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百年生きた剣鬼、希少長寿種に転生し、世界を観る  作者: ザナトス


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8話 森の淀み

 森の奥から流れてくる気配は、明らかに異常だった。

 重い。 淀んでいる。 まるで腐った水のような魔力。

 クルトの額に汗が流れる。

「……やばいぞ、これ」

 冒険者としての本能が警鐘を鳴らしていた。 普通ではない。 フィナも杖を握る手が震えている。

「帰った方が……」

「いや」

 カゲツは静かに首を振った。

「このまま放置すれば、森そのものが死ぬ」

 その声音は穏やかだった。 だが、僅かに冷えている。

 精霊族であるカゲツには、森の異変がより深く伝わっていた。

 木々が苦しんでいる。 水が濁っている。 生き物たちが怯えている。 この森は今、悲鳴を上げていた。

「……行くのか?」

 クルトが低く尋ねる。 カゲツは静かに頷く。

「確認は必要だ」

 そう言って歩き出す。 クルトとフィナも顔を見合わせ、後を追った。

 森は更に深くなっていく。 陽光が届かない。 空気は冷たく、湿っていた。

 そして。 徐々に見え始める。 木々の異変が。

「なんだこれ……」

 クルトが顔を顰める。 木の幹が黒ずんでいた。 葉は枯れ。 地面には黒い染みのようなものが広がっている。

 まるで森が腐っているようだった。 フィナの顔色が悪くなる。

「こんなの……見たことありません……」

 カゲツはしゃがみ込み、地面へ触れる。

 瞬間。 ぴしり、と黒い魔力が弾けた。

「……魔力が淀んでいる」

「淀み?」

「自然循環から外れた魔力だ」

 カゲツは静かに立ち上がる。 前世に魔法は無かった。

 だが今の彼には分かる。 この世界の流れが。 正常な魔力は巡る。 風のように。 水のように。

 だが、これは違う。 停滞し、腐り、周囲を侵している。

「誰かがやったのか……?」

 クルトが呟く。 カゲツは少しだけ考える。

「分からん。だが自然発生ではない気がする」

 その時だった。 ぞわり、と空気が揺れる。 フィナが息を呑む。

「来ます……!」

 木々の奥。 黒い影が現れた。 狼。 猪。 猿。

 様々な魔物。 だが全て共通していた。 瞳が赤黒く濁っている。

「おいおい……!」

 クルトが剣を抜く。 十体以上。 しかも、どれも異常個体だ。

 本来なら群れない魔物たちが、一斉にこちらを睨んでいる。

 空気が張り詰めた。 だが。 カゲツだけは静かだった。

「……なるほど」

 ぽつりと呟く。 その目は、魔物ではなく、奥を見ていた。

「原因が近いな」

 次の瞬間。 魔物たちが一斉に飛び掛かってきた。

 轟音。 殺気。 クルトが踏み込もうとした、その時だった。

 風が吹く。 いや。 爆ぜた。

「――っ!?」

 空気が震える。 目に見えない何かが、森を薙ぎ払った。

 次の瞬間。 魔物たちの動きが止まる。

 静寂。 そして。 どさり、と全ての魔物が崩れ落ちた。

 気絶している。 一体も死んではいない。

「……は?」

 クルトが固まる。 フィナも口を開けたままだった。

 カゲツは静かに前を見ている。

「眠らせただけだ」

「いやいやいや!」

 クルトが思わず叫ぶ。

「今何した!?」

「魔力を流した」

「意味分かんねぇよ!」

 カゲツは少し不思議そうだった。

「殺す必要は無いだろう」

 静かな声。 その言葉に、フィナが目を瞬かせる。

 普通の冒険者なら討伐する。 危険だから。

 だがカゲツは違った。

 この魔物たちもまた、被害者だと理解している。

 淀みに侵され、狂わされているだけなのだ。

 その時だった。 森の更に奥から、低い咆哮が響く。

 空気が震える。 今までとは比較にならない圧力。

 クルトの顔が青ざめた。

「……おい」

 地面が揺れる。 木々が軋む。

 そして。

 巨大な影が、ゆっくり姿を現した。

「嘘だろ……」

 クルトの声が震える。 それは、巨大な狼だった。

 通常の森狼など比べ物にならない。 黒い体毛。

 濁った赤い瞳。 全身から溢れる禍々しい魔力。

 そして額には――黒い結晶。

 カゲツの銀色の瞳が細められる。

「……核か」

 巨大狼は低く唸る。 その咆哮だけで木々が震えた。

 だが。 カゲツは静かに前へ出る。

 その姿を見ながら、クルトは理解していた。

 ここから先は。

 もう、自分たちの領域ではないのだと。

