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第4話:卵焼きの出汁とプライドの天秤

「卵を使った黄色の要素が含まれたおかず」

昨日、別れ際に一ノ瀬さんが言い残したリクエスト(という名の命令)が、朝からずっと頭の片隅に引っかかっていた。

だが、ここは俺の昼飯の領土だ。お嬢様の言いなりになってばかりでは、弁当男子のプライドが廃る。

というわけで、本日のタッパーに詰め込んできたのは――。


「……高坂くん」


昼休みのチャイムとほぼ同時に、影が差した。

もはやクラスの誰もが「あ、また始まった」という目でこちらを見ているが、一ノ瀬さんは一切気にする様子もない。

彼女の鋭い視線は、蓋を開けたばかりのタッパーに突き刺さっていた。


「……これは、何かしら。確かに私の要望通り『黄色』ではあるけれど……私の知るエッグベネディクトやキッシュとは、形状があまりにも違いすぎるわ」


「一ノ瀬さん、それはただの『卵焼き』だよ」


本日のメインは、あえての卵焼き。

しかも、お洒落な形に整えられたものではない。出汁と醤油と砂糖を混ぜて、卵焼き器で豪快に巻き上げた、断面からじわっと汁が染み出すような、実家感あふれる茶色みがかった黄色い塊だ。それが隙間なくギチギチに詰められている。


「たまごやき……。卵液を幾重にも重ねて巻き上げるという、あの職人技を要する伝統料理ね」


「いや、ただ朝の眠い目をこすりながら適当に巻いただけだけど」


俺が箸で一切れを持ち上げると、ぷるんとした弾力とともに、出汁の優しい香りがふわりと教室の空気に混ざった。

その瞬間、一ノ瀬さんの喉が小さく動いた。


「……高坂くん。今日の私は、卵料理に対して完璧な備えをしてきたわ」


一ノ瀬さんはフンスと鼻を鳴らし、スクールバッグから厳かに小さな木箱を取り出した。


「これを受け取りなさい。イタリア・アルバ産、最高級の白トリュフソルトよ。それをその……少し形が歪な黄色い塊に振りなさい。そして、それを二切れ、私に差し出しなさい」


「一ノ瀬さん、何度も言うけど、この卵焼きには、うちのばあちゃん直伝の出汁と砂糖の甘みがすでに完璧な比率で付いているんだよ。トリュフの香りは喧嘩するから絶対にダメだ」


俺が即座に机の上から木箱を押し返すと、一ノ瀬さんは「くっ……!」と声を漏らし、悔しそうに拳を握りしめた。


「どうして……どうして私の最高級調味料は、あなたのそのチープなプラスチック容器の前で、ことごとく無力化されてしまうの……っ!」


「いや、チープって言うな。機能性抜群なんだから。っていうか、そのまま食べればいいじゃん」


「ただで恵んでもらうなど、一ノ瀬のプライドが許さないわ!」


一ノ瀬さんは顔を真っ赤にして、ぷいっと横を向いた。

食べたい、でもタダで貰うのは嫌だ、しかし高級食材との等価交換は断られる。

彼女の頭の中で、プライドと食欲の終わりなき不毛な演算が、再び凄まじいスピードで回り始めているのが見て取れた。


「……一切れ」


しばらくの沈黙の後、一ノ瀬さんは消え入るような声で、だけど強い眼差しで俺を凝視した。


「一切れでいいわ。その、お祖母様直伝という、未知の出汁の配合を……私に分析させなさい。これは、食文化のフィールドワークよ」


「……フィールドワークなら仕方ないな。はい、予備の箸」


俺がいつものように箸を差し出すと、一ノ瀬さんはサッとそれを受け取り、パキッと綺麗な音を立てた。

彼女は俺のタッパーから、まるで壊れやすいガラス細工を扱うように慎重に卵焼きを一切れつまみ上げると、小さな口をめがけてそっと運んでいった。

はむっ。

上品に一口噛み切った瞬間、一ノ瀬さんの動きが完全にフリーズした。

数秒の後、彼女の長い睫毛が細かく震え、その氷のような表情が、まるで春の雪解けのように、じわじわと、至福の甘さで蕩けていく。


「ん、んん……っ!」


一ノ瀬さんは、両手で自分の頬を包み込むようにして身悶えした。


「甘い……。だけど、奥から押し寄せるこの深い旨味は何……!? 我が家で出てくる、トリュフ入りのオムレツのような気取った味じゃない……! なのに、この実家に帰りたくなるような、圧倒的な安心感に満ちた美味しさは一体何なの……っ!」


「一ノ瀬さん、君の実家はここより大豪邸だと思うけどね」


まあ、じいちゃんとばあちゃん直伝の味付けだから、安心感があるのは間違いない。

一ノ瀬さんは残りの半分も名残惜しそうに口に運ぶと、ふぅ、と深く満たされたようなため息をついた。そして、サッと白トリュフソルトをバッグに回収する。


「今日のフィールドワークも、極めて有意義だったわ。……高坂くん、明日は……そうね、もっと『海の幸』を感じられる、青い海の要素が含まれたおかずを期待しているわ」


「だからリクエストするなって! あと海は青いけど、おかずになったらだいたい茶色くなるからな!」


俺の至極真っ当なツッコミを背中で無視しながら、一ノ瀬さんは満足げに、まるで行進する軍人のように堂々と去っていった。

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