王太子の訪問
慌てて上着を羽織り、アントンは執務室を飛び出した。
すると廊下の先に人影が見える。
──あれは、まさか……
見るからに高貴な出で立ちをした若い男が、数名の騎士を従えこちらへ向かってくる。
こちらを圧倒する迫力にアントンが立ち尽くしていると、男の後ろにいた騎士が鋭い声を上げた。
「控えよ! 王太子殿下のお成りである!」
その一声にアントンは慌てて頭を下げた。
「で、殿下……! ようこそ当家にお越しくださいました! 麗しのご尊顔を拝し、光栄の極みで――」
「……貴殿がフォード辺境伯か。挨拶はいい。これを……」
冷めた声でそれだけ告げ、王太子は懐から一通の封書を取り出した。
「こ、こちらは……」
「国王陛下より賜った勅命書である」
「…………!」
王太子の手にあるのは、王家の紋章が刻まれた深紅の封蝋で厳重に封じられた一通の書状。
それを目にしたアントンの顔からすっと血の気が引く。
王太子から差し出された封書を震える手で受け取るが、封を切らず固まっている。
「フォード辺境伯、それを開けろ」
「……殿下、これは……いったい……」
「……読めば分かる」
王太子の素っ気ない返答にアントンは息を呑み、震える指で封を切る。
書状を広げ、読み進めるにつれてその表情がみるみる強張っていく。やがて驚愕に目を見開いた。
――フォード辺境伯家の財政状況を直ちに調査せよ。
――当主の領地経営について監査を行え。
――王命によって娶せた夫人を正当な理由なく屋敷より追放した件について、当主本人から事情を聴取せよ。
長々と綴られた文面を要約すれば、そういうことだった。
「…………ッ⁉」
アントンの手から書状が滑り落ちそうになったが、王太子の目の前でそんな真似をすれば不敬になる。
かろうじてとどめたが、掠れた声は止められなかった。
「何故……陛下がこのようなことを……」
「……フォード辺境伯、忘れたか? そなたの婚姻は王命によるものだった。そなたの領地の財政が逼迫し、領民の暮らしが危ぶまれていたことを陛下が憂慮され、その救済を目的として結ばれた婚姻だった。分かるか? そなたは陛下のご厚情を踏みにじった。その行い、王家への叛意と見なされても弁明の余地はあるまい」
「王家への叛意……⁉ ご……誤解です、殿下! 私は決して、そのような――」
王太子の言葉にアントンは凍り付いた。王家に背こうとしたつもりなど、アントンにはこれっぽっちもなかった。
「ならば説明しろ。何故、王命により迎えた妻を──クレア夫人を追い出した? 陛下にご納得いただけるだけの理由があるのだろうな?」
「そ、それは……」
言えるわけがなかった。ただ、好きな女と結婚したかっただけなんて。そんな幼稚な理由で王命で娶った妻を追い出したなんて、恥ずかしくて言えるわけがない。
「夫人のいないこの家の財政はどうなった? 元の状況に戻りつつあるのではないか?」
アントンは答えられなかった。王太子の言う通りだったからだ。
王太子は黙り込んだアントンに冷ややかな視線を向けていた。
「陛下のご命令に従い、書状に記された件は私自ら調査する。帳簿から納税記録等、財政状況の分かるものすべてを提出せよ」
「そ、そんな……! 我が家の問題をそこまで王家に干渉される理由など――」
アントンがそう言った瞬間、王太子の表情が変わった。
「無い、と申すか……愚か者が。勘違いしているようだから改めて告げておく。辺境伯の爵位も、フォードの領地も、そこに住まう領民も、お前の物ではない。我が国の領土全ては陛下の土地、民は全て陛下の御子。土地を借り、陛下の御子である民を守る。それが貴族の責務だ。領地の財政の悪化は、そのまま民の生活の悪化に繋がる。陛下の御子である民を危険に晒す真似をする貴族に、王家が干渉してはならないとでも? 寝言は寝てから言え」
告げられた言葉にアントンは息を呑んだ。
民を導く者としての責務を背負い、王家の名に恥じぬ振る舞いを見せる王太子。その揺るぎない姿にアントンはただ圧倒されるしかなかった。
「それでは調査を始める。これ以上の反論は陛下へ背く行為と心得よ」
それは、己の罪に対する裁きの合図のようにアントンの胸へと重く響いた。




