34話 帰還
王都アルヴェリアへ戻る頃には、空が赤く染まり始めていた。
森を抜けた瞬間。 ギルド職員は、その場へ崩れ落ちる。
「はぁっ……はぁ……」
顔色は真っ青だった。 無理もない。
《蝕森獣グラヴォル》。 災害指定候補。
普通の冒険者なら、生きて帰れただけでも奇跡だ。
一方。 カゲツは静かに王都の門を見上げていた。
「……騒がしくなりそうだな」
ぽつりと呟く。 ギルド職員が引き攣った顔で見る。
「そ、そりゃなりますよ……!」
「木刀で倒したんですよ!? あれを!?」
「そうだったか?」
「そうだったかじゃないです!」
半泣きだった。 カゲツは少しだけ困ったように目を細める。 そのまま二人は冒険者ギルドへ向かう。
ギルドへ入った瞬間。 空気が止まった。
銀髪。 木刀。 そして後ろの職員。
「……帰ってきた」
誰かが呟く。 次の瞬間。 ざわめきが広がった。
「おい、生きてるぞ!?」
「本当に行ったのかあの森!?」
「どうなった!?」
冒険者たちが立ち上がる。
一方。 カゲツはいつも通りだった。
「依頼は終わった」
静かな声。 一瞬。 周囲が固まる。
「……終わった?」
「森は落ち着いた」
あまりにも普通の返答。
だが。 後ろのギルド職員が震える声で口を開く。
「《蝕森獣グラヴォル》を……」
ギルド内が静まり返る。
「た、単独で討伐しました……」
数秒。 完全な沈黙。 そして。
「はぁぁ!?」
ギルドが揺れた。
「嘘だろ!?」
「災害指定候補だぞ!?」
「木刀だったぞあの人!?」
混乱。 悲鳴。 騒音。
一方。 カゲツ本人は少しだけ周囲を見る。
「……騒がしいな」
ぽつり。 その時だった。
「カゲツさん!」
奥からリュシエルが走ってくる。 珍しく、少しだけ息が乱れていた。
「無事だったんですね……!」
「ああ」
短い返答。
だが。 リュシエルは僅かに安堵した顔を見せた。
「討伐証明をお願いします」
「分かった」
カゲツは静かに空間へ手を伸ばす。 空気が揺らぐ。
次の瞬間。 巨大な異形の死骸が、ギルド中央へ現れた。
「っ!?」
「うおっ!?」
冒険者たちが飛び退く。 黒い外殻。 歪んだ巨体。 赤黒い魔力の残滓。 間違いない。
《蝕森獣グラヴォル》。
本物だった。
「ば、馬鹿な……」
「本当に倒したのか……」
「しかも一人で……」
恐怖すら混じった声。 リュシエルも、静かにグラヴォルを見ていた。
そして。 ゆっくりとカゲツへ視線を向ける。
「……木刀で?」
「木刀でだ」
普通に返された。 一瞬。 ギルド内がまた静まり返る。
「意味が分からねぇ……」
誰かが呟いた。
一方。 カゲツは気にした様子もなく木刀を腰へ戻す。
「確認は終わったか」
「え、ええ……」
リュシエルが小さく頷く。
「報酬は明日になります」
「そうか」
特に気にした様子もない。 周囲はまだ騒然としているのに、本人だけ妙に落ち着いていた。
「今日は休んでください」
「分かった」
短い返答。 そしてカゲツは、そのままギルドを後にする。
銀髪が遠ざかっていく。 静かな足音。
だが。 ギルド内の空気は、完全に変わっていた。
「……なんなんだ、あの人」
「精霊族って、本当にああなのか……?」
「いや、普通じゃねぇだろ……」
誰もが、銀髪の旅人を見ていた。 王都アルヴェリア。
“木刀で災害指定候補を討った精霊族”。
その噂は、一夜で王都中へ広がろうとしていた。
翌日。 王都アルヴェリアの朝は、いつもより騒がしかった。
