思い出すだけで恥ずかしい
書類をパラ、パラ、とめくる音が静かな応接間に響く。アントンは重苦しい表情を浮かべ、黙ってその音を聞いていた。
「財務官、この家の財政は今どのような状況にある?」
王太子は財務官にフォード家の財政の実情を問いただした。財務官はそれに対して淡々と現状を語る。
「はい、ある時期より著しい収入の減少、それに反して支出は増加傾向にございます」
「ほう? その、ある時期とは?」
「当主の元奥方、クレア夫人との離縁成立時期辺りからでございますね」
財務官の指摘にアントンの額に冷や汗が浮かんだ。そんな彼に王太子の冷たい視線が突き刺さる。
「フォード辺境伯、一度は赤字を脱し黒字に転じたこの領の財政が……なぜこれほど短期間で再び元の状態に戻った?」
「そ……それは……」
「しかも、奥方を追い出した辺りから」
「い、いえ……追い出したわけではございません! 本人とも話し合い、双方納得のうえで離縁したまででございます……!」
「ふうん……納得、ねえ……」
含みのある言葉を口にすると、王太子は椅子の肘掛けに肘を置き、ゆったりと頬杖をついた。
「なあ、辺境伯。貴族の妻の発言権は、当主のそれより弱いと思わないか?」
「え……? ど、どういう意味でしょうか……」
「簡単に言うと、当主から離縁を言い渡された妻は、それを拒否できるのかということだ。時代と共に改善されつつあるとはいえ、まだまだ女性の立場は弱い。当主が決めたことに、妻がどこまで口を挟めるだろうか。……つまるところ、離縁を言い渡されたならそれを受け入れるしかないということだ。それは双方納得と言えるのか?」
「あ……そ、その……ですが、クレアは最後には納得を……」
そこまで言ってアントンはハッとした。
離縁を切り出したときのクレアの顔が脳裏に浮かぶ。あの時の彼女の呆れた表情──あれは、納得していたのではなく、ただ諦めていただけではないだろうか……。
「それに、他に妻にしたい女が出来たという理由で納得できると思うのか? 私は思わない。何をふざけたことを、と憤慨するだろう」
「え……どうして、それを……」
アントンは王太子が離縁の理由を知っていることに驚くと同時に、羞恥を覚えた。明らかに自分より年下で、しかも身分の高い相手にそんな幼稚な理由で妻を追い出したことを知られてしまったことが恥ずかしくてたまらない。
あの頃はマリーネとの愛を貫くことに何の迷いもなかった。だが、現実を知った今となってはなんて愚かなことをしたのだろうと後悔ばかりが押し寄せてくる。自分の行動があまりにも幼稚だったと、今なら分かる。
「王命の婚姻だ。如何なる経緯があって離縁に至ったのかを陛下に報告する義務があると思わないのか?」
「あ……えっと……それは……」
「……そなたにその認識はなかったようだな。だが、クレア夫人にはあったぞ。彼女は報告書に経緯を詳細に記し、離縁届とともに王宮へ提出してくれた」
「クレアがそんなことを……?」
「本来は当主であるそなたがすべきことだ。後始末を追い出した妻にさせて恥ずかしいと思わないのか?」
「…………」
アントンは何も答えられなかった。離縁に関してクレアに全て任せていたことは事実だ。
そういう面倒事はすべてクレアがやって当然だと、あの頃は本気で思っていた。だが、身勝手な理由で妻を追い出したうえに離縁の手続きまで彼女にさせるなど、あまりにも身勝手で図々しいことだった。
「フォード辺境伯、陛下の書状にもあるように、私はそなたからクレア夫人を追い出した理由を聞かねばならぬ。答えよ、なぜ、王命によって娶った妻を、陛下のお許しも得ずに一方的に追い出した?」
「え? あ、あの……それはご存じなのですよね?」
つい先ほど王太子の口から離縁の理由を告げられたはずなのに、どうしてそんな質問をするのか。
理解できないアントンに王太子は呆れた視線を送る。
「それが陛下のご命令だからだ。報告書にあるのはあくまでクレア夫人の主張。双方の話を聞かねばならぬゆえ、そなた自身の口から離縁の理由を聞けとおっしゃったのだ。それほどまでに公正であろうとなさる陛下の御心が、そなたには分からぬか?」
いかにも公平を期しているような発言だが、その裏に別の意図があることは鈍いアントンにもすぐに分かった。
すでに承知している離縁の理由をあえて自らの口で語らせることで、己の言動がいかに非常識で恥ずべきものだったかをアントン自身に思い知らせるためだ。
「あ……そ、その……それは……」
分かっていても、王太子を相手にそれを指摘などできない。ましてや、国王の命令と言われてしまっては拒否などできるわけもなかった。
だが、「ずっと好きだった女と結婚するためです」などと、今さら自分の口から語るのはあまりにも恥ずかしくてできなかった。昔の自分はこんな恥ずかしい台詞を元妻に平然と言っていたのかと思うと、羞恥でいたたまれなくなり、今にも頭を抱えて叫び出したくなる。
その時だった。
コンコン、と扉を叩く音が応接間に響いた。その音に反応して部屋にいた者たちは一斉に扉へ目を向ける。
すると、入室の許可を与える間もなく扉が開く。
「失礼いたします。こちらに王太子殿下がいらっしゃると聞きまして……」
声の主を視界に入れたアントンの顔が凍りつく。
入ってきたのはこれ見よがしなほど派手なドレスに身を包み、全身をこれでもかというほどのアクセサリーで飾り立てた女。アントンの恋人、マリーネだった。




