王宮からの帰り道
馬車の窓の外では夕暮れの王都がゆっくりと夜の帳に包まれ始めていた。
車輪が石畳を踏みしめる音が一定の間隔で車内に響いている。
「……クレア、大丈夫か?」
「お父様……。はい。やはり、国王陛下と直接お話しするのは緊張いたしました」
「それはそうだろう。そもそも、一介の令嬢が陛下と直接言葉を交わす機会など、そうそうあるものではないからな」
「ええ。当主以外が陛下に謁見する機会は稀ですもの。ですが、当事者である私から此度の離縁の経緯を直接陛下にご説明申し上げたかったのです」
「ああ、その選択は正しい。当事者であるお前の言葉だったからこそ、陛下も信じてくださったのだ。それほど此度の離縁はなかなか信じがたい話だからな。王命の婚姻を『昔の恋人と結婚したいから』という、くだらない理由で一方的に破棄するなど、にわかには信じがたい。私とて、お前からそれを聞いた時はすぐには信じられなかった」
「あの時のお父様は、まるで石になってしまったかのように固まっておられましたものね。お母様もですけど……」
「それはそうだ。三十を過ぎた貴族家の当主がそんな幼子のような理由でお前を追い出すなど、とてもじゃないが信じられなかった。王命だぞ? 君主からの御命令だぞ? それを破る貴族がいるとは想像もしていなかった」
「ええ、それは私もです。結婚当初から少々……いや、かなり頭が残念な方だなとは思っていましたが、そんな自分勝手な理由で王命に背くなど予想もしていませんでした」
二人は同時にため息をついた。疲労と呆れが入り混じり、しばしの沈黙が二人の間に落ちる。
アントンと離縁し、実家のヴァーレン伯爵家に戻ってきたクレアは、離縁の経緯を自ら国王に説明するため当主である父と共に謁見の許可を得て王宮を訪れていた。なにせ、今回の離縁は王命に背くも同然だ。離縁に至った経緯をつまびらかにし、クレアに一切の非がないことを陛下にご理解いただかねば、ヴァーレン家にまで累が及びかねない。
「……ヴァーレン家にまで累が及ばず、本当に良かったです」
膝の上に置かれたクレアの指先はほんの少し震えていた。
いくら気丈な彼女でも怖かったのだ。自分の離縁が原因で実家にまで処罰が及ぶかもしれない。その不安はずっと胸の奥にあった。
「当然だ。王命に従い、フォード辺境伯領のために力を尽くしたお前と当家を罰するなど、聡明な陛下がなさるはずがない。なにより、こちらは何の非もないのだからな」
「確かにそうです。……ですが、アントン様に離縁を言い渡されても拒否することはできました。不甲斐ないことですが、それをしなかったのは拒否をしたことでアントン様がどんな行動に出るかが読めず……怖かったからです」
いくら気丈なクレアといえども、アントンは自分よりも体格が大きく、しかも武術に秀でた男だ。
力づくでどうにかされたら敵うわけがない。最悪命まで取られたら……と思うと怖くて仕方なかった。
「……流石にそこまで愚かだとは思いたくないが、可能性はあるな。馬鹿は時折こちらの予想を超えた行動をする。王命の婚姻を身勝手な理由で破棄するような奴だ。短絡的な行為に及ばないとは限らない」
そう言って父、ヴァーレン伯爵は娘の頭をそっと撫でた。
「父親としては、お前が離縁を拒みあちらの家に居続けるような真似をしなくてよかったと思っている。万が一にもあの馬鹿がお前に危害を加えたら……私は財を全て投げうってでも報復に出ただろう」
「お父様……」
父にそう言ってもらってクレアは嬉しかった。
どうして離縁を拒まなかった、と責められることも覚悟していたから。
「それに……どうしたって貴族の女の立場は弱い。離縁を拒もうとも、力づくで家を追い出されたらそれ以上どうしようもないからな。だったら、無駄に拒んで時間を浪費するより、さっさと慰謝料を貰って同意した方がいい。……いずれにせよ、お前を追い出したフォード辺境伯家がやっていけるとは思わないしな」
「ええ……無理でしょうね。財政は赤字になること間違いなしです。……なにより、アントン様は領地経営の仕方がよく分かっておりません」
「お前にそれを聞いた時は私も耳を疑ったよ。貴族家の当主が領地経営のやり方を理解していないなど、普通は有り得ないからな。つくづくとんでもない男にお前を嫁がせてしまった。お前の苦労を思うと申し訳なくて仕方ないよ……」
「いえ、王命ですもの。お父様は何も悪くありませんわ」
「王命か……。そうだな、こちらは王家の命に従い、お前を嫁がせた。そのうえでお前は妻として務めを十分果たした。ならば、お前は離縁を受け入れたことを不甲斐ないと思わなくてよい。少なくとも私は最善の選択だと思うぞ」
「お父様……ありがとうございます。残された領地の民の生活が心残りではありますが……これ以上こちらではどうしようもございませんね」
「ああ、離縁した以上、当家もお前も介入はできない。あとはフォード辺境伯家と、王家がどうにかするだろう。フォード辺境伯家だけではどうしようもできないだろうから、再び王家が介入することになるだろうな」
「介入ですか……。今度はいったいどうなさるおつもりでしょうか」
「あくまで想像だが、フォード家を取り潰し、それに代わる別の家を辺境伯に据えるか……」
そこで言葉を切ると、伯爵はしばし思案するように宙へ視線を泳がせた。
「それか、お前の代わりとして別の令嬢を嫁がせるかだな。領地経営を学んでいて、実家の資産も潤沢な令嬢を」
「それ……該当する方はおりますか? 条件に当てはまる妙齢のご令嬢は、すでに皆様嫁がれているような気がしますが……」
仮に該当する令嬢がいたとしても、自分勝手な理由で王命に背くような男の元に誰が嫁ぎたいと思うだろうか。
令嬢の家だってそんな条件の悪い相手に娘を嫁がせるはずがない。
「いや、実は一人だけ該当するご令嬢がいる。それは……」
伯爵の口から告げられたその名にクレアは息を呑み、思わず口元を押さえた。




