第二十九話 交渉
(ホムラよ。)
庭の井戸で顔を洗っていると、突然背後から名を呼ばれる。
しかし振り返ってみても誰もいない。
「誰かいるのか?」
(こっちだ、そうそう、もう少し下。)
声につられて視線を降ろすと、そこには小さな白いトカゲの姿があった。
「…お前がしゃべっているのか?」
ウンウンと頷くトカゲ。
どうやら合っていたようだ。
話すトカゲとは珍しい。
だが…何故俺の名を知っているのか?
(まぁ座りなさい。)
ペシペシと小さな手で地面を叩き、座るよう促してくる。
態度の大きさに思わず笑ってしまうが、気を取り直して話しかける。
「貴方は…もしや噂に聞く"白竜の使者"殿かな?」
"白いトカゲは白竜の使者である。"
これは古くからこの地方に伝わる言い伝えである。
(まぁ、そのようなものだ。)
トカゲはそう答えるが、ここの村人は別に竜を畏怖している訳ではない。
我が家にいる親しみやすい黒竜、ベガのおかげだ。
白竜を見た者はこの村にはいないが、村人にとって竜は割と親しみやすい存在であった。
実際このトカゲが白竜の使者であるかも怪しいものだが、悪意をもっている訳ではなさそうだ。
急ぎの用事もない。
ホムラは座ってトカゲの相手をする事にした。
「そうでしたか。それで私に何かご用ですか?」
トカゲがこちらをじっと見つめてくる。
良く見ればその身体は虹色に淡く輝き、黒く大きな瞳は全てを見透かすように俺を捉えている。
───こいつは厄介な者に関わってしまったかな?
俺の直感がそう告げるが、もう遅い。
やがてトカゲは目を閉じて少し考え、小さく頷き言った。
(お前の腕を見込んで1つ頼みがあるんだ。ユウトに剣の稽古をつけて貰えないか?)
「ユウト君に稽古を?」
(あぁ。)
ユウト君は隣に住んでいる、アカリの幼馴染みだ。
よくアカリと遊んでくれている。
なぜトカゲがユウト君の稽古を頼んでくるんだろうか?
(ユウトと俺で、竜騎士になると決めたからな。)
どういうことかと思って構えて聞けば、トカゲは随分子供らしい話をする。
確かにユウト君の夢が竜騎士であることは、いつもアカリから聞いていた。
ユウト君の話をするアカリはとても楽しそうで、俺もその少年の夢を微笑ましく思っていた。
男子ならば一度はそのような英雄譚に憧れるものだ。
だが、ホムラは知っている。
実在する一人の竜騎士を。
彼を一言で言い表すならば"超人"。
それも人知を越えるほどの。
彼は生まれながらにして世界から選ばれたような男であり、憧れや努力でたどり着けるような存在ではないのだ。
そもそも────
「一つ聞くが…君は竜なのか?」
竜騎士は、竜の相棒を持ってこそ竜騎士と呼ばれている。
一言に竜といっても様々な種族がいる。
飛竜、地竜、水竜など。
竜について詳しくはないが、一応額に小さな角もついている。
地竜の子供であればこのような外見もありえるかもしれないが…
(いいや、まだトカゲだな。ユウトの年齢を考えると5年後には竜になっていたいところだが…なかなか厳しいな。)
苦笑するトカゲ。
トカゲが竜になるなど聞いたこともないが、どうやら"憧れ"で言っている訳ではない。
「…君は本気で言っているようだな。」
(あぁ、もちろんだ。)
「なぜ竜になりたがる?」
(ユウトの夢に寄り添うためだ。)
(君自身は竜になって…何をするつもりだ?)
竜とは強大な力を持った存在である。
総じて気難しいため人間に協力することはほとんどないが、場合によっては一匹で戦争の情勢を変化させるほどの力だ。
このトカゲはそんな存在になると言う。
そして俺の直感は、このトカゲならば"いつか竜になり得る"と告げている──────
静かに右腕に力を込める。
竜という制御不能な存在となり、この国を害する可能性があるのならばいっそ今ここで…
しばし考え込むと、トカゲは呟いた。
(…竜になっても何もしないさ。)
空を見上げ、しばし物思いにふける。
どこか儚げな空気を纏って。
(ただ、大切な人を守れるぐらいには強くなっておきたい。そんな想いはきっと…お前も同じだろ?)
トカゲの問いかけに言葉を失う。
俺に向ける困ったような笑顔を見ると、自然と腕の力が抜けた。
話せば話すほどおかしなトカゲだ。
普通、魔物とはもっと利己的な生き物だ。
それが例え竜だとしても。
己の欲求に正直に生き、やりたいことをやる。
しかしこのトカゲはどうだ?
少年の夢にまっすぐに向き合い、真剣に将来を見据え、そして大切な人を思う。
これではまるで、
人間のようではないか──────
コホンと一つ咳払いし、トカゲは語る。
(まぁ俺のことはどうでもいいのさ。今はユウトの事を頼みに来たんだ。)
「あぁ…そうだったな。稽古をつけて欲しいんだったか。」
(そう。見ての通り、俺はトカゲだからな。人間の動きを教えるのは無理がある。ユウトには人間の師匠が必要だと思うんだ。)
「それはその通りだな。ユウト君は何か武術の経験はあるのか?」
(きっとないな。ずっと我流でベガと相手に稽古をしているみたいだぞ。)
思わず苦笑してしまう。
ベガは速い。
目で追うのも困難な程に。
ベガに一本入れられる人間など、果たしてこの世に存在するのだろうか?
「なかなか…無茶なことをやっていそうだな。」
(だろ?俺にはよく分からんが、中々いい線いってるかも知れないぞ?)
トカゲがニッと笑う。
本当に表情豊かだ。
興味出てきただろ?
とトカゲは言う。
本当にその通りだ。
もはやこのトカゲとユウト君への興味は尽きない。
「そうだな。ユウト君は今何をしてるんだ?」
(きっと庭にいる。まだ一人で棒を振ってるはずだ。)
「なら早速見に行こう。そういえば君の名前は?」
(アルタイルだ。)
「良い名だ。俺はホムラ。」
「よろしくな、ホムラ。」




