マリーネの乱入
「マリーネ⁉ どうしてここに──」
突然現れたマリーネにアントンは驚き、思わず椅子から立ち上がった。
そんなアントンの存在などまるで眼中にないかのように、マリーネは王太子を目にした途端、ぱっと顔を輝かせた。
「まあ……! 王太子殿下、お初お目にかかります。わたくし、次期辺境伯夫人となるマリーネと申します」
「…………」
あまりにも不作法なマリーネの態度に王太子の顔から表情がスッと消える。
側近たちの表情も一斉に険しくなり、室内に緊張が走った。
だが、マリーネはそんなことにも気づかず嬉しそうに王太子へ近づいていく。
「殿下にお会いできるなんて夢のようですわ。よろしければ、お茶でもいかがです?」
「やめろ、マリーネ! 今すぐ部屋に戻れ!」
慌ててアントンが間に入り、王太子の視界からマリーネを隠した。
それは愛しい女を他の男の目に晒したくない、などという私情からではない。王族の目に無礼者を晒すわけにはいかない――ただ、それだけのことだった。
だが、マリーネはアントンの行動を嫉妬によるものだと勘違いし、嬉しそうに口角を上げて彼の肩に手を置く。
「やだ、アントンったら勘違いしないで。私はただ、あなたの未来の妻としてご挨拶を──」
「君は何を言っているんだ? いいから今すぐに部屋へ戻れ!」
「え?」
怒りと焦りの滲んだ声音に、マリーネは戸惑ったようにアントンを見つめた。
「な、なんで怒っているの? せっかく殿下がお越しになっているのですもの。ご挨拶くらいしてもいいでしょう?」
「──駄目だ。今すぐここから出ろ」
切羽詰まったアントンの姿にマリーネは怯んだ。いつも自分には甘い彼のこんな姿は初めて見る。
その姿にただならぬものを感じたが、マリーネは何を思ったのか王太子へ甘えるような声を向けた。
「殿下、私は……ただ、ご挨拶を──」
「おやめください。殿下の許可なくお声をかけるのは、不敬にあたります」
そんなマリーネの声を王太子の側近が遮る。冷ややかな視線にマリーネはまたしても怯むが、それでも負けじと話を続ける。
「ですが、わたくしはただ、ご挨拶を――」
「挨拶? 殿下が辺境伯閣下とご会談中だと知っていながら、ですか?」
「え……? そ、そんな意地悪な言い方しなくても……」
「そもそも、扉を叩いておきながら返事を待たずに入ってくること自体、礼を欠いています」
「…………ッ⁉」
淡々とした側近の指摘にマリーネは羞恥に顔を赤らめた。
「わ、わたしは……ただ、屋敷の女主人として、殿下にご挨拶を……」
「女主人と名乗るのであれば、それに相応しい行動をお取りください。王太子殿下がおられる部屋に無断で立ち入り、そのうえ殿下に近づこうとする。これを不敬と言わずして何と言うのですか。貴族の女性としてあまりにも礼を欠いた行為です」
一歩も引かない側近の態度にマリーネは悔しそうに唇を噛みしめる。
そんな彼女の姿を目にして、アントンは深い落胆を覚えた。
「……頼むからもう、出ていってくれ。挨拶はいいから部屋で大人しくしていてほしい」
そう懇願しながらアントンはマリーネの肩を掴み、半ば強引に部屋の外へと追いやった。
さすがに側近の言葉が堪えたのか、先ほどまでの勢いはすっかり失せたマリーネは大人しく自室へと戻っていく。
「殿下……申し訳ございません。彼女の非礼は私の監督不行き届きによるものです」
マリーネが退出すると、アントンは王太子に向かって深々と頭を下げた。
王太子はもちろん、側近たちもまた険しい眼差しをアントンに向けている。
「……そうだな。辺境伯──」
「は、はいっ……!」
王太子が名を呼ぶと、アントンは顔を上げた。すると、蔑みを湛えた目と視線が交わり、思わず固まってしまった。
「君は女の趣味が悪いな。クレア夫人を追い出してまで欲した女がアレとは……私には理解できん」
「…………ッ⁉」
その瞬間、室内の空気が凍る。声も出せないまま固まるアントンに、王太子は呆れたように告げた。
「当主が王族と会談している部屋へ勝手に入り、ひと回りは下の男に浮かれ、側近に注意されても自分の非礼を理解できないとは……君の恋人は本当に貴族なのか?」
王太子は淡々とマリーネを評した。そのどれもが図星すぎて、反論の余地などない。
それと同時にマリーネがアントンの恋人で、クレアを追い出した原因であることまで知られていることに驚きを隠せなかった。
(全部知られている……。マリーネのことまで……)
羞恥に耐えきれず、アントンは項垂れた。王族の前でこれほどの醜態を晒してなお、平静を装えるほど今の彼は図太くはない。
「おっしゃる通りです。返す言葉もございません。まことにお恥ずかしい限りで……」
恥ずかしさで身の置き場がないアントンに、側近が一枚の書類を差し出す。
「……? 殿下、これは……」
「それは、そなたと先程の恋人の婚姻届だ。陛下はこの婚姻をお認めにならない。ゆえに、婚姻届はそなたに返すようおっしゃった」
「えっ…………?」
一瞬、何を言われたか分からず、アントンは絶句した。
慌てて差し出された書類を受け取り、目を落とす。それは確かにアントンとマリーネの名が記載された婚姻届があった。




