第16話:令嬢の黒い衝撃と冷や汗の構造解析
「……約束通り、持ってきたわ」
テスト明け最初の昼休み。
俺の机の前に現れた一ノ瀬葵の手には、いつも持っている高級デリのバッグではなく、一ノ瀬家の家紋が金泥で彫り込まれた、見事な三段重ねの漆塗りの重箱が握られていた。
「おいおい一ノ瀬さん、それ、お弁当のサイズ超えて完全に正月のおせち料理のやつじゃん」
俺がツッコむと、一ノ瀬さんはフンスと鼻を鳴らし、机の上に重箱を厳かに置いた。
「勘違いしないで頂戴、高坂くん。これはただのお弁当ではないわ。これまでのあなたの弁当データを我が一ノ瀬家のデータセンターで徹底的にプロファイリングし、栄養学、色彩学、そして大衆心理学の観点から『完璧』と導き出した、私なりの構造解析の結晶よ」
「わあ、一ノ瀬さん本当にお弁当作ってきたんだ! すごい!」
赤点をギリギリで回避して上機嫌の千歳が、マイスプーンを片手に横から覗き込む。
「さあ、開廷の時よ。驚きなさい」
一ノ瀬さんが、流れるような手つきで重箱の第一段の蓋を開けた。
そこにあったのは――。
「「……茶色い」」
俺と千歳の声が見事にハモった。
重箱の第一段を埋め尽くしていたのは、見事なまでに一点の曇りもない『漆黒に近い茶色の塊』の数々だった。緑の彩りも、黄色のアクセントもない。あるのは、濃厚なタレをまとった何かだけだ。
「一ノ瀬さん……これ、何?」
俺が恐る恐る尋ねると、一ノ瀬さんは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「ふふ、驚くのも無理はないわ。これまでのデータから、高坂くんの弁当が白米を最も消費させる瞬間は『茶色いタレの濃度』にあると断定したのよ。だから私は、最高級のA5ランク松阪牛の薄切り肉を使い、それをさらに『一ノ瀬家秘蔵の熟成八丁味噌と特製生姜醤油』でトコトン煮詰め、仕上げにトリュフオイルで香り付けしたわ。名付けて『ハイパー・ディープ・ブラウン・ミート』よ!」
「いや、ただの『めちゃくちゃ高級な牛の生姜焼き』だろこれ!!」
俺のツッコミが教室に響く。
「え、でも一ノ瀬さん、これお肉が縮んでカチカチになってない……?」
千歳が野生の勘で鋭い指摘をする。
「えっ……?」
一ノ瀬さんがハッと目を見開いた。
「し、縮んでいる? そんなはずはないわ。私は完璧な熱量計算に基づき、フライパンで強火で15分間、徹底的に滅菌を兼ねて加熱を――」
「肉を強火で15分も煮詰めたら、A5ランクの松阪牛だろうが何だろうがゴムみたいに硬くなるわ! 旨味が全部タレに逃げ出してるじゃん!」
俺が頭を抱えると、一ノ瀬さんは「な、何ですって……!? 滅菌と味の凝縮を両立させたはずなのに……っ!」と、みるみるうちに顔を真っ赤にして激しく動揺し始めた。
「じゃ、じゃあ第二段よ! 第二段は完璧なはずよ!」
焦った一ノ瀬さんが、二段目の蓋を勢いよく開ける。
そこにあったのは、ピシッと並んだ金色の長方形。
「あ、卵焼き! これは綺麗じゃん!」
千歳が声を弾ませる。確かに、見た目は美しい黄金色の卵焼きだ。
「ふん、そうでしょう。これはあなたたちのリクエストにあった『幾何学的な四角』と『甘み』を両立させるため、比内地鶏の卵を贅沢に6個使用し、一ノ瀬家の和食料理長監修のもと、完璧なグラデーションで巻き上げたわ。ただし、お弁当としての付加価値をつけるため、中に『最高級キャビア』をこれでもかと一列に巻き込んであるわ!」
「いや、なんで卵焼きにキャビア入れちゃうかなぁ!!」
俺は思わず机を叩いた。
「だし巻き卵の優しい出汁の甘みと、キャビアの強烈な塩気と磯の香りが口の中で大喧嘩するだろ! 想像しただけで生臭いわ!」
「な……っ! 最高級と最高級のドッキングよ!? 合算して200点になるはずよ!」
「料理は足し算じゃねえって、あれほど言っただろ!」
一ノ瀬さんは「う、嘘よ……私の計算が、大衆の味覚の前に崩れ去るなんて……っ」と、今にも泣きそうな顔で重箱を見つめている。完璧無欠の令嬢が、完全に自信を喪失していた。
その様子を見ていた千歳が、ふぅと小さくため息をつき、俺の机から予備の箸をすっと取った。
「もー、しょうがないなぁ。一ノ瀬さん、そんなに落ち込まないでよ。料理はデータじゃなくて、食べてナンボでしょ? ほら、千歳ちゃんが毒見してあげるから!」
千歳はそう言うと、カチカチになった松阪牛の『ブラウン・ミート』を一切れ箸でつまみ、豪快に口に放り込んだ。
もぐもぐ、もぐもぐ……。
千歳の動きが、ピタッと止まる。
一ノ瀬さんがゴクリと喉を鳴らし、不安そうに千歳の顔を見つめた。
「……どう、かしら、千歳さん。やっぱり、硬くて、破綻しているかしら……」
千歳はしばらく無言で噛み締め、それから、ふっと目を見開いて叫んだ。
「……あ、アゴはめちゃくちゃ使うけど、味は死ぬほど美味しい!! ご飯! 高坂、ご飯ちょうだい!!」
「えっ!?」
「お肉は確かにちょっと硬いけど、この八丁味噌とトリュフのタレが、お肉の脂と絡まってめちゃくちゃ濃厚で、ご飯にめちゃくちゃ合う! 一ノ瀬さん、これ、お弁当としてはアレだけど、男の子が絶対好きな『ド濃い味』だよ!」
千歳は自分のタッパーの白米を猛烈な勢いでかき込み始めた。
「え……? 本当、なの……?」
一ノ瀬さんの瞳に、じわっと光が戻る。
「どれ、俺にも一口ちょうだい」
俺も箸を伸ばし、キャビア入りの卵焼きを食べてみた。もぐもぐ。
「……あー、なるほど。キャビアの塩気が強いけど、卵の出汁が限界まで甘くしてあるから、これ、あれだ。高級な『ウニクラゲ』とか『塩辛』をおかずにご飯食べてるみたいな感覚になる。これはこれで……アリだな。お茶漬けにしたいくらいだ」
「高坂くん……!」
一ノ瀬さんの白い頬が、いつもの「貰い食いの至福のピンク」ではなく、純粋な「嬉しさ」でポッと赤くなった。
「ふ、ふん、当然よ。一ノ瀬家のデータ解析が、完全に外れるわけがないわ。……でも、そうね。高坂くんの言う通り、肉の加熱時間と、塩分のレイヤリング(配分)に関しては、私の修正の余地があることを認めざるを得ないわ」
一ノ瀬さんはツンと胸を張りつつも、どこか嬉しそうに自分の重箱を見つめた。
「よし、じゃあ今日の昼休みは、この『一ノ瀬弁当の修正会議』だな。肉を柔らかく仕上げるための火加減、教えてあげるよ」
「……指導料として、明日はあなたの『緑の野菜が主役になるおかず』をサンプリングさせてもらうわ」
「ちゃっかりリクエストに戻るな!」




