心情の変化
「マリーネ、少し買い物を控えてくれないか?」
家令からマリーネの浪費ぶりを聞かされたアントンは、その夜、彼女の部屋を訪れた。
マリーネに宛がわれたのはかつてクレアが使っていた女主人の部屋である。まだ妻にもなっていない彼女を女主人の部屋へ案内することに家令をはじめとする使用人たちは難色を示した。だが、いずれ結婚するのだからとアントンは彼らの反対を押し切って彼女をそこへ案内したのだ。
「え……? いきなり、なに?」
かつてクレアが使っていた頃は品の良い調度品が整然と配置されていた。その部屋も今では、所狭しとドレスやアクセサリーの箱が積まれている。アントンはその乱雑とした部屋の様子に眉をひそめた。
「流石に買い過ぎだ……。もう、資金も底をつく。これ以上は無理だ」
「はあ? なにそれ……。好きなだけ買っていいと言ったのは貴方でしょう?」
「限度があるだろう! 確かに好きなだけ買っていいとは言ったが、ここまでとは思わなかった……」
アントンがあからさまに呆れた態度を見せたことで、マリーネはカッとなって怒鳴った。
「私は貴方がいいと言ったから買っただけよ! なのに、どうして責められなきゃならないの⁉ 信じられない……アントンの嘘つき!」
「なっ……、嘘などついていない! 君がここまで金遣いが荒いと知っていたら俺だって最初に使える額を指定して……」
「金遣いが荒いですって⁉ これくらいの買い物で資金が底をつく方がおかしいわ! 貴方は辺境伯でしょう? どうしてそんなにお金がないのよ!」
「いや、だから限度というものが……」
「だいたい、久しぶりに顔を合わせて言うことがそれ? ここに来てから貴方は仕事ばかりでまともに相手もしてくれないじゃない! それなのに、金遣いが荒いだなんて言って責めるなんてあまりにも酷すぎるわ……!」
涙をぽろぽろとこぼしながら怒るマリーネに、アントンは言葉に詰まった。
仕事に忙殺され、マリーネを放置していることに罪悪感はある。それを言われてしまうと何も言えない。
だが、それはそれとして、使える金額には限度がある。アントンの個人資産の範囲内でしかマリーネの買い物は許さず、家の予算からは一切出さないと、家令に釘を刺されているのだから。
「相手をしてあげられないことは悪いと思っている。だが、元妻の分の仕事もやらねばならないから仕方ないんだ……」
「は? なにそれ……」
マリーネはぴたりと涙を止め、呆然とアントンを見上げた。
「女に仕事なんてあるの? 仕事は男がするものでしょう?」
「いや、我が家は女もするらしい……。だから君も俺の妻になったらやってもらおうと……」
「私が⁉ 無理よ、そんなの! なんで私がやらなきゃならないのよ! 傍にいてくれたらそれでいいって言ったわよね?」
「それは……確かに言ったが、その時とは状況が変わったんだ……」
「変わったって何が? 何が変わったというのよ!」
「何がって……それは……」
変わってしまった原因はクレアがいなくなったことだ。だが、アントンはそれを口にできなかった。
いなくなったのではない、自分が追い出したのだ。マリーネと結婚するために。
(クレアがいなくても大丈夫だと、あの頃の俺は本気で思っていた。クレアの仕事くらい、俺がやれば問題ないと……。馬鹿な話だ……今はその考えがどれだけ甘かったか分かる。何のために俺はクレアと別れてまでマリーネを選んだんだ……)
ここにきてアントンはクレアを捨て、マリーネを選んだことを酷く後悔し始めた。
恋に浮かれていた頃はマリーネさえ傍にいてくれたならなそれでいいと本気で思っていた。愛する人さえ傍にいてくれたなら幸せだと、そんな甘ったるい考えでいた結果がこれだ。仕事に追われ、休むことすらままならず、惚れた女は金を浪費するだけで力にもなりやしない。幸せとは程遠い現状に、アントンは己の選択がいかに間違っていたかを嫌というほど思い知る。
「貴方は嘘つきよ! 何もしなくていい、お金だって好きに使っていいと言ったじゃない! それがなに? 結婚したら仕事をしろ? 金遣いが荒い? 詐欺よ、こんなの!」
「いや、それは……」
クレアなら出来ていた、と口にしかけてアントンは慌てて言葉を飲み込んだ。
そんなことを言えばマリーネの怒りは更に膨れ上がり、手に負えなくなる。
「嘘つき! アントンの嘘つき! もういい、出て行って!」
感情のままに声を荒げ、マリーネはその辺に置いてある箱をアントンへと投げつけた。
空き箱程度は当たってもアントンにとって痛くはないのだが、マリーネの話の通じなさに疲れてしまい、言われるがままに部屋を出て行った。
(……以前の俺なら、マリーネの機嫌を取ることを苦には思わなかった。それどころか、彼女の機嫌が直るならと喜んで世話を焼いていたのに……)
今はもう、機嫌を取ることが億劫に思ってしまう。
アントンはこれほど短い間に己の心が変わってしまったことに驚きを隠せなかった。




