31話 火と鉄
工房街へ向かう途中。 長命種街区との境目辺りで、リュシエルが足を止めた。
「私はここまでですね」
静かな声。 カゲツは隣を見る。
「仕事か」
「はい」
リュシエルは小さく頷いた。
「流石に、ずっと非番ではいられませんので」
王都冒険者ギルド。 特に長命種関係の受付を任される彼女は、忙しい立場なのだろう。
「そうか」
短い返答。 だが、その声は穏やかだった。 リュシエルは少しだけ迷うように視線を動かす。
「……カゲツさん」
「なんだ」
「また、お話を聞かせてください」
以前より柔らかい声だった。 精霊族。 百年を越える時間。 それなのに、人の温かさを失っていない旅人。 もっと知りたい。
そんな感情が、自分の中にあることをリュシエルは理解していた。 カゲツは少しだけ目を細める。
「話せることならな」
「それで十分です」
リュシエルが小さく笑う。 その笑みは、最初に会った頃よりずっと自然だった。
「では」
「ああ」
短いやり取り。 だが、不思議と嫌な別れではない。 リュシエルは軽く頭を下げると、静かに歩き去っていった。
白い髪が風に揺れる。 やがて人混みへ消えていく姿を、カゲツは少しだけ見送る。
「……長耳のお嬢、随分懐いたな」
後ろから低い声。 ドグランだった。
「いたのか」
「最初からおったわ」
呆れた声が返る。 相変わらず煤まみれだ。
「鍛冶師は足音が重いな」
「坊主が気配薄すぎるんだよ」
そのまま二人は工房街へ入っていく。 熱気が身体を包み込んだ。
赤く燃える炉。 鉄を打つ音。 飛び散る火花。
工房街は、今日も生きていた。
「相変わらず暑いな」
カゲツが周囲を見る。
「火を扱う場所だからな」
ドグランが鼻を鳴らす。
「嫌か?」
「嫌いではない」
むしろ落ち着く。 鉄の匂い。 火の熱。 槌音。 どこか懐かしい。
「……良い音だ」
ぽつりと呟く。 ドグランの片目が細まった。
「やっぱ分かるか」
「ああ」
短い返答。 周囲の鍛冶師たちが、ちらちらとこちらを見ていた。 昨日のやり取りを見られていたのだろう。
“灰髭が気に入った銀髪”。
既に工房街では噂になっているらしい。
「おい、あいつだ」
「精霊族って本当か?」
「ドグランが自分から話し掛けたらしいぞ」
そんな声まで聞こえる。 カゲツ本人は気にしていなかった。
「座れ」
ドグランが木箱を蹴って寄越す。 カゲツは普通に腰掛けた。 工房の中は熱い。 だが不快ではない。
「で」
ドグランが腕を組む。
「坊主、本当に刀打つ気はあるのか」
カゲツは少しだけ考える。 刀。 前世で握っていた長刀。 最後まで共にあった剣。 戦場を越え。
人生を共にした存在。
「……ああ」
静かな返答。
「いずれ打つつもりだった」
ドグランが低く笑う。
「自分でか?」
「その方が良い気がした」
「くく……」
ドグランの口元が歪む。
「ますます気に入った」
普通の剣士なら、名工へ頼む。 だが目の前の精霊族は違う。 自分で作ろうとしている。
しかも。
“武器”ではなく、“共に歩くもの”として考えている。
職人として、それが分かった。
「坊主」
「なんだ」
「刀はな、急いで作るもんじゃねぇ」
「ああ」
「鉄を知り、火を知り、自分を知る」
ドグランが炉を見る。
「そうやって初めて、“自分の剣”になる」
火が揺れる。 赤い光が、ドグランの傷跡を照らした。 カゲツは静かにその言葉を聞いていた。 不思議と、よく分かる。 剣とは、ただの道具ではない。 振るう者の時間が宿る。 迷いも。 積み重ねも。 生き方も。 全て鉄へ刻まれる。
「……前の刀も、大切だったんだろうな」
ドグランが低く聞く。 カゲツは少しだけ目を伏せる。
「……ああ」
短い返答。 それだけだった。 だが。 その一言には、長い時間が滲んでいた。
