表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/24

第9話:漆黒の甘酢から揚げと二人のサンプラー

翌日の昼休み。

本日のタッパーに詰め込んできたのは、お弁当おかずの裏ボス――『鶏のから揚げ(甘酢あん絡め)』だ。

ただの唐揚げではない。

初日に一ノ瀬さんに絶賛された唐揚げに、今回は甘酸っぱい特製あんと白ゴマをたっぷりと絡め、さらにご飯が進む仕様にアップデートした自信作だ。

蓋を開けた瞬間、いつものように二つの影が同時に俺の机へと殺到した。


「……高坂くん」

「ちょっと、高坂」


お互いに声を掛け合いながら、二人の女子が俺の机を挟んで並んだ。

一ノ瀬さんは相変わらず氷のような美貌で、甘酢あんがテカテカと輝く唐揚げを静かに見つめている。一方の千歳は、朝練上がりで猛烈にお腹が減っているのか、若干目がすわった状態でタッパーを凝視していた。


「……素晴らしいわ」


一ノ瀬さんはスッと人差し指を立て、厳かに口を開いた。


「初日のあの完成された唐揚げに、あえて酸味と甘みのコーティング(甘酢あん)を施してくるとは。これは……大衆肉料理における、さらなる進化の系譜アップデートね」


「だから一ノ瀬さん、いちいち表現が壮大なんだって」


「……ねえ高坂、この人さっきから何言ってるの?」


千歳が、少し引いたような目で一ノ瀬さんを見ながら小声で訊ねてきた。


「進歩の系譜って何? あと、高坂の唐揚げ、今日いつもよりめちゃくちゃ美味しそうなんだけど。白ゴマとかかかっちゃって」


「あ、昨日多めに揚げたから、甘酢あんにしてみたんだ。美味いぞ」


「……高坂くん」


会話に割り込むように、一ノ瀬さんがスクールバッグから厳かに小さな木箱を取り出した。


「今日の私は、その『甘酢』という糖分と酸味の黄金比に対し、一ノ瀬家としての等価交換の品を選定してきたわ。……熟成20年の最高級鎮江香酢ちんこうこうずよ。それをその……茶色く輝く肉塊に一滴垂らしなさい。そして、私に二個、譲渡するのよ」


「一ノ瀬さん、本当に毎度申し訳ないんだけど、うちの普通の穀物酢で作ったタレで味は完成してるんだよ。20年熟成のやつを上から足したら、さすがに濃すぎて全体のバランスが破綻しちゃうから」


俺が即座に押し返すと、一ノ瀬さんは「くっ……! またしても私のヴィンテージ調味料が……っ!」と、信じられないものを見るような目で俺のタッパーを見つめた。


「……あの、一ノ瀬さん?」


千歳が、恐る恐るという風に手を挙げた。


「よく分かんないですけど、高坂の料理って、そのまま食べるのが一番美味しいですよ? 余計なもの足さない方がいいっていうか……。あ、それより高坂、私にも一個ちょうだい。幼馴染の特権ってことで!」


千歳は俺の机の上から、自然な動作で予備の割り箸をすっと奪い取った。


「待ちちなさい、千歳さん!」


一ノ瀬さんの鋭い声が響く。


「その箸は……私が今日の『アップデートされた肉料理』の構造解析に使うために、高坂くんが用意してくれたものよ! あなたが許可なく消費していいものではないわ!」


「えっ!? なんで一ノ瀬さんが怒るの!?」


千歳は目を丸くして驚いている。


「私、高坂とは10年の付き合いだし、今すごくお腹空いてて……。高坂、一個いいよね?」


「駄目よ、高坂くん! 彼女にそんな大きな塊を渡したら、今日の私のサンプリングデータが著しく減少してしまうわ! 昨日の『そぼろ』の時にも言ったけれど、付き合いの長さなど、私のデータ解析の前には何の意味も持たないのよ!」


「ええっ!? 昨日も思ったけど、お弁当食べるのにデータとか関係ないじゃん! どんだけ頑固なのよ、このお嬢様!」


「が、頑固などではないわ……! これは、一ノ瀬家としての……効率的なカロリーの、その、再分配よ……っ!」


一ノ瀬さんは顔を真っ赤にして必死に言い訳を取り繕うが、視線はやっぱり唐揚げから離れていない。千歳は千歳で、「もう、何でもいいから食べさせてよー」と、箸を持ったままタッパーとの距離をじりじりと詰めてくる。

クラスの男子たちは「おいおい、高坂のやつ、一ノ瀬さんと幼馴染の二人に迫られて修羅場かよ……」と遠巻きにヒソヒソ噂しているが、違うんだ。

二人の頭の中は、今、「どうやってあの甘酢唐揚げを自分の口に運ぶか」、それしかない。


「……あー、もう、分かったから! 唐揚げは4個あるから、二人に1個ずつあげるよ! それで手を打ってくれ!」


俺が観念してそう言うと、二人はピタッと動きを止め、同時に俺のタッパーを見つめた。


「……交渉成立ね、高坂くん。あなたのその寛大な再分配に感謝するわ」


「やった! 高坂、大好き!」


一ノ瀬さんは手慣れた仕草で、一番あんが綺麗に絡んでいる唐揚げを慎重に箸でつまみ、小さな口へと運んだ。

千歳も嬉しそうに、大きめの一角をパクッと口に放り込む。


サクッ……もぐもぐ、もぐもぐ……。


二人の動きが、同時にピタッと止まった。

数秒の後、一ノ瀬さんの白い頬がじわじわと至福の桜色に染まり、千歳は「んんーっ!」と悶絶するように目を輝かせた。


「……素晴らしいわ……っ」


一ノ瀬さんは、両手で優しく口元を押さえながら震えていた。


「酸味の奥にある、この白ゴマの香ばしさと肉の旨味……。冷めてもなお、衣がタレを吸って絶妙なジューシーさを保っているわ……っ!」


「うっま! 高坂、これ天才! 完全に米が進むやつじゃん!」


千歳はすでに俺のタッパーの白米(タレが染みた部分)を、羨ましそうに凝視している。


「米はあげないからね。俺の午後のエネルギーなんだから」


一ノ瀬さんは、名残惜しそうに自分の高級調味料を見つめ、それからスッとバッグにしまい込んだ。


「今日のアップデート調査も、極めて驚異的な結果だったわ。……高坂くん、明日は……そうね、もっと『幾重にも重ねられた』要素がある、地層のようなおかずを期待しているわ」


「だからリクエストするなって!」


「ねえ、明日は私の大好物の生姜焼きにしてよ高坂ー」


「千歳も便乗して注文すんな!」


二人の女子のズレたリクエストを浴びながら、俺は嵐のような昼休みが過ぎ去っていくのに、深くため息をつくのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