 巨大狼は低く唸っていた。 濁った赤い瞳。 全身から溢れる黒い魔力。

 森そのものを侵すような圧力。 クルトは喉を鳴らす。

「……あれ、絶対上級魔物だろ」

「こんなの聞いたことありません……」

 フィナの声も震えていた。

 普通なら逃げる。 いや、上級冒険者でも撤退を選ぶ相手だ。

 だが。 カゲツだけは静かだった。 銀色の瞳が、巨大狼を見つめている。

「苦しんでいるな」

 ぽつりと呟く。 巨大狼は咆哮を上げた。 黒い魔力が吹き荒れる。 地面が砕け、木々が軋む。

 次の瞬間。 狼が消えた。

「――速っ!?」

 クルトが目を見開く。 巨体とは思えない速度。

 一直線にカゲツへ飛び掛かる。 牙が迫る。

 だが。 カゲツは動かなかった。

 ほんの僅か。 半歩だけ身体をずらす。

 それだけで、巨大な牙が空を切った。 狼の目が揺れる。

 理解できない。 その隙。 カゲツの手が伸びる。

 そっと、狼の額へ触れた。

「――鎮まれ」

 静かな声。 瞬間。 風が吹き荒れた。

 銀色の魔力が広がる。 森が震える。

 木々がざわめき、空気そのものが共鳴していた。

「なっ……!」

 クルトたちが息を呑む。 巨大狼が苦しみ始める。

 額の黒い結晶が、音を立てて砕けていく。 黒い魔力が溢れ。 そして。 銀色の光へ呑み込まれた。

「ガァァァアアア!!」

 最後の咆哮。 次の瞬間

 巨大狼の身体から力が抜ける。 ゆっくりと崩れ落ちた。

 地面が揺れる。 静寂。

 濁っていた瞳から、狂気が消えていた。

「……終わったのか?」

 クルトが呆然と呟く。 カゲツは静かに頷いた。

「核を砕いた」

「いや、簡単に言ってるけどな!?」

 クルトが思わず叫ぶ。 上級魔物。 しかも異常個体。

 それを一瞬で沈めた。 もはや意味が分からない。

 フィナも完全に固まっていた。 カゲツは巨大狼へ近付き、静かにその頭へ触れる。

「……すまなかったな」

 穏やかな声だった。 狼はもう動かない。 黒い淀みに侵され、狂わされ。

 最後には命を落とした。 カゲツは小さく目を閉じる。

 前世でも、こういう目は何度も見た。

 人も。 獣も。 戦いの中では、多くが苦しみながら死んでいく。

「カゲツ……?」

 フィナが小さく呼ぶ。 カゲツは静かに立ち上がった。

「せめて、無駄にはせん」

 その言葉と共に。 巨大狼の死体が、ふっと消える。

「……え?」

 クルトが固まる。 続いて、周囲の魔物の死体も次々消えていった。

 残されていた魔石も、素材も。 全て。

「お、おい……」

 クルトが引き攣った顔で振り向く。 カゲツは普通に答えた。

「収納した」

「収納!?」

「空間へ入れただけだ」

 当然のような口調だった。 クルトが頭を抱える。

「待て待て待て! 空間収納持ちなのか!?」

「便利だぞ」

「便利ってレベルじゃねぇんだよ!?」

 フィナも呆然としていた。 空間収納。 極めて希少な高位技能。

 大商人や国家クラスが欲しがる能力だ。 それをこの男は、“便利”で済ませている。

 カゲツ本人には自覚が無い。 前世には存在しなかった力だ。 だから比較基準も無い。

「解体は街へ戻ってからでいいだろう」

「……解体もする気なのか」

「素材は使えるのだろう?」

「まぁ使えるけど……」

 クルトが遠い目をする。 巨大狼ほどの魔物なら、素材価値は相当高い。

 毛皮。 牙。 爪。 魔石。 どれも高額になる。

 だが問題はそこではない。 この男は。

 本当に規格外すぎる。 カゲツは静かに森を見渡した。

 先程までの淀みが消えている。 風も穏やかだった。

 木々のざわめきも、どこか安心したように感じる。

「……落ち着いたな」

 その言葉通りだった。 重かった空気が消えている。

 森が静かに呼吸を取り戻していた。 クルトが深く息を吐く。

「とりあえず……帰るか」

「ああ」

「いやほんと、色々ありすぎた……」

 フィナも苦笑する。 三人は来た道を戻り始める。

 夕陽が森を赤く染めていた。 その中を歩きながら、クルトはちらりとカゲツを見る。

 穏やかな横顔。 静かな目。

 だが時折、本当に人ではない何かに見える。

 精霊族。 永命種。 剣鬼。

 きっと。 この男は、これから先も変わらないのだろう。

 何十年。 何百年経っても。 そう思った瞬間。

 クルトはふと考えてしまった。

 ――自分が老いても。

 この男は今のままなのだろうか、と。

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