家令の叱責
「奥様と離縁するなど、何を考えているのです! どうかお考え直しください。奥様なしではこの地は成り立ちません!」
あの後、どういうことかとアントンを問いつめた家令のローレンスは、信じがたい主人の愚かさにひどく驚愕した。考え直すよう訴えかけているが、アントンは少しも聞く耳を持たない。
「……もう決めたことだ。俺は……今度こそマリーネと添い遂げる。だから、申し訳ないがクレアとは離縁するしかない」
「何と愚かな……。いい年をして恋に狂うとは、情けのうございます。離縁なされた後、領地をどうなさるおつもりですか」
「どうにかする。なに、クレアがしていたことをそのまますればいいだけだ」
何も分かっていない主人に、ローレンスは頭を抱えた。
思えば先代の辺境伯がアントンを「武芸に秀でてはいるが、頭の出来はいまいちだな……」と評していた。だが、いまいちどころではない。もっと残念なことが、たった今、判明した。
「……旦那様は、奥様が成されたことを本当にそのまま出来るとお思いで?」
「当然だろう」
「では、まずお答えください。今年の冬、領民に配る薪はどこから調達なさいます?」
「……それは」
「冬の備蓄食料は、いつ準備すればいいですか? そしてそれはどこから調達なさいます?」
「……」
返事がないことに苛立ったローレンスは机を強く叩いた。室内に乾いた音が響く。
「旦那様! あなたは何も分かっておられない!」
「……無礼だぞ、ローレンス」
「無礼を承知で申し上げています!」
ローレンスの顔にはこれまでにない怒りが浮かんでいた。
それは、出来るといいながら何も分かっていない主人の浅はかさと、クレアがどれだけフォード辺境伯家に貢献してくれたかを顧みない愚かさへの怒り。
目を吊り上げるローレンスに、アントンは怯んだ。
「旦那様は領主としての責務を何だと思っているのですか! それにここまで当家と領民に貢献してくださった奥様に感謝はないのですか? 恩知らずにもほどがありますよ!」
「それは分かっている。クレアにはとても感謝している。……だが、愛しているのはマリーネなんだ。俺はこれ以上自分の気持ちに嘘はつけない!」
「いい年をして馬鹿なことを言わないでください! 奥様と離縁なされば、当然奥様のご実家からの支援も失われます。今の財政では必ずどこかに皺寄せが出ます!」
「それは……俺が何とかする」
「何をどうなさるのです!」
「……」
「税を上げますか? 民からさらに取り立てるのですか?」
「そんなことは――」
「では、使用人の給金を削りますか?」
「……」
「それとも、領民への救済金を打ち切りますか?」
「わかった……。わかったから、もうやめてくれ」
「いいえ、旦那様はちっとも分かっていらっしゃらない!」
ローレンスは怒鳴った。彼がここまで主人に反抗するのは珍しい。アントンは普段とは違うローレンスの姿に息を呑む。
「ご理解いただけるまで私は何度でも申し上げます! 奥様がいらっしゃる前、領地の状態はどうだったか覚えておられますか?」
「それは……」
「税を払えず土地を手放した農民がいました。冬を越せず、家族を亡くした家もありました。屋敷の修繕すらままならない領民も沢山おりました。それら全てを立て直されたのは誰です?」
「……」
「奥様です! そんな大恩ある御方を、昔の恋人と結婚したいから捨てる? 有り得ません!」
「ローレンス!」
「それに、奥様が屋敷から去った後、旦那様は領民に『私は昔の恋を選びました。だから今年は税を多く納めてください』とでも言うおつもりですか?」
「そんなこと言うわけがない!」
「ですが、現実はそういうことです。何も無いところからお金が湧いてくるとでも思っていらっしゃるのですか!」
「思っているわけがないだろう! 俺が何とかすると言っているだろうが!」
「何とかする、ではありません。どうするのか、お答えください」
呆れたように首を振るローレンスに、アントンは何も返せない。
「奥様が去った後、領民を守れるのですか?」
「……」
「財政が確実に悪化すると分かっていて、それでも領民を守れると? 出来ないのでしたら今すぐ離縁を撤回してください!」
「……俺に、恋を諦めろと? 領主は恋も出来ぬというのか……」
「旦那様……。貴方という人は……」
不貞腐れるアントンに、ローレンスは深い失望を覚えた。
年の割に幼く、責任感に欠けている当主。年若いのにしっかりとしているクレアと比べると情けないにもほどがある。
──フォード辺境伯家は、旦那様の代で終わりかもしれない。
アントンの子供じみた態度は、そんな最悪な未来を想像させるほど酷いものだった。