「聞いたか?」
「木刀で《蝕森獣グラヴォル》を……」
「しかも単独討伐だぞ?」
そんな声が、街中で飛び交っている。 酒場。 商業区。 工房街。 冒険者ギルド。 一夜で噂は広がっていた。
だが。
その中心人物は――。
「……静かだな」
宿で普通に茶を飲んでいた。 窓際の席。 朝の光。 湯気の立つ茶。 あまりにもいつも通りだった。
「いや、絶対静かじゃないだろ……」
宿屋の主人が引き攣った顔をする。 昨日から、宿へ冒険者が押し寄せていた。
“銀髪の精霊族”を見に。
だが。 カゲツ本人は気にしていない。
「そうか?」
「そうだよ!」
半ば叫びだった。 一方。 カゲツは静かに茶を飲む。
その姿は、相変わらず穏やかだった。
昼頃。 カゲツは冒険者ギルドへ向かっていた。
石畳を歩く。 すると。 周囲の視線が集まる。
「あれだ……」
「本当に木刀だ……」
「黒鞘の剣鬼って、あの人か?」
そんな声まで聞こえてくる。 カゲツは少しだけ目を細めた。
「……増えたな」
噂が。 呼び名が。 王都へ来た頃とは、もう違う。
だが。 嫌ではなかった。 どこか、受け入れている自分がいる。
工房街での日々。 精霊族としての感覚。 それらが少しずつ、自分の中へ馴染み始めていた。
ギルドへ入った瞬間。 空気が止まる。
「……来た」
誰かが呟いた。 冒険者たちが道を開ける。 昨日とは違う。 驚きだけではない。
畏れ。 敬意。 そんな空気が混ざっていた。
「カゲツさん」
受付からリュシエルが歩いてくる。 だが今日は、少しだけ疲れた顔をしていた。
「大変そうだな」
「誰のせいだと思ってるんですか……」
珍しく深いため息。 周囲の冒険者たちが吹き出す。 以前より、随分自然な距離感になっていた。
「こちらが今回の報酬です」
リュシエルが袋を置く。 中には大量の金貨。 周囲の冒険者たちが息を呑む。
「おい……」
「上級依頼何回分だあれ……」
「流石にやべぇ……」
だが。 カゲツは少し見ただけだった。
「多いな」
「災害指定候補ですから」
リュシエルが静かに言う。
「むしろ安いくらいです」
「そういうものか」
相変わらず反応が薄い。 その時だった。 ギルド入口が開く。
重い鎧音。 白銀の鎧。 王家紋章。 瞬間。
ギルド内の空気が張り詰めた。
「王城騎士団……?」
「なんでこんな所に……」
冒険者たちがざわめく。 騎士たちは真っ直ぐカゲツへ近付いてきた。 そして中央の騎士が、一礼する。
「カゲツ殿」
低く響く声。
「王城より、正式な招待状を預かっております」
一瞬。 ギルドが静まり返る。 リュシエルが小さく息を呑む。 周囲の冒険者たちも固まっていた。
王城からの正式招待。 それはつまり。
王家が、“銀髪の精霊族”を正式に認識したということだ。 騎士は、丁寧な装飾の施された封書を差し出す。
「国王陛下並びに、エルミナ王女殿下より」
その名前が出た瞬間。 周囲が更にざわついた。
「王女殿下も!?」
「おいマジかよ……」
一方。 カゲツは静かに封書を見る。 そして。
「……そうか」
いつも通りだった。 騎士の方が少し困惑した顔をする。
普通なら、もっと緊張する。
だが。 目の前の精霊族は、本当に変わらない。
「また面倒なことになりそうですね……」
リュシエルが小さく呟く。 カゲツは少しだけ空を見る。
そして。
「そうかもしれんな」
穏やかに答えた。 王都アルヴェリア。 銀髪の精霊族は、ついに王城へ招かれることとなった。




