今の生活がお辛いのね
「クレア……君、再婚していたのか……?」
縋るような目で見つめてくるアントンにクレアは満面の笑みを浮かべ、「ええ、そうです」と答えた。
「そ……そんな、なぜ……」
「なぜ? おかしなことをおっしゃいますね。離縁から一年は経っておりますし、再婚していてもおかしくないでしょう?」
「そうだが……君は先ほど自分を娶るような男はいないと言っていたじゃないか!」
「だからそれは貴族の殿方に限った話です。平民はそこまで結婚の条件に細かくありませんから」
クレアは甘えるように隣にいる夫へと身を寄せ、夫は腰に回していた手を彼女の肩に回し、そのまま抱き寄せた。
二人が寄り添う姿は非常にお似合いであり、互いに想い合っていることがはっきりと分かる。
アントンは眼前の光景に激しい嫉妬を覚え、ぎり、と拳を握った。
「そういうことですので、用件がそれだけでしたらお引き取りを。私が貴方の元へ戻ることは有り得ませんので」
「そんな……君はあんなに俺に尽くしてくれたではないか? 頼むからそんな冷たいことを言わないでくれ……」
「どの口がおっしゃるの? そこまで尽くした私を、昔の女と結婚したいからという身勝手な理由で追い出しておいて……。私が冷たいのなら、貴方は人ではないわ」
はっきりと言い返されたアントンは返す言葉もなく項垂れた。本人も自分がクレアにひどいことをしたという自覚はある。だが、心のどこかでクレアなら許してくれるだろうという甘えがあった。そんな自分のことしか考えていない浅はかな考えはクレアによって断ち切られる。
「何を勘違いしているのか知りませんが、私が戻る要素など何一つありません。自分勝手に他人の人生を振り回して恥ずかしくないのですか? そういうところは少しも変わっていないのですね。呆れた……」
嫌悪を隠さない表情を向けられ、アントンは胸が抉られるように痛んだ。
ここまで憎まれていたのか……と今更ながら知る。
「すまない……。あの時の俺はどうかしていた。だが、今度こそは君を幸せにしてみせる。だから……」
「……しつこいです。昔の妻に縋りたくなるほど今の生活がお辛いのでしょうけど、そんなの知りませんよ」
「え⁉ なんで、それを知って……」
驚くアントンにクレアはひとつため息をつき、答えた。
「宰相のご息女、バイオレット様の苛烈なご気性は社交界でも有名ですもの。二度の結婚でどちらもご夫君のお心を追い詰めたことが原因で離縁されたとか。そのご様子ですと、貴方も相当参っているようですね。恥知らずにも元妻に縋るくらい結婚生活が辛いのかしら?」
クレアの指摘にアントンは唖然としたものの、やがて重々しく頷く。
「君の言う通りだ……。あんな女と知っていれば娶らなかったのに……」
そうしてアントンは自らの現状を語り始めた。
*
クレアと離縁した後、アントンは再び王命により新たな妻を迎えることとなった。
新たな花嫁がどんな女性なのかは追って知らせる。そう王家から告げられた時、アントンは相手がどんな女でも構わないからこの辛い現状から抜け出したいと、それだけを思った。もう、マリーネを妻にしたいという気持ちは欠片も残っていなかった。
妻を追い出してまで貫こうとした純愛劇は呆気なく幕を閉じた。
アントンが純愛だと思い込んでいたものなど生活の苦しさの前ではあまりにも脆く、取るに足らないものだった。
そんな彼が今度はかつて愛を貫こうとした相手を自ら追い出そうとしている。
そのことに、彼は最早何の躊躇いもない。
「そういうわけだから……マリーネ、ここを出て別の家で暮らすか、実家に帰るか、好きな方を選んでくれないか?」
「はあ? な……なに言っているの?」
部屋でくつろいでいたマリーネは突然やってきたアントンから思いもよらないことを告げられ、驚いて声を荒げた。
「どういうこと⁉ なんで私以外の女と結婚しようとしているの? しかも、ここから出ていけですって!」
マリーネからすれば、結婚を約束した恋人から「別の女と結婚するから出ていけ」と言われて納得などできるはずもない。事前に何の相談もなくそんなことをされ、怒るなという方が無理な話だ。
「仕方ないだろう……。このままでは領地の経営が立ち行かないんだ。支援してもらわねば、暮らしもままならなくなる。君にはこの状況をどうにかすることもできないだろう?」
「は? 何よ、その嫌な言い方は! あなたは私に『君はただ傍にいてくれればいい』と言ったわよね? あれは嘘だったの?」
「いや……その時は本当にそう思っただけだ。まさか、クレアと離縁したことで、ここまで何もかもが上手くいかなくなるとは思わなかった。君は俺の役に立とうともしれくれないし……」
「だから、何でそうやって私のせいにするのよ! あなたは妻と別れても大丈夫だから私とやり直そうとしたんじゃないの? 妻が出て行ったら生活が立ちいかなくなるって事前に分からなかったの? なんなの、その計画性の無さ!」
痛い所を突かれたアントンは、気まずそうに目を逸らす。その態度に腹を立てたマリーネは近くにあったクッションを彼へと投げつけた。
「ふざけないで! 私のことを幸せにするって言ったわよね⁉ 今度こそ夫婦になろうって言ったわよね⁉ それなのに他の女と結婚するから出ていけ? 馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ!」
「し、仕方ないじゃないか……。俺だってそのつもりだったけど、このままでは領民の生活までままならなくなる。それに、陛下のご命令に逆らうわけには……」
「うるさい! 知らないわよ! 私は絶対に出て行かないわ。別の女と結婚することも許さない! 来ても追い出して!」
マリーネは恋人の突然の掌返しに納得できず、クッションだけでなくその辺にある物を手当たり次第にアントンへ投げつけ、最後には彼を部屋から追い出した。
「はあ……はあ、冗談じゃないわよ……。絶対に出ていくものですか……」
荒い息を整える間もなく、マリーネは据わった目でそう呟いた。
やっと辺境伯夫人の座に就けると思ったというのに、出ていくなど冗談ではない。
アントンは実家に帰れと気軽に言うが、家族からは縁を切られているのでそんなことが出来るわけもなかった。
フォードの地を救ったクレアを追い出したことでマリーネは悪女として領民から疎まれていた。さらにその家族までもが白い目を向けられ、ついには実家から勘当を言い渡されたのだ。だから実家に帰ることなど出来ない。
何が何でもこの屋敷に居座ってやる。
そう決意したマリーネはまだ知らなかった。この選択が、やがて自分を深く後悔させることになるとは……




