返された婚姻届
「何を驚いている? まさか、王命に背いたお前の婚姻を陛下が認めてくださるとでも思っていたのか? 随分と陛下を甘く見たものだな……」
「あ……い、いや、それは……」
「忘れたか? お前は領主だ。領民の生活を預かる立場にある。クレア夫人との婚姻は、その領民の生活を守るために陛下が定めたものだ。それを理解しないばかりか、恋愛感情だけで配偶者を決めるようなら領主など辞めてしまえ」
辛辣な正論にアントンは息を呑む。またしても指摘されるまで気づかなかった。国王が選んだ花嫁との離縁は国王への不敬に他ならない。そんな王命に背いた自分が呑気に他の女との婚姻届を提出したら、怒らせるのは当然だった。
「……申し訳ございません」
「謝罪はいい。それだけで済む問題ではない。まず、お前は王命に背いた罪人だという自覚はあるか?」
「ざ……罪人……?」
震える声でそれだけをアントンは口にした。自覚などあるはずがない。あったなら、そもそもこんな真似などしないのだから。
「今は国や民に関わる重大事のときにしか王命は下されない。……ゆえに、王命を破った者を私は知らない。お前が初めてだ」
「…………ッ⁉」
今更ながら、アントンは自分がどれだけの重罪を犯したのかを知る。
あれだけクレアに王命に背くことについて注意されたのに、大袈裟だと言って取り合わなかった過去の自分が恨めしい。かなり遅いが、どれだけのことを仕出かしたかを知ったアントンは全身に冷や汗を滲ませた。
「歴史上、王命に背いた者への罰は……爵位の没収、投獄、追放、処刑、と様々だ。陛下はお前にどんな罰を下すだろうな……」
静かだが、やたら迫力のある王太子の言葉にアントンの顔から血の気が引く。
フォード家の当主として君臨してきた自分が罪人として裁かれるなど、そんなことは到底耐えられない。ましてや処罰まで受けるなど、アントンにとっては耐え難い屈辱だった。
「投獄や処刑は嫌だろうが、爵位の没収や追放ならば好いた女と自由に添い遂げられるぞ? 嬉しいのではないか
?」
「嬉しいなど……とんでもございません! ……この度のこと、まことに申し訳なく存じます。王命に背くなど……決してそのような意図があったわけではございません。何卒ご容赦を……」
「そんなつもりはなかった、ということか。それはそれで問題だな……」
王太子だけでなく、側近までもがアントンに呆れていた。
そんなつもりもなく王命に背くなど、貴族としてとてもじゃないが考えられない。よくこれで今まで当主としてやってこれたな、と心底軽蔑した。
「どうか、私に挽回の機会をお与えください……! いかなるご命令であろうと必ずや従います。ですから、どうか寛大なるご処置を賜りますよう……」
アントンの懇願を聞いた王太子はひとつ息をついた。それから椅子に深く腰を下ろし、優雅に足を組む。
「ほう? いかなる命令でも……ねえ。陛下がお選びになった奥方を追い出す真似をしたお前に、それが出来るのか?」
「勿論でございます! 次こそは必ず、どのようなご命令であろうと従ってみせます!」
「ふうん……。なら、それを家名に誓えるか?」
「はい! フォード家の名に懸けて、必ずやお誓いいたします!」
「……よかろう。そこまでの覚悟があるというのなら、私から陛下に口添えしてやろう」
「え……本当でございますか⁉ ありがとうございます……!」
喜びのあまりアントンは王太子の前に膝をつき、深々と頭を下げた。
そんな彼を王太子はひどく冷めた目で眺めている。
「……ときに辺境伯、お前の女の趣味は一般的な貴族のそれとは違っているな」
「へ? は、はあ……そう……でしょうか」
いきなり話題を変えたことに驚いたが、先程のマリーネの言動を暗に咎めているのではないかと思い、アントンはいたたまれなくなった。
「若い令嬢を娶っておきながら、薹が立った既婚歴のある女を選ぼうとするとは変わっている。そういう女を好むのか?」
「あ……いや、そう……ですね」
探るような物言いに、アントンはどう答えていいか分からなかった。
単に咎められているのかと思いきや、どうもそうではなさそうだ。
このときの王太子の問いかけに込められた真意を彼が知るのは──ずっと後のことだった。




