第56話 精霊族の里
長老の間を後にした一行は、世界樹から続く木漏れ日の道をゆっくりと歩いていた。
先ほどまでの厳かな空気とは違い、森には穏やかな時間が流れている。
鳥たちのさえずりが響き、小さな精霊が木々の間を飛び回っていた。
「昼食まで少し時間があります。」
セレスが足を止め、カゲツへ向き直る。
「よろしければ、里をご案内してもよろしいでしょうか。」
「ああ。」
「せっかく来たんだ。」
「見てみたい。」
その返事に、長老たちは穏やかに微笑んだ。
「では、案内はセレスに任せましょう。」
「私どもは先に会場へ向かっております。」
「分かりました。」
長老たちが別の道へ進むと、森にはカゲツとセレスだけが残った。二人は並んで歩き始める。しばらくは互いに何も話さない。
沈黙が気まずくならないのは、この森が静かだからなのか、それとも二人の性格が似ているからなのか。
「王都では世話になった。」
カゲツが静かに口を開く。
「あの時は助かった。」
「こうしてまた会えて何よりだ。」
セレスは少し驚いたように目を丸くした後、柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございます。」
「私も、こうしてまたお会いできて嬉しく思います。」
風が枝葉を揺らす。王都で別れてから、それほど長い時間が経ったわけではない。
それでも、こうして故郷で再会すると不思議な安心感があった。
「ユグレシアは思っていた以上に広いな。」
周囲を見渡しながらカゲツが呟く。
「世界樹の周囲だけかと思っていた。」
「実際には、この森全体が里です。」
セレスは前方を指差した。
「居住区、畑、薬草園、工房、それぞれ場所を分けています。」
「森を切り開くのではなく、森に合わせて造ってきました。」
歩みを進めるにつれ、木々の間に家々が見え始める。
巨木の幹を利用した住居。枝と枝を繋ぐ木の回廊。自然の形をそのまま活かした建物ばかりだった。
「見事だ……。」
カゲツは思わず足を止める。
「これだけの里なのに、森を壊した跡がほとんどない。」
「ありがとうございます。」
セレスは嬉しそうに頷いた。
「何百年もかけて少しずつ造り続けてきました。」
「急ぐ必要がありませんから。」
その一言に、カゲツは静かに笑みを浮かべる。
「長命種らしい考え方だな。」
「はい。」
「百年後も、二百年後も同じ森で暮らしますから。」
再び歩き始める。途中、鍛錬場では若いエルフたちが弓を引いていた。
離れた場所では薬草を乾かし、別の場所では木工細工を作る者もいる。誰も慌ただしく動いてはいない。
それでも里全体がゆっくりと息づいていた。
「いい場所だ。」
カゲツが自然に漏らした言葉だった。
「旅をしてきた中でも、こういう空気は初めてだ。」
セレスは少し照れたように笑う。
「そう言っていただけると嬉しいです。」
その時だった。木陰から、小さな顔がひょこっと覗く。
幼いエルフの少女だった。
その後ろにも三人、四人と子どもたちが隠れている。
皆、銀色の髪の青年を興味深そうに見つめていた。
「皆さん。」
セレスが優しく声を掛ける。
「隠れなくても大丈夫ですよ。」
子どもたちは顔を見合わせる。やがて、一人の少女が恐る恐る前へ出てきた。
「こんにちは……。」
「こんにちは。」
カゲツも穏やかに返す。少女は少し安心したようだった。
「お名前を聞いてもいいですか。」
「カゲツだ。」
「君は。」
「リーフです。」
「よろしくお願いします。」
小さく頭を下げる少女に、カゲツも軽く頷いた。それを見た他の子どもたちも少しずつ集まってくる。
「その刀、本物?」
「旅をしてきたの?」
「世界樹って光ったの?」
次々と質問が飛んでくる。カゲツは少し困ったように笑った。
「一つずつ頼む……。」
その言葉に子どもたちが笑い出す。張り詰めていた空気はすっかり消えていた。セレスはその様子を静かに眺める。
王都で見た時と変わらない。相手が子どもでも、大人でも、王族でも。
カゲツは決して態度を変えない。だから自然と人が集まってくるのだろう。
「カゲツ様。」
セレスが静かに声を掛ける。
「昼食のお時間が近付いてきました。」
「もうそんな時間か。」
子どもたちは少し残念そうな顔をする。
カゲツは腰を上げると、小さく笑った。
「また時間があれば話そう。」
「はい!」
元気よく返事が返ってくる。
その声に見送られながら、カゲツとセレスは昼食会場へ向かって歩き始めた。
