第13話:真紅の熱帯夜と迫り来る赤点の影
「情熱的に燃え上がる、真っ赤で少し刺激的なおかず」
昨日、一ノ瀬さんが残していったそのパッション溢れるリクエストに対し、俺が今朝のフライパンで豪快に炎を上げながら作ってきたのは、お弁当に入っているだけでテンションが爆上がりする中華の王道――『エビのチリソース炒め(エビチリ)』だ。
片栗粉をまぶしてプリプリに炒めたエビに、ケチャップ、豆板醤、ニンニク、生姜、そして隠し味に少しのハチミツを加えた特製チリソースをたっぷり絡めた一品。タッパーの蓋を開けた瞬間、赤く艶やかなソースをまとったエビたちが、強烈な食欲をそそる香りと共に姿を現した。
「……高坂くん」
「ちょっと高坂、今日も来たよー」
昼休みのチャイムとほぼ同時に、一ノ瀬さんと千歳が息ぴったりに俺の机を挟み込む。
もはや二人の間に流れる空気は、ライバルというよりは「同じ獲物を狙う狩人仲間」のそれに近くなっていた。
一ノ瀬さんはタッパーの中の鮮やかな赤を見つめ、満足げにスッと目を細めた。
「……見事ね、高坂くん。私の要望通り、情熱的な真紅のソースが、エビという甲殻類の装甲を完璧に包み込んでいるわ。視覚だけで発汗を促されそうな、実に刺激的なビジュアルね」
「一ノ瀬さん、それはただの『エビチリ』だよ。豆板醤をちょっと効かせて、お弁当用に少し冷めてもタレがダレないようにとろみを強めにしてあるんだ」
「えびちり……。中華料理における、辛みと酸味と甘みの三位一体。食べる者の舌を刺激し、かつ白米への依存度を極限まで高めるという、恐るべき誘導料理ね……!」
一ノ瀬さんは、エビのプリッとした曲線をじっと見つめながら、小さく喉を鳴らした。
「うわぁ、エビチリじゃん! 高級品!」
千歳が横から身を乗り出して、目をらんらんと輝かせる。
「高坂、今日のエビチリ、ネギがいっぱい入ってて美味しそう! 私、これ絶対にタレをご飯に乗せて食べる!」
「千歳、乗せるのはいいけど、ちゃんと自分のご飯の上でやれよな」
「……高坂くん」
一ノ瀬さんが、いつものルーティンを執行するように、スクールバッグから厳かに細長いガラスのボトルを取り出した。
「今日の私は、その『豆板醤の直線的な辛み』に対し、一ノ瀬家としての完璧な等価交換の品を選定してきたわ。……メキシコ産、有機栽培されたサボテンから採取した、最高級のアガベシロップよ。この上品な天然の甘みをその赤いソースに数滴加えることで、辛みのエッジをまろやかに――」
「一ノ瀬さん、だからさぁ……!」
俺はすでに手慣れた動作でボトルを押し返した。
「さっき言った通り、隠し味にうちの普通のハチミツを少し入れて、すでに辛みと甘みのバランスは絶妙なラインで完成してるんだよ。そこにさらに高級なシロップなんか足したら、ただの甘ったるいエビになっちゃって、白米に全然合わなくなるから!」
一ノ瀬さんは「くっ……! 私のサボテンの恵みが、またしても『ハチミツ』の前に……っ!」と、ボトルを握りしめて悔しそうな表情を浮かべた。
「一ノ瀬さん、今日もドンマイ!」
千歳がいつものように笑いながら
「ほらほら、高坂、エビは何個あるの?」
「……6個。だから二人に2個ずつな」
俺がそう言って、包丁で刻んだ白ネギがたっぷり絡んだエビチリをそれぞれの箸に分配すると、二人は待ってましたとばかりにそれを受け取った。
「では、失礼するわ……」
「いただきまーす!」
二人は同時に、真っ赤なエビチリをパクリと口に運んだ。
プリッ……!!!
もぐもぐ、もぐもぐ……。
二人の動きが、お約束のように完全に停止した。
数秒の後、一ノ瀬さんの白い頬がじわじわと至福の桜色に染まり、千歳は「んんんーーーっ!!」と両手で頬を押さえてジタバタと身悶えした。
「……素晴らしい、恐ろしいほどのプリプリ感だわ……っ!」
一ノ瀬さんは、感動のあまり微かに息を荒らしながら震えていた。
「冷めているのに、エビの水分が完全に保持されていて、噛んだ瞬間に弾けるような食感がある……! そして、ニンニクと生姜の効いたピリ辛いソースが、ハチミツのコクによって奥深い旨味へと昇華されているわ。我が家のディナーで供される、伊勢海老のチリソース・フカヒレ添えとは全く違う、ダイレクトに白米を要求する暴力的な美味さよ……っ!」
「うっま!! 高坂、これ辛さがちょうどいい! ネギのシャキシャキ感も最高だし、本当にご飯が無限にいける! はぁ、幸せ……」
千歳は猛烈な勢いで自分の白米にソースを絡め、幸せそうに頬を膨らませている。
「だろ? お弁当用だから、ニンニクはちょっと控えめにしてあるけどね」
一ノ瀬さんは、すっかり空になった自分の箸を名残惜しそうに見つめ、スッとアガベシロップをバッグにしまい込んだ。そして、ふぅ、と満足げなため息をつく。
「今日の真紅調査も、極めて驚異的なデータ(美味)だったわ。……高坂くん、明日は――」
「あ、ごめん一ノ瀬さん。明日から、午前中授業のテスト期間に入るから、お弁当しばらくお休みなんだよね」
俺がそう言うと、一ノ瀬さんは「えっ……」と、まるで世界の終わりを告げられたかのような、今までに見たこともないほどの衝撃の表情で固まった。
「て、テスト……期間? ということは、しばらくあなたのタッパーのサンプリング調査ができないということかしら……?」
「うん、まあ、そういうことになるね」
「嘘、もうそんな時期だっけ!?」
千歳が、一ノ瀬さんとは全く違うベクトルで顔を真っ青にして絶叫した。
「やばい、私、前回の数Ⅰの小テスト、一桁だった気がする……! 今回赤点とったら、陸上部の夏の遠征、強制居残りになるじゃん!! どうしよう高坂、助けて!!」
頭を抱えて騒ぎ出す千歳と、お弁当が途絶えることに目に見えてショックを受けている一ノ瀬さん。




