44話 銀の剣士
王都北西の森。そこには、静寂だけが残っていた。 変異種の首が、静かに地へ落ちる。 遅れて、巨体が崩れた。 ドサリ、と重い音。
一方。 カゲツは静かに夜凪を見ていた。 刃には血が付いていない。 ただ静かに、銀色の光を返している。
「……軽いな」
ぽつりと呟く。 違和感が無い。むしろ自然だった。 長く使い込んだような感覚すらある。 前世で握っていた刀とも違う。 もっと静かで。 もっと澄んでいる。
その時。 森奥で、枝が揺れた。
「――っ!」
残っていた変異狼が飛び出す。 鋭い牙。 速い。 だが。 カゲツは振り返りもしなかった。 夜凪が、静かに動く。 銀の軌跡。 それだけ。
ズァッ――
一閃。 変異狼の身体が、綺麗に断たれた。 勢いのまま地面を滑り、動かなくなる。 静かだった。 あまりにも。
「……なるほど」
カゲツが小さく呟く。
「力を流しやすい」
以前の木刀とは違う。 夜凪は、自然に身体へ馴染む。 力みが要らない。 斬るというより、“通る”。
そんな感覚だった。 カゲツは静かに夜凪を鞘へ戻す。
シャ……。
澄んだ納刀音。 その瞬間。 森の空気が、少しだけ戻った。 鳥の声。 葉の音。 止まっていた自然が、ゆっくり動き出す。
「……怖ぇ」
不意に、後ろから声がした。 カゲツが視線を向ける。 そこには、数人の冒険者が立っていた。 荷袋。 採取籠。 別依頼で森へ入っていたのだろう。
だが今。 全員、顔が引き攣っている。
「いつから居た」
「と、途中からだよ……!」
「いや、見えなかったんだよあんた!」
若い冒険者が叫ぶ。 他の冒険者たちも頷いていた。
「なんなんだあの刀……」
「斬撃見えなかったぞ……」
「ていうか、変異種が怯んでたよな?」
一方。 カゲツは静かに夜凪へ触れる。
「そういうものらしい」
「説明になってねぇ!」
森へ声が響く。 だが。 どこか緊張は解けていた。 一人のベテラン冒険者が、静かにカゲツを見る。
「……あんた」
低い声。
「本当に、人か?」
一瞬。 森が静まる。 だが。 カゲツは少しだけ空を見る。
「人だった」
静かな返答。
「今は、カゲツとして生きている」
その言葉に。 ベテラン冒険者は何も返せなかった。 ただ。 目の前の銀髪の剣士が、“普通ではない”ことだけは理解していた。
一方。カゲツは静かに森を見る。 試しは終わった。 夜凪は、十分応えてくれる。
「……戻るか」
ぽつりと呟く。 そして。 銀髪の精霊族は、静かに森を後にした。
夕暮れ時の冒険者ギルドは、いつも以上に騒がしかった。
「聞いたか!?」
「北西の変異種、一太刀だったらしいぞ!」
「しかも銀髪が、ついに刀抜いたって!」
酒場側から大声が飛ぶ。 冒険者たちが盛り上がっていた。
一方。 ギルド奥の受付では、リュシエルが深いため息を吐いている。
「……広まるの早すぎません?」
目の前には、カゲツ。 いつも通り静かな顔だ。
「そういうものだろう」
「貴方が言います?」
即答だった。 周囲の冒険者たちが苦笑する。 だが。 皆、ちらちらと夜凪を見ていた。 黒い鞘。 静かな空気を纏う銀の刀。 見ているだけで、妙な緊張感がある。
「……本当に抜いたんだな」
ベテラン冒険者がぽつりと呟く。
「木刀だけで十分化け物だったのによ……」
「余計怖ぇよ」
周囲が頷いていた。 一方。 カゲツは静かに依頼完了書を置く。
「討伐証明だ」
「確認しました」
リュシエルが書類へ目を通す。 その瞬間。 少しだけ表情が変わった。
「……え?」
「どうした」
「変異種、二体いたんですか?」
「ああ」
「聞いてませんよそんなの……」
リュシエルが額を押さえる。 本来なら追加報酬案件だ。
だが。 目の前の精霊族は、完全に普段通りだった。
「……まぁ、貴方ですしね」
半ば諦めたように呟く。 その時だった。
「カゲツ殿」
不意に、ギルド入口側から声が響く。 騎士だった。 白銀鎧。 王城付きの騎士だ。 一瞬。 ギルドの空気が静まる。
