32話 変わりゆく時間
王都アルヴェリアへ来て、二ヶ月が過ぎていた。
最初は旅人だった。
だが今では。 工房街を歩けば職人たちが声を掛ける。
「おう、銀髪!」
「今日は火ぃ見てくだけか?」
「たまには打ってみろ!」
そんな声が飛ぶようになっていた。
一方。 カゲツも、少しずつこの街へ馴染んでいた。
朝。 工房街へ行く。 火を見る。 鉄を見る。 槌音を聞く。 昼には街を歩き。
時折エルミナやリュシエルと話し。 夜は宿で静かに茶を飲む。 穏やかな日々だった。
そして。 不思議と嫌ではなかった。
「坊主」
工房の奥。 ドグランが槌を置く。
「鉄持ってみろ」
無骨な鉄塊が放られる。 カゲツは片手で受け取った。
重い。 だが嫌な重さではない。
「どうだ」
ドグランが聞く。 カゲツは静かに鉄を見る。
黒い鉄。 まだ何にもなっていない塊。
「……静かだな」
ぽつりと呟く。 ドグランの片目が細まる。
「前は、“寂しい”と言った」
カゲツは少しだけ目を細めた。 確かに。 最初に鉄を見た時、そんな感覚があった。
まだ何にもなっていない。 空っぽの鉄。 だが今は違う。
「変わったか?」
「ああ」
短い返答。 ドグランは低く笑う。
「ようやく、“今”を見始めたな」
火が揺れる。 赤い熱が工房を照らす。 カゲツは静かに炉を見る。
昔の刀。 前世の剣。 忘れた訳ではない。 今でも大切だ。
だが。 ずっとそこへ縛られていては、新しい刀は生まれない。
「……難しいものだ」
ぽつりと漏れる。
「当たり前だ」
ドグランが鼻を鳴らす。
「剣は、生き方そのものだからな」
重い言葉だった。 カゲツは静かに目を閉じる。 人として生きた時間。
戦場。 剣鬼と呼ばれた頃。 血の匂い。 失った命。
そして。 転生後の時間。 ローヴェン。
クルトたち。 エルミナ。 リュシエル。 王都での日々。 それら全てが、今の自分だった。
「……俺は」
不意に、言葉が漏れる。 ドグランは黙って聞いていた。
「人として生きてきた」
静かな声。
「ああ」
「だが、今は精霊族だ」
炉の火が揺れる。 その赤い光が、銀髪を照らしていた。
「前は、そこを分けていた気がする」
前世の自分。 今の自分。 別物のように。 だが最近、少しずつ変わってきている。
「……同じなのかもしれんな」
穏やかな呟き。 ドグランは数秒黙り――やがて低く笑った。
「くく……」
「ようやくそこまで来たか」
「何がだ」
「“自分”だよ」
ドグランが炉を見る。
「人だった時間も、精霊族としての今も、お前だ」
火花が散る。
「どっちかを捨てる必要なんざねぇ」
カゲツは静かにその言葉を聞いていた。 不思議と。 胸へ落ちる感覚があった。
その時だった。
「……また難しい話をしていますね」
工房入口から声。 エルミナだった。 今日は簡素な服装だ。 護衛騎士たちは少し離れた場所にいる。
「また来たのか」
「来てはいけませんか?」
「好きにしろ」
いつものやり取り。 エルミナは少し笑う。
そして。 ふとカゲツを見る。
「……何か、変わりました?」
一瞬。 工房の空気が静かになる。 ドグランがニヤリと笑った。
カゲツは少しだけ考え――。
「そうかもしれんな」
穏やかに答えた。 王都アルヴェリア。 火と鉄の匂いの中で。
精霊族の旅人は、少しずつ“今の自分”を受け入れ始めていた。
王都アルヴェリアへ来てから、三ヶ月が過ぎようとしていた。
工房街にも、すっかり馴染んでいる。
「おい銀髪! 炭運べ!」
「そこじゃねぇ馬鹿!」
「坊主! 火が死ぬぞ!」
朝から怒号が飛ぶ。 最初は遠巻きに見ていた職人たちも、今では普通にカゲツへ話し掛けていた。
一方。 カゲツ本人は相変わらずだった。 静かに火を見る。 鉄を見る。
そして時折、自分でも鉄を打つ。 まだ刀ではない。
小さな刃。 簡単な道具。 その程度だ。
だが。 ドグランは何も言わない。 今はまだ、それで良いと分かっているからだ。
「……変わったな」
不意にドグランが言う。
「何がだ」
「空気だよ」
カゲツは少しだけ目を細める。 自覚はあった。 王都へ来た頃より。 少しだけ、“精霊族”としての感覚が自然になっている。
風。 森。 空気。 そういうものが、以前より鮮明に感じられる。
不思議な感覚だった。
「まぁ、悪くねぇ」
ドグランが槌を振るう。
「ようやく馴染み始めたって顔だ」
その時だった。 工房入口から足音が聞こえる。
「……カゲツさん」
リュシエルだった。
だが。 いつもより表情が硬い。 ドグランが眉を寄せる。
「なんだ長耳」
「依頼です」
短い返答。 空気が少し変わる。 カゲツは静かにリュシエルを見る。
「何があった」
「王都北西の森で、上位種が確認されました」
静かな声。
「既に複数の冒険者が戻っていません」
工房の空気が止まる。 周囲の職人たちまで手を止めていた。
「上位種だと?」
「どの級だ」
「詳細不明です」
リュシエルが続ける。
「ですが、生還者の証言では……」
一瞬。 迷うように言葉を切る。
「森そのものが、異常だったと」
カゲツの目が僅かに細まる。
「異常?」
「魔力が乱れているそうです」
リュシエルの声は静かだった。
「感知系統がほとんど機能しない」
その瞬間。 ドグランが舌打ちする。
「面倒臭ぇな」
普通の冒険者には危険すぎる。 だからこそ。 ギルドは、カゲツへ声を掛けた。
「……本来なら複数の上位冒険者パーティへ出す依頼です」
リュシエルが静かに言う。
「ですが」
青い瞳が、真っ直ぐカゲツを見る。
「貴方なら、可能かと」
工房が静まり返る。 職人たちも、息を呑んでいた。
一方。 カゲツは少しだけ目を閉じる。
風。 森。 流れ。 まだ遠い。
だが。 確かに何かが引っ掛かる。
「……荒れているな」
ぽつりと呟く。 リュシエルが目を見開いた。
「分かるのですか?」
「微かにだ」
静かな返答。
「嫌な流れを感じる」
その瞬間。 工房の空気が少し変わる。 職人たちが無意識に息を呑む。 今までのカゲツとは、少し違う。
剣士とも。 魔術師とも違う。 もっと静かで、自然な何か。
「……精霊族ってのは、そういうもんなのか」
誰かが小さく呟いた。 ドグランは黙ってカゲツを見ていた。 そして低く笑う。
「坊主」
「なんだ」
「行くのか」
カゲツは静かに木刀を手に取った。
その瞬間。 工房の空気が少し揺れる。 ただの木刀。
なのに妙な存在感がある。 最近、職人たちは感じ始めていた。 この木刀は、ただの木ではない。
長い時間。 魔力。 気配。 そういうものが、静かに馴染み始めている。
「ああ」
カゲツは静かに頷く。
そして。 ほんの少しだけ目を細めた。
「森が呼んでいる気がする」
一瞬。
リュシエルが息を呑む。 その言葉は、不思議と冗談に聞こえなかった。
まるで。
森そのものが、この精霊族を知っているようだった。




