は――力を手に入れても、中身がまったく変わっていなかったんだって。他人に臆病で、まともに誰かと本音でぶつかることもなく、ずっと逃げて引きこもっていたあの頃と……。
部屋のドアに隠れていたあの頃となんも変わっていない……。もしかしたらさ、俺のこの『瞬間移動能力』って能力も、そんな他人から逃げ出したい気持ちか形となったのかもしれないな……」
皮肉を嗤うように自嘲する晃くん。
そうして彼は――心の底を絞り出すように口にする。
「異世界転生なんて、大していいもんでもねえよ! 力だけ手に入れても……自分の心の弱さを抱えたまま生まれ変わったって――なんも意味なんかないんだよ!」
「…………」
わたしは黙って聞いていた。
晃くんたちが今まで盗賊団としてしてきたことは、決して許されるべきことじゃない。
けれど――それでもやはり、同情があった。
……人生は、生きていれば辛いことなんていくらでもある。
そんなときに、互いに支え合える人間、一緒に前を向いて歩いてくれる相手がいれば、乗り越えられることは多いだろう。
そんなささやかな出会いですら、晃くんはとうとう巡り合うことができなかったのだから。
生前でも、異世界転生した後でも――
例えば、あのファクトの村のみんなのような穏やかな人々が、少しでも彼に寄り添ってくれたのならば、彼はここまで道を踏み外すことはなかったのかもしれない。
わたしだって――シルフィたちと出会わなかったら、どうなっていたか分からない。
彼らと出会えたことで、わたしだって救われたのだ。
ならば――今度がわたしの番だ。
わたしは、この人に何ができるだろうか――
「他人が怖いっていったよね――」
わたしは彼に静かに語り掛けた。
「わたしはどうなの? あなたから見て、わたしは怖い?」
問いかけられた晃くんは、わたしの目を見て、そっと目を逸らした。
「ああ……怖いさ。どうせお前も、俺のことを馬鹿なやつって内心では笑っているんだろ」
「それは違うよ」
わたしはハッキリと否定した。
「わたしは、絶対にあなたのことを笑ったりなんかしない。
だって……あなたはずっと頑張ってきたんでしょ!
周囲からずっと奪われ続けて、一人でずっと藻掻き苦しみながらも……。
それでも……。それでもあなたは――自分から人生を手放すことだけはしなかったんでしょ?」
彼は最初、わたしに対して仲間にならないかと誘ってきた。
本当に他人が怖いだけなら、そんな言葉は決して口にはしない。
晃くんは心の奥底では求めていたのだ、自分を認めてくれる存在を――
足掻いていたのだ、弱い自分を変えたいって――
どんなに外道に落ちても、それでも自分を変えたがっていた。そんな風にみっともなくも足掻いてゆける存在を、わたしは決して馬鹿にしたりなんかしない。
わたしに問われた晃くんは、俯いてすすり泣いた。
やがて、絞り出すように口にする。
「俺は、どうすればいい……?」
わたしはしばし考え、冷静に言葉を選ぶ。
ゆっくりと諭すように語りかけた。
「落ち着いて聞いてね……。あなたが今までしてきたことは、到底許されることじゃない。
わたしは――これからあなたを村の人たちに引き渡す。
けれど、そこで行われる裁きが決して惨いものや、一方的なものにならないよう、全力を尽くして村の人たちを説得するから……」
「俺を――許してくれるのかよ」
「わたしにはその資格なんてない。あなたを許すのは、あなたが今まで迷惑をかけてきた人たちと――何より、あなた自身なの。
あなた自身が、今までの自分の人生を無駄に浪費させたことを悔いるのなら――そんな自分を許せないと思うなら――今度こそ、やり直そう!
ちゃんと罪を償って――異世界転生なんて方法じゃなくて、あなた自身の手で、本当の意味で人生をやり直すの!」
「具体的には……どうすりゃいいんだよ?」
わたしは優しく微笑んだ。
「村にいきましょ――そして、心から謝罪するの。
約束するのよ。力を正しく使うって。
今まで他人を虐げてきた力を、これからは多くの人を幸せにするために使うの。
そうして、今度こそ、ちゃんと他人に向き合って。
全部失って、どん底になった今だからこそ、誰もが馬鹿にできないくらい、前だけを向いてガムシャラに生きたらいい……。
そうやって、頑張って頑張って、最後まで生き抜けば――いつの日か、『ああ――異世界転生してよかった』って、心から笑える日が来ると思うから」
「……俺にできるかな?」
「できるよ。ほら、よく言うじゃない。『死ぬ気で頑張ればなんでもできる』って。簡単でしょ? だってあなた、もう一度は死んだ身じゃない」
そのとき、ぷっ、と晃くんが笑った。
「はは、それもそうか……。なあ、もう一度教えてくれよ」
晃くんはまっすぐにわたしの目を見つめて。
「あんたの名前、なんだったっけ……?」
「テイルよ。ただのテイル――」
「そっか……。ありがとう、テイル。俺は――お、俺は……」
そのとき、堪えていたものが決壊するように、晃くんの表情が崩れた。
ポロポロと大粒の涙をこぼす。
「俺は――誰かに、ここまで優しくされたことなんて……なかった……」
小さな子供のように落涙する晃くん。
そんな彼を、そっと包み込むようにわたしは抱き留めた。
さほど時間をかけず、彼は離れる。
その顔には悲しみの色はなく、晴れやかなものとなっていた。
「ありがとう、テイル。もう大丈夫だから……」
「よかった……。そうだ、ねえ、一つだけ教えて」
わたしは思い出したように尋ねた。
「あなたをこの世界に異世界転生させた存在は、何者なの? 『生前に果たせなかった思いを果たせ』って、一体誰に言われたの?」
そもそも異世界転生なんて、何者かの意思が介入しなければできないような芸当だ。
「それは――」
晃くんが何かを言おうとした、その時だった。
それまでから突然豹変したように、彼の表情が苦悶に満ちたものへと変わる。
「が、ぐ、うがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
尋常ならざる苦しみようだった。
目は見開き、血管は浮き出て、この世の終わりとばかりに絶叫する。
「晃くん!」
わたしは呼びかけるが、彼は応じない。
まるで見えない何かと話しているように、虚空に視線を彷徨わせている。
「ま、まって、くれ……。そんな、おれは、まだ……。い、いやだ――俺は、死にたくない! 死にたく――」
そうして、糸が切れたように背後に倒れ込む。
「晃くん――! あきら、くん……」
駆け寄るが、そこでわたしは止まった。
彼の身体は冷たくなっていたのだった。
「そ、そんな……」
シルフィも驚愕に立ち止まっている。
「死んでる……。ど、どうして……?」
震えながら問いかけるも、答えはいつまでも返ってはこなかった。