「王城より、お呼びです」
周囲がざわつく。
「またかよ……」
「銀髪、完全に王族案件じゃねぇか」
一方。 カゲツは静かに騎士を見る。
「今からか?」
「はい」
騎士が一礼する。
「エルミナ殿下が、お会いしたいと」
一瞬。 リュシエルが少しだけ目を細めた。
「……旅立つ前、ですか」
「ああ」
カゲツが静かに頷く。 もう長くは居ない。 夜凪も完成した。 旅へ出る時期だ。 ユグレシアへ。 森奥の里へ。
「……気を付けてくださいね」
リュシエルが小さく言う。
「王城で刀抜かないでください」
「必要なら抜く」
「必要作らないでください」
一瞬。 ギルドに笑いが広がる。 カゲツは静かに立ち上がる。 夜凪が、僅かに揺れた。 だが。
以前のように風は吹かない。 ただ空気だけが、少し静かになる。 それだけだった。
「……行くか」
ぽつりと呟く。 そして。 銀髪の精霊族は、王城へ向けて歩き出した。
白い石造りの廊下を、カゲツは静かに歩いていた。 腰には《夜凪》。 本来なら、王城内での武器携帯は禁止だ。
だが。 今、誰も止めない。 むしろ騎士たちは、どこか緊張した顔で銀髪の精霊族を見ていた。
「……空気違わねぇか?」
「分かる」
「妙に静かだ」
小さな声が漏れる。 一方。 カゲツ本人はいつも通りだった。 静かに歩いているだけ。
だが。 夜凪を携えてから、周囲の空気が少し変わった。 それを長命種や実力者ほど敏感に感じ取っていた。
「カゲツ殿!」
中庭へ出ると、エルミナが待っていた。 今日は王女としてではなく、少し柔らかな服装だった。
「来てくれたんですね」
「ああ」
短い返答。 エルミナの視線が、自然と夜凪へ向く。
「……改めて見ると、本当に綺麗ですね」
小さく呟く。
「完成した時より、もっと静かになった気がします」
カゲツは静かに夜凪へ触れる。
「馴染んできたからかもしれんな」
「刀が、ですか?」
「俺もだ」
一瞬。 エルミナが少し目を丸くする。 だが。 すぐに柔らかく笑った。
「……はい」
その時。 後ろから低い声が響いた。
「それが例の刀か」
騎士団長ドグラスだった。 大柄な男。 王都でも指折りの実力者。
だが今。 その目は真剣だった。
「北西の森の件は聞いた」
「一太刀だったそうだな」
「試しただけだ」
静かな返答。 その言葉に、周囲の騎士たちが引き攣る。
変異種を“一太刀”で倒しておいて、試しただけ。 感覚が違いすぎる。
「……少し見せてもらえるか?」
ドグラスが静かに言う。 一瞬。 空気が張る。 だが。 カゲツは特に気負う様子も無かった。
「ああ」
短く頷く。 そして。 ゆっくりと夜凪へ手を掛ける。
シャ――……。
静かな抜刀音。 その瞬間。 空気が変わった。
「――っ」
騎士たちが息を呑む。 風は吹かない。 だが。 中庭の音が、一瞬遠くなる。 妙に空気が澄む。 陽光を受けた銀刃が、静かに輝いていた。
「……綺麗だ」
誰かが、無意識に呟く。 そして同時に理解する。 この刀は危険だ。 だが。 不思議と禍々しさは無い。
静かで。 澄んでいて。 ただ、圧倒的だった。 ドグラスが深く息を吐く。
「……なるほど」
低い声。
「こいつぁ、“名を持つ刀”だな」
一瞬。 カゲツは静かに夜凪を見る。 名を持つ刀。 確かに、そうかもしれなかった。 長い時間を掛けて作った。
火。 鉄。 王都で過ごした日々。 その全てが、この刃へ宿っている。
「……気に入っている」
ぽつりと呟く。 その瞬間。 エルミナが少しだけ嬉しそうに笑った。
「良かったです」
一方。 ドグラスは静かに腕を組む。
「旅へ出るんだろう?」
「ああ」
「ユグレシアか」
カゲツは静かに頷く。 すると。 ドグラスが小さく笑った。
「なら、その刀は丁度いい」
「?」
「王都での時間も、ちゃんと持って行け」
一瞬。 カゲツは何も言わなかった。 だが。 否定する気にはならなかった。 夜凪を見ていると分かる。
この刀には、確かに王都アルヴェリアで過ごした時間が宿っていた。




