第7話:ミステリアスな包容力と未知の空洞調査
「包み込まれた、中身が見えないミステリアスなおかず」
昨日、一ノ瀬さんが残していったそのSF映画の敵役のようなリクエストに対し、俺が今朝の台所で用意したのは、これまたお弁当のおかずとしては絶対的な戦闘力を誇る、あの王道中華だった。
昼休みのチャイムが鳴り響き、俺がいつものようにタッパーの蓋を開けると、間髪入れずにいつもの綺麗な影が俺の机に落ちた。
「……高坂くん」
一ノ瀬葵は、今日も今日とて寸分の狂いもないポーカーフェイスで俺の前に立っていた。その視線は、すでにタッパーの中に並ぶ、きつね色に揚がった細長い物体へと釘付けになっている。
「……これが、あなたの用意した『包み込まれたミステリアス』ね。確かに、外側からは強固な小麦の衣に阻まれて、中に何が隠されているのか全く視認できないわ。まるで、中身を暴かれるのを拒むピラミッドのようね」
「一ノ瀬さん、それはただの『春巻き』だよ」
本日のメインは、パリパリの皮の中に、キクラゲ、豚肉、タケノコ、春雨などを炒めてとろみをつけた餡をギュッと閉じ込めた、自家製の春巻きだ。冷めても皮のクリスピー感が失われないよう、朝からじっくり二度揚げしてきた自信作である。
「はる、まき……。春を巻く、というその風流な名前に反して、なんと重厚で香ばしい存在感かしら……!」
一ノ瀬さんは、その名前の響きすらも分析するように呟いた。
「知っているわ。中華料理における点心の代表格。薄い皮の中に熱々の餡を閉じ込め、食べる者の口内を火傷の危機に陥れるという、極めて攻撃的な包囲料理ね」
「お弁当用だから、もう中身は落ち着いてるけどね。あと攻撃的じゃないから、美味しいから」
俺が箸で春巻きを一本持ち上げると、カサッ、という皮同士が擦れる小気味いい音がした。それと同時に、餡に隠されたごま油と醤油のそそる香りが、皮の隙間からほんの少しだけ漏れ出して教室に広がる。
その瞬間、一ノ瀬さんの喉が「ゴクリ」と小さく、しかし深いため息のように鳴った。
「……高坂くん。今日の私は、その『密閉された餡』の油分を完全に制御するため、一ノ瀬家の威信をかけた等価交換の品を選定してきたわ」
一ノ瀬さんはフンスと自信たっぷりに胸を張ると、スクールバッグから、これまた見たこともない小さなガラスの小瓶を取り出した。
「これを受け取りなさい。モロッコ産、最高級の有機アルガンオイル(食用)よ。その、きつね色に固められた皮の表面に、この至高のオイルを数滴、なじませなさい。そして、その『春巻き』を一本、私に割譲するのよ」
「一ノ瀬さん、本当に毎度毎度申し訳ないんだけど、春巻きの皮は今、油をしっかり切ってパリパリの状態を保ってるんだよ。そこにさらに高級とはいえ追加のオイルを塗ったら、ただの油ギッシュなふにゃふにゃの棒になっちゃうから! あと、春巻きには何もつけないか、せいぜい普通の和からしが一番合うの!」
俺が即座に小瓶を押し返すと、一ノ瀬さんは「な、何ですって……!? 私の用意した至高の油分が、その……数十円の皮で包まれただけの質量に弾かれるというの……っ!?」と、愕然とした表情で俺のタッパーを見つめた。
「どうして……! ミステリアスな中身に対して、私が用意した完璧な外側のドレスアップが、どうしてその……庶民の点ルール(点心)の前にひれ伏さなければならないの……っ!」
「だから油に油を足すなと言っているんだ! バランスだよ、バランス!」
一ノ瀬さんは顔を真っ赤にして、持ってきたアルガンオイルの小瓶をぎゅっと握りしめた。
食べたい、けれど無償で貰うのはプライドが。しかし等価交換はまたしても「庶民の中華ルール」の前に完全敗北。彼女の頭の中で、プライドと食欲の終わりなきシュールな防衛戦が、本日も超高速で演算されている。
「……半分」
長きにわたる葛藤の後、一ノ瀬さんは消え入りそうな、だけど絶対に譲らないという強い眼差しで、俺の春巻きを凝視した。
「その、強固に密閉された皮を突破し、中の餡がどのようにしてその空間を支配しているのか……私に調査させなさい。これは……そう、未知の空洞における構造解析調査よ」
「……構造解析なら、まあ、サンプルを提供するよ。はい、いつもの箸」
俺が予備の割り箸を渡すと、一ノ瀬さんはもはや手慣れた仕草でそれを受け取り、パキッと綺麗な音を立てた。
彼女は俺のタッパーから、春巻きを一本つまみ上げると、それを真ん中で綺麗に半分に割り、断面をじっと見つめた。中からとろりとした餡が顔を出す。
「では、失礼するわ……」
一ノ瀬さんは、小さな口で春巻きの半分をパクリと口に運んだ。
パリッ……。
もぐもぐ、もぐもぐ。
一ノ瀬さんの動きが、完全に停止した。
数秒の後、彼女の綺麗な瞳が限界まで見開かれ、その氷の令嬢の表情が、一瞬で至福の衝撃によってとろとろに崩壊した。
「な……何、この、皮の圧倒的なクリスピー感と、中から溢れ出す餡の濃厚な旨味は……っ!」
一ノ瀬さんは、両頬を薔薇色に染めながら、まるで奇跡の瞬間を目撃した巡礼者のように震えていた。
「冷めているのに、どうしてこれほど中の具材がジューシーで、かつ一体感を持っているの……! 我が家のディナーで供される、フレンチのパイ包み焼きとは全く違う、ダイレクトに脳の快楽中枢を刺激する美味さよ……っ! この、タケノコのシャキシャキとした食感のアクセントも、計算され尽くしているわ……っ!」
「だからお嬢様、落ち着いて。気に入ってくれたなら何よりだけど」
俺が苦笑しながら言うと、彼女はハッと我に返り、残りの半分も名残惜しそうに見つめながら、一気に口へと運んだ。
もぐもぐ……。
「……くっ、白米……! 白米を……っ!」
一ノ瀬さんは、あまりの美味さと自分のプライドの狭間で悶絶するように、自分の口元を優しく押さえた。春巻きの、冷めてもなお力強い旨味が、彼女の洗練された味覚をこれでもかと蹂躙したようだった。
「だろ? 春巻きも、白米の最強の相棒だからね」
一ノ瀬さんは、自分の前にあるお洒落なデリを恨めしそうに見つめながら、ふぅ、と深く、長いため息をついた。そして、アルガンオイルをバッグの奥底へとしまい込む。
「今日の構造解析調査も、極めて驚異的なデータが得られたわ。……高坂くん、明日は……そうね、もっと『敷き詰められた』要素がある、白い大地を覆い尽くすようなおかずを期待しているわ」
「だからリクエストするなって! あと、白い大地(白米)を覆い尽くすおかずって、それもうただの丼もの類だろ!」
俺の至極真っ当なツッコミを背中で華麗に受け流しながら、一ノ瀬さんは満足げに、勝利のパレードを行う女王のような足取りで去っていった。




