第20話:無限のキャンバスと崩壊する専属シェフ
ゴォォォォォ……ッ!!!
厨房内に、家庭では絶対に聞くことのない暴風のような排気音と、業務用バーナーの激しい青い炎が吹き荒れる。
「な、なんて火力……! 火の悪魔が鍋を包み込んでいるわ……!」
一ノ瀬さんがコックコートの裾を握りしめ、目を見張る。
「高坂、なんか凄ーい! 中華料理屋さんみたい!」
千歳が目を輝かせて調理台の柵に身を乗り出していた。
そんな興奮する二人の後ろで、腕を組み、冷ややかな視線を送る一人の男がいた。
一ノ瀬家専属総料理長——シャルル・ピエール。パリの星付きレストランで腕を振るい、幼少期から一ノ瀬葵の食を支えてきたプロ中のプロだ。
(……ふん、お嬢様がやたらと買っている男子高校生かと思えば……所詮は素人の気まぐれ料理。我が一ノ瀬家の中華鍋と業務用火力、そしてA5ランクの最高級肉を扱いきれるはずが——)
シェフが心の中で鼻で笑った、まさにその瞬間だった。
(よし……この火力なら、一瞬で米の表面を焼き固められる!)
高坂大樹の動きが変わった。
プロ用の重い鉄製中華鍋に、細かく刻んだA5ランク松阪牛の脂身を投入。サッと熱を通し、肉の旨味が詰まった最高級の脂を均一に行き渡らせると、間髪入れずに溶き卵と温かいご飯を流し込んだ。
ガコンッ! ガコンッ! ガコンッ!
重厚な鉄鍋が、まるで高坂の手の一部のようにリズミカルに舞う。
一瞬の迷いもない鮮やかな鍋煽り。米の一粒一粒が宙を舞い、高火力の熱風と上質な牛脂のヴェールを纏って、黄金色にパラパラと解けていく。
(な……なんだあの手返しは!? 無駄な動きが1ミリもない……! 加熱による米の水分変化を完璧に手元で感知しているというのか!?)
シェフの額から、ダラリと冷や汗が吹き出た。
仕上げに鍋肌から一回しの醤油。
ジュッ……! という香ばしい香煙が爆発的に広がり、大皿に美しく盛り付けられた『高火力・黄金松阪牛炒飯』が完成した。
「さあ、できたてだ。冷めないうちに食ってくれ」
大皿をテーブルの中央に置くと、二人はすでに手にしていたスプーンを同時に伸ばし、豪快に口へと運んだ。
ハフッ……もぐもぐ……もぐもぐ……ッ!
「……っ!!!」
「うっま……!! なにこれ高坂ぁぁぁ!!」
二人が悶絶し、猛烈な勢いでスプーンを動かしていく。
その光景に耐えかねたシェフは、我慢できずに小さな取り皿へ炒飯を少量すくい取り、己の口へと運んだ。
(バカな……この私が、素人の炒飯などに……ッ! んぐ……!?)
口に入れた瞬間、シェフの脳内に衝撃が走った。
パラリと口の中で解ける米粒。表面は芳ばしく焼き固められているのに、中は驚くほどふっくらと瑞々しい。A5ランク肉の重くなりがちな脂が、最低限のラード代わりに計算し尽くされて旨味へと昇華されている。
(くっ……! 高級食材の主張に溺れず、家庭的な『炒飯』としての最適解を完璧な火入れで叩き出している……! この私が……一ノ瀬家の総料理長であるこの私が、高校生の『まかない炒飯』に……敗北したというのか……っ!!)
「……シェフ、理解していただけたかしら?」
一ノ瀬さんが上品に口元を拭きながら、胸を張った。
「これが、私が毎日学校でサンプリングしている高坂くんの『アルゴリズム』よ」
「……」
シェフはガタガタと膝を震わせ、かぶっていた真っ白なコック帽を静かに脱いだ。
「……見事です、高坂様。私のプライドなど、この一皿の前に微塵も残りません……! 完璧な火入れでした……っ!」
「いや、シェフさん、そんな勝負したつもりはないんだけど……」
プロの料理人のプライドを木っ端微塵に打ち砕いてしまったことに、高坂くんは猛烈に恐縮しながら、綺麗に空になった大皿を下げるのだった。




