新たな奥方
監査を終えた王太子がフォード家の屋敷を出た頃には、すでに日は西の山々へ沈みかけていた。
夕暮れに染まる街道を王家の紋章を掲げた漆黒の馬車が進んでいく。車輪が石を踏むたびに規則正しい揺れが車内へ伝わってくる。
王太子は座席に身を預け、フォード領内の景色を窓越しに眺めていた。
「……しかし、此度の監査は随分と早く終わりましたね」
向かいに座る側近が、ふと口を開く。
「私はてっきり、あと数日はかかるものかと……」
「普通はそうだな」
王太子は窓の外に視線を向けたまま側近の言葉に応じた。
「監査に来た以上、隅々までお調べになるおつもりだと思っておりました」
「……その必要がなかった」
「必要がなかった……と申されますと?」
「今回の監査の目的は、夫人と離縁したことがどれだけ領地の財政に影響を及ぼしたかを調べることだからな。それは詳しく調査せずともすぐに分かった。あのままでは、あの地の民は今年の冬を越せまい」
「それほどまでに財政が悪化しているのですか……こんな短期間で」
「支援ありきの状態で成り立っていたというのに、その支援先を追い出せば当然そうなるだろう」
呆れたように吐き捨てる王太子の言葉に、側近は「おっしゃる通りで」と頷く。
「あのように礼儀もなっていないうえに年相応の落ち着きもない女を欲した結果、領地を傾かせるとは……今代のフォード辺境伯に領主の資格などありませんね」
「まったくだ。資格のない奴に領主の権限を与えても意味がない。それは新たな奥方に譲渡し、本人は外で国境を守るために力を振るえばよかろう」
「新たな奥方……ですか」
「ああ。このまま民の危機を見過ごすことなど出来まい。領主が無能であるならば、それを補う配偶者が必要だ。……勿論、今度は好き嫌いで妻を追い出すような真似はさせぬ。陛下も二度はない、とおっしゃっていたからな」
監査の目的はフォード領の財政状況を確認することと、それを元にアントンを叱責することにあった。
そうして己の罪を自覚させ、精神的に追い込んだところで本人の口から服従の言葉を出させる。言質を取ったうえで新たな婚姻を王命で下し、今度こそは勝手に破られぬよう領主としての権限の大半を奪う。そうまでしなければ、あの地はいずれ立ちゆかなくなる。
「……本来、いち貴族家に王家がここまで介入することは稀だ。だが、国境を守護する地の統治が立ちゆかず、存続そのものが危ぶまれるなど看過できぬ事態だからな」
「そもそも、そのような事態を危惧してこそ結ばれた婚姻でしたのにね。フォード辺境伯はそれを理解していなかったのでしょうか?」
「していたら奥方を追い出したりなどしないだろう。王命の重さも意味も理解せず、奥方に感謝することなく、私欲を最優先するような者が、よくも当主の座に就いていられるものだ。……まあ、今後は新たに迎える奥方にしっかり矯正されたらいいさ」
「そう……ですね」
側近はしばし口を噤み、やがて意を決したように口を開いた。
「殿下……その、辺境伯に嫁がせる新たな奥方はもう決まっているのですか?」
「ん? 勿論だ。先方には既に了承を貰っている。身勝手な理由で妻を追い出した幼稚な中年男に嫁いでくれるとは、まさに女神のごとき慈悲深い女性だ。お前もそう思わないか?」
「おっしゃる通りで……。ちなみに、その女性とは……もしかして宰相のご息女でしょうか?」
「ふむ、勘がいいな。その通りだ」
「いえ、他に該当する女性が思いつかなかったもので……」
「まあ、そうだな。領地経営学を修め、なおかつ婚家を支援できるほど裕福な家の令嬢となると候補は限られてくる。宰相の娘は父親に似てとびきり頭が良いと聞くし、不出来な夫に代わり領地を切り盛りするに申し分のない女性だ。有難いことに本人も快く承諾してくれた」
「確かに能力は非常に優れていますが……その、性格が少々……いや、かなり苛烈でございます。それが原因で二度離縁をしていますが……辺境伯は大丈夫でしょうか?」
「なに、王都の男は繊細で、彼女と合わなかったまでのことよ。荒事を得意とする辺境伯ならば問題あるまい。それに……今度離縁を口にしたら、二度も王命に背くことになる。そうなれば流石に反逆者として処罰せねばなるまいよ……」
王太子の迫力のある横顔に、側近は息を呑んだ。
王家がアントンに嫁がせようとしている宰相の娘は、側近も知るほど性格に難があると有名であった。
それが原因で二度に渡り嫁ぎ先から離縁されている。
「辺境伯は既婚歴があろうと、若くなかろうと気にしないようだからな。むしろ、そういった女性を好むようだし、きっと此度の縁談に泣いて喜ぶことだろう。……せっかく陛下が未婚の若い令嬢を嫁がせたというのに、そのご配慮はまったくもって無駄だったようだからな」
こちらの気遣いを無駄にしやがって、あの野郎。
そんな声が聞こえてきそうなほど、怒りを滲ませている王太子に側近は「おっしゃる通りです」と頷くのだった。




