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第5話:青い海の要素と水産資源のサンプリング調査

「青い海の要素が含まれたおかず」

昨日、一ノ瀬さんが残していったその難題を、俺は朝の台所で腕を組みながら考えていた。海は青いが、おかずになればだいたい茶色くなる。それは調理における絶対の真理だ。

悩んだ末に俺がタッパーに詰め込んできた、本日の「海の幸」は――。


「……高坂くん」


昼休みのチャイムと同時に、寸分の狂いもなく俺の席の前に影が落ちた。

クラスの連中も、もはやこの光景を「昼の定時連絡」とでも思っているのか、生温かい目で見守るスタイルに移行しつつある。

一ノ瀬さんは、いつも通り完璧なポーカーフェイスで俺の机の上を見下ろしていた。


「……これは、何かしら。確かに『海の幸』の香りはするけれど、私の知るブイヤベースや、オマール海老のジュレとは、形状も色彩も著しくかけ離れているわ」


「一ノ瀬さん、それはただの『鮭の塩焼き』だよ。あと、隙間にねじ込んであるのは『ちくわの磯辺揚げ』ね」


本日のメインは、絶妙に脂の乗った鮭の切り身をじっくりグリルで焼き上げ、皮目をパリッとさせた一品。そして、青海苔の香りが香ばしい、ちくわの磯辺揚げ。

彩りとしてこれ以上ないほど「茶色と緑」だが、白米との相性においては最強の布陣だ。


「さけのしおやき……。そして、ちくわ、の、いそべあげ……」


一ノ瀬さんは、その名前を難解な古文書の記述を読み解くかのように呟いた。


「知っているわ。鮭の塩焼きは、日本の伝統的な朝の食卓を支配する定番の魚料理。そしてちくわの磯辺揚げは、衣に青海苔という『海の植物』を混ぜ込んで揚げるという、非常に理にかなった大衆揚げ物ね。……なるほど、これがあなたの言う『おかずになったら茶色くなる』の答えというわけね」


「そうそう。一ノ瀬さんの言う『青い海』の要素は、このちくわの青海苔が全力で表現してくれてるから」


俺が箸で鮭の身をほぐすと、中から綺麗なピンク色の身が現れ、程よい塩気と香ばしい匂いが周囲に広がった。

その瞬間、一ノ瀬さんの喉元が、これまでにないほど大きく「ゴクリ」と動いた。


「……高坂くん。今日の私は、その『塩気』と『油分』のバランスを考慮し、一ノ瀬家の総力を挙げた等価交換の品を用意したわ」


一ノ瀬さんはフンスと自信満々に鼻を鳴らし、スクールバッグから、ベルベットの小さな巾着袋を取り出した。


「これを受け取りなさい。イラン産、最高級のプレミアム・ブルーソルト(岩塩)よ。その、ちくわという不思議な空洞のある物体に、この青い塩の結晶を振りなさい。そして、その鮭の皮目の一番美味しそうな部分を私に割譲するのよ」


「一ノ瀬さん、だからさぁ……。鮭にはすでに絶妙な塩加減が施されてるし、ちくわの磯辺揚げは青海苔と衣の塩気だけで完成してるんだよ。そこにさらに世界最高峰の塩を追加したら、ただの塩分過多で午後からの授業中に喉がカラカラになるだけだから」


俺が即座に巾着袋を押し返すと、一ノ瀬さんは「な、何ですって……っ!?」と絶望したように目を見開いた。


「どうして……! 青い海のリクエストに対して、私が用意した最高峰の『青い塩』が、どうしてその……1袋100円前後で買えそうな、すり身の穴あき加工食品ちくわに敗北しなければならないの……っ!」


「いや、値段の問題じゃないんだって。料理には全体のバランスっていうものがあるの!」


一ノ瀬さんは顔を真っ赤にして、持ってきたブルーソルトをぎゅっと握りしめた。

食べたい、けれど無下に貰うのはプライドが。しかし等価交換はまたしても「庶民の弁当バランス」の前に撃沈。彼女の頭の中で、プライドと食欲の終わりなきシュールな防衛戦が、再び超高速で回り始める。


「……一切れ」


長きにわたる沈黙の後、一ノ瀬さんは今にも消えそうな、だけど絶対に譲らないという強い眼差しで俺のタッパーを見つめた。


「鮭の身を……ほんの少しと、その、ちくわの磯辺揚げというものを半分、私に譲渡しなさい。これは……そう、水産資源の適正なサンプリング調査よ」


「……サンプリング調査なら、まあ、データ提供するよ。はい、いつもの箸」


俺が予備の割り箸を渡すと、一ノ瀬さんはもはや手慣れた仕草でそれを受け取り、パキッと綺麗な音を立てた。

彼女は俺のタッパーから、まずはちくわの磯辺揚げを半分にちぎり、小さな口へと運んでいった。

サクッ……もぐもぐ。

一ノ瀬さんの動きが、完全にフリーズした。

数秒の後、彼女の綺麗な瞳が大きく見開かれ、その氷の仮面が、一瞬で至福の衝撃によって崩壊した。


「な……何、この、衣の軽快さと、青海苔の磯の香りの爆発力は……っ!」


一ノ瀬さんは、頬を薔薇色に染めながら、まるで未知の天体を発見した天文学者のように震えていた。


「ただの練り物だと思っていたのに、油で揚げられることで、旨味が数倍に凝縮されているわ……! 我が家のディナーで供される、白身魚のポワレ・ノアゼットソースとは全く違う、ダイレクトに脳の快楽中枢を刺激する美味さよ……っ!」


「だからお嬢様、落ち着いて。まだ鮭が残ってるから」


俺が苦笑しながら促すと、彼女はハッと我に返り、今度はほぐした鮭の身を、これまた慎重に口に運んだ。

もぐもぐ……。


「……くっ、白米が……! 白米が、恋しいわ……っ!」


一ノ瀬さんは、感動と悔しさが混ざったような表情で、自分の口元を優しく押さえた。鮭の塩気と脂が、彼女の洗練された味覚をこれでもかと蹂躙したようだった。


「だろ? 鮭とちくわは、白米の最強の相棒なんだよ」


一ノ瀬さんは、自分のタッパー(の中の白米)を恨めしそうに見つめながら、ふぅ、と深く、そして満足げなため息をついた。そして、ブルーソルトをバッグの奥底へとしまい込む。


「今日のサンプリング調査も、極めて驚異的な結果だったわ。……高坂くん、明日は……そうね、もっと『畑の恵み』を感じられる、大地の茶色い要素が含まれたおかずを期待しているわ」


「だからリクエストすんなって! あと、大地の茶色いおかずって、それもうただのいつもの俺の茶色い弁当だからな!」


俺の至極真っ当なツッコミを背中で華麗にスルーしながら、一ノ瀬さんは満足げに、勝利した将軍のような足取りで去っていった。

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