この勘違い野郎が!
「気持ち悪い……? クレア、何を言って……」
「え? だって気持ち悪いじゃありませんか。妻帯者の分際で堂々と女を口説こうとしていることも、私が貴方に愛されることを喜ぶはずだという思い上がりも、身勝手な理由で追い出しておきながら平然と元に戻ろうとする図々しさも、ぜーんぶ気持ち悪いです」
「な、な……」
軽い口調で辛辣な言葉を次々と浴びせてくるクレアにアントンは何も言い返せなかった。彼女は厳しいことを言う女だったが、それでもここまであからさまにこちらを馬鹿にするようなことは言わなかった。
「……なんて言い草を……! 君はそんな女だったのか⁉」
「そうですけど? だって全部事実じゃありませんか。それに、結婚当初から私は貴方のことをずっとそう思っていましたよ。気持ち悪い、と」
「な…………⁉」
衝撃の事実にアントンは言葉を失った。
まさか結婚している間ずっと妻から「気持ち悪い」と思われていたなど、知る由もなかった。それどころか妻に愛されていると信じて疑わなかったのだ。何の根拠もないというのに。
「それはそうでしょう。結婚初日から『君を愛することはない』と妻に向かって平然と言ってのけるような、無配慮で失礼な男を愛せるとでも? しかもそれ、辺境伯の仕事が忙しいなんて理由をつけていましたけど、本当はマリーネさんへの想いを貫くためだったのでしょう?」
「え⁉ あ……い、いや、それは……」
クレアの指摘にアントンは動揺を隠せなかった。クレアの言う通り、アントンはずっとマリーネだけを思い続けており、結婚したとしてもその心だけは一生マリーネに捧げるつもりでいたのだ。まさかそれを知られているとは思わず、焦りで上手く言葉が紡げない。
「別に政略ですし、他に想い人がいたとしても構いませんでしたけど、私への配慮がないのは違うのではなくて? 生まれ育った地を離れて嫁いできた十代の娘に、三十代の大人の男性が何の配慮もしなかったことについては……どう思われます?」
「ク、クレア……」
鈍いアントンは今になってようやく気づいた。
クレアは……元妻は、ずっと怒っていたのだ。結婚当初から、アントンの配慮の無さについて、ずっと。
「どうして私が貴方に愛されたいと願っていること前提なのですか? 親子ほど年の離れた女が当然のように相手に愛されたいと願っていると思い込むなんて、些か図々しいのではなくて? どれだけご自分に自信があったならそんな台詞を吐けますの?」
あの頃の不満が止まらず、クレアは無礼を承知でアントンに詰め寄った。
彼女の口から出てくる辛辣な言葉の数々に、アントンは明らかに狼狽し、返す言葉に詰まる。
「い、いや……その、女は皆、夫に愛されたがっているものだと……」
「そういう女性もいます。それを否定はしません。……ははあ、あれですか? 自分からの愛を期待しないよう、予め釘を刺しておこう。これも優しさだ……などと勘違いしてしまったのですね? ふふ、そういうのを何て言うのかご存じ? 『余計なお世話』と言うのですよ……」
まるで「余計なお世話だよ、この勘違い野郎が!」という副音声が聞こえてきそうなクレアの厳しい発言がアントンの胸に鋭く突き刺さる。そんな傷ついた元夫の顔を見て、クレアはようやく溜飲が下がる思いがした。
「それで? そこまで愛したマリーネさんがいながら、私を愛すると? 寝言は寝てからおっしゃってくださいまし」
「い、いや……もう、マリーネを愛してはいない。彼女は俺の財産を貪るばかりで、ひとつも俺の役に立とうとしてくれなかった……! あんな図々しい女だと知っていれば……俺は君と別れなかったのに」
「あら、随分と早く愛が冷めたのですね? 呆気ないこと……。ですが、マリーネさんのことがなくても、そう遠くない未来に私に離縁を言い渡していたと思いますよ?」