子どもたちに見送られながら、カゲツとセレスは森の奥へ続く道を歩いていく。少し進むと、木々が開けた広場へと出た。
広場の中央には何本もの長い木の机が並べられ、その上には料理が次々と運ばれている。
焼きたてのパン。香草を添えた川魚。森で採れた木の実や山菜。
色鮮やかな果実を使った料理が並び、穏やかな香りが辺りを包んでいた。
「皆さん、準備が早いな。」
カゲツが周囲を見回す。
「今日は特別な日ですから。」
セレスが嬉しそうに答えた。
「世界樹が応えた日でもありますし、精霊族を正式にお迎えする日でもあります。」
「そう大げさにされると落ち着かないな……。」
「ふふっ。」
セレスは小さく笑う。
「そう仰ると思っていました。」
広場へ入ると、準備をしていたエルフたちが一斉に手を止めた。そして、それぞれが穏やかな笑みを浮かべる。
「ようこそ。」
「お待ちしておりました。」
「歓迎いたします。」
誰も大きな声は出さない。それでも、その一言一言から歓迎の気持ちが伝わってくる。カゲツは静かに頭を下げた。
「ありがとうございます。」
その自然な仕草に、近くにいた年配のエルフが目を細めた。
「礼儀正しいお方ですね。」
「王都でも変わりませんでした。」
セレスが穏やかに答える。
「身分で人を見ない方です。」
「なるほど。」
年配のエルフは納得したように頷いた。しばらくすると、長老たちも姿を見せる。
最年長の長老は広場を見渡し、小さく頷いた。
「皆、席に着いてくだされ。」
その一言で、それぞれが静かに席へ着いていく。カゲツも勧められた席へ腰を下ろした。
「改めまして。」
最年長の長老が立ち上がる。
「本日は、カゲツ殿を迎えることができました。」
「世界樹も、その存在を受け入れてくださいました。」
「この良き日に感謝し、ささやかながら食事の席を設けました。」
長老はカゲツへ視線を向ける。
「どうか気兼ねなく、お楽しみください。」
「ありがとうございます。」
短い返事だった。だが、それで十分だった。長老は満足そうに笑みを浮かべる。
「では、いただきましょう。」
その言葉を合図に、食事が始まった。カゲツは目の前に置かれた温かなスープへ手を伸ばす。湯気と共に香草の香りが立ち上った。
一口飲む。優しい味だった。
素材の旨みを活かした素朴な味わいが、ゆっくりと身体へ染み渡る。
「美味い。」
思わず漏れた一言に、料理を運んできた女性エルフが嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。」
「森で採れた野菜だけを使っています。」
「旅では食べられない味ですね。」
「はい。」
女性は誇らしそうに頷いた。その後も料理が運ばれてくる。
焼き魚は皮が香ばしく、中はふっくらとしていた。
木の実を練り込んだパンは素朴な甘みがあり、果実酒ではなく果汁を使った飲み物は爽やかな香りが広がる。
派手さはない。
しかし、一つひとつに丁寧さが感じられた。
「旅では肉料理が多かったのでしょう。」
隣に座るセレスが尋ねる。
「ああ。」
「保存が利くものが多かったな。」
「こういう料理は久しぶりだ。」
「でしたら、お口に合って何よりです。」
食事を進めながら、周囲では穏やかな会話が続いていた。
若いエルフたちは旅の話に興味津々で、時折こちらへ視線を向ける。だが、無遠慮に話しかけてくる者はいない。
皆、程よい距離を保っていた。
「落ち着いた里だな……。」
カゲツが呟く。
「旅人を珍しがる者はいても、騒ぐ者は少ない。」
「外から訪れる方が少ないからこそ、一人ひとりを大切にするのです。」
セレスは静かに答えた。
「特に精霊族のお客様となれば、なおさらです。」
「客、か。」
カゲツは少しだけ考える。
「長老は同胞と言っていたが。」
「はい。」
「ですが、急に故郷だと言われても困ってしまいますよね。」
セレスは優しく笑う。
「ですから今は、お客様で十分です。」
「いつか、この森を故郷と思っていただける日が来たなら。」
「その時は改めて、同胞としてお迎えいたします。」
カゲツは小さく頷いた。
「……その方が気は楽だ。」
「焦る必要はありませんから。」
その返事に、二人は自然と笑みを交わす。食事はゆっくりと進み、広場には穏やかな時間が流れていた。
世界樹の枝葉が風に揺れる音だけが、静かに森へ響いている。
この日、カゲツはユグレシアという里の温かさを知った。
剣の腕でも、精霊族という立場でもない。
一人の旅人として迎え入れられた、その穏やかな時間は、長い旅路の中でも忘れられないひとときとなるのだった。