「は……? どうしてそんなことが言えるんだ! マリーネのことさえなければ、離縁なんて……」
「しないと言い切れます? 貴方、私のこと好みじゃないとずっと思っていたでしょう?」
「えっ……⁉」
そう言われたアントンはひどく動揺しだした。その反応に、クレアは小声で「やっぱり……」と呟く。
「な、そ……そんなことはない! 何を証拠にそんな……」
「いえ、私に会った時の貴方の表情からそれはありありと伝わってきましたよ。『あー……全然好みじゃないな』という呟きが聞こえてきそうなほどに」
結婚式の日、ヴェールを上げたクレアの顔を見た瞬間、アントンはひどく落胆した顔をしていた。
好みじゃない、という声が聞こえてきそうなほどあからさまに彼はがっかりしていた。その失礼な態度をクレアは今でもよく覚えている。
「違うんだ! 確かにあの時は予想したよりずっと幼い君に驚きはしたけれど……」
「閣下の好みは成熟した大人の女性ですものね? マリーネさんは貴方の好みにぴったり当てはまっていたと、ローレンスに聞きました」
「なっ……! ローレンスがそんなことを……?」
あの離縁騒動があった時、マリーネがどんな女性か気になったクレアはローレンスにそれを尋ねた。
すると彼は「胸部と臀部が発達した頭からっぽの年増です」と呆れた顔で吐き捨て、それに加えて「旦那様は頭があまりよろしくないので、そういう女が好きなのでしょうね……」とも教えてくれた。
「別に私は気にしていませんわ。私も貴方は好みではありませんし、お互い様ですね」
「えっ…………」
あからさまに傷ついた顔をするアントンに、クレアは眉をひそめた。まさか、自分がクレアの好みから外れているという可能性を少しも考えなかったのだろうか。だとしたら随分お目出度い頭をしている。
「何を傷ついた顔をしていらっしゃるのです? 貴方だって私が好みではないのでしょう? だったらお互い様ではありませんか」
「……昔は確かにそうだったが、今は違う。君は、成長して見違えるほど美しくなった……」
「はあ…………?」
熱っぽい目を向けてくるアントンにクレアは鳥肌が立った。この男に性的な目で見られることが心底気持ち悪い。込み上げる嫌悪感を振り払うようにクレアは素肌をさすった。
「クレア……」
アントンが熱のこもった声で名を呼んだその直後、扉の向こうから金属の擦れる音がした。
クレアが振り向くより早くドアノブが回る。次の瞬間、扉がガチャリと音を立てて開いた。
「失礼。こちらに妻の客人が来ていると聞きまして、ご挨拶に伺いました」
入ってきたのは、上質な仕立ての衣服を隙なく着こなした長身の青年だった。端正な顔立ちに涼やかな目元。その姿は思わず目を引くほど美しい。
「カイル? どうなさったの」
「いや、客人に挨拶に来ただけだよ」
カイル、と呼ばれた青年は当然のようにクレアの隣に座り、慣れた手つきで彼女の腰に手を回した。
「あ……ちょっと、もう……! 商談は終わったの?」
「ああ、ついさっきね。良い方向にまとまったよ」
「ふふ、そう……。流石はあなたね」
アントンの存在など目に入らないかのように、二人は彼の目の前で仲睦まじく振る舞い始めた。
突然やってきた謎の男にクレアを横取りされ、アントンは嫉妬に身を震わせ、声を荒げる。
「なんだ貴様は! 突然やってきて無礼だぞ!」
「これは失礼。なにぶん平民の身ゆえ、無作法の段はご容赦いただきたい」
飄々と言い放つ青年にアントンはますます怒りを覚えた。
皮肉めいた物言いもやけに様になっていて、余計に腹が立つ。
「初めまして。ヴァーレン商会南支部長を務めております、カイルと申します。こちらにいるクレアの夫です」
「は……? 夫、だと……?」
その言葉に唖然とし、アントンは信じられないものを見るような目をカイルへと向けた。