ドグランはそれ以上聞かなかった。 職人だからこそ分かる。 そこは、簡単に踏み込む話ではない。
「なら尚更だ」
ドグランが炉へ薪を放り込む。 火が大きく揺れた。
「次は、自分の手で作れ」
重い声。 その言葉に。 カゲツは静かに炉を見る。
赤い火。 熱。 鉄。 その光景が、どこか懐かしく感じた。
「……そうだな」
穏やかに呟く。 王都アルヴェリア。 工房街。
火と鉄の匂いの中で。 銀髪の旅人は、静かに新しい時間を歩き始めていた。
火を見る。 鉄を見る。 音を聞く。 それが、カゲツの日課になっていた。
一ヶ月後。 王都アルヴェリア。 工房街。
今日も朝から熱気に包まれている。
「坊主、炭足りん」
「そこだ」
「分かっとるわ!」
ドグランが怒鳴る。 だがその声には、どこか機嫌の良さも混ざっていた。
工房の奥。 カゲツは炉の火を静かに見ていた。 最初はただ眺めていただけだった。 だが今では。
炭の置き方。 風の流れ。 鉄の色。 少しずつ分かるようになってきている。
「……変わるもんだな」
ぽつりと呟く。 ドグランが鼻を鳴らした。
「元々筋が良すぎるんだよ坊主は」
「そういうものか?」
「剣と一緒だ」
槌を振り下ろしながら続ける。
「長ぇ時間向き合った奴は、鉄を見る目が違う」
ガァン――。
重い音が響く。 火花が散る。 カゲツは静かにその音を聞いていた。
嫌いではない。 むしろ落ち着く。 火と鉄だけは、昔も今も変わらない気がした。 王都での生活にも慣れていた。
朝は工房街。 昼は街を歩く。 夜は宿で静かに茶を飲む。
そんな日々。 時折。 エルミナが工房街へ顔を出すこともあった。
「また来たのか」
「そちらこそ」
最初は騎士たちも慌てていた。 だが最近では。
「……またですか」
くらいの反応になっている。 完全には慣れていないが。
以前ほど騒がなくなった。 エルミナ自身が自然に接しているからだろう。
「今日は何を?」
エルミナが炉を見る。
「火を見ている」
「……それだけですか?」
「ああ」
普通に返された。 一瞬。 エルミナが困った顔になる。
その様子を見て、ドグランが豪快に笑った。
「がっはっは! こいつはそういう坊主だ!」
「ドグラン殿まで……」
エルミナが少し頬を膨らませる。 最近では、工房街へ来る時だけ少し年相応になる。
カゲツといると、王女であることを忘れられるのかもしれない。
「ですが、不思議ですね」
エルミナが火を見る。
「ずっと見ていて飽きないのですか?」
カゲツは少しだけ考える。
「火は変わる」
「?」
「同じように見えて、全部違う」
静かな声。
「鉄も、人も同じだ」
エルミナは少し黙る。 やはり不思議な人だ。 言葉は少ない。 だが時折、妙に深い。
「……だから皆、貴方を気にするのでしょうね」
「そうか?」
「はい」
王都で、“銀髪の精霊族”の噂は広がっていた。 工房街。 長命種街区。 冒険者ギルド。 最近では、貴族街でも耳にする。
千年を生きる精霊族。 古代から存在する旅人。 噂は好き勝手に膨らんでいた。
だが本人は。今日も普通に火を見ている。
「坊主」
ドグランが低く呼ぶ。
「なんだ」
「まだ打たせんぞ」
カゲツは少しだけ目を向ける。
「分かっている」
「今のお前は、まだ“前の剣”を見とる」
工房の空気が少し静かになる。 エルミナも黙っていた。 ドグランは槌を肩へ担ぐ。
「新しい刀を打つなら、“今のお前”で打て」
重い声だった。 カゲツは静かに炉を見る。
赤い火。 揺れる熱。 確かに。 まだどこかで、昔の刀を追っている。
「……難しいな」
ぽつりと呟く。 その瞬間。 エルミナが少しだけ笑った。
「貴方でも、そういう顔をするのですね」
「人だからな」
いつもの返答。
だが。 以前より少しだけ柔らかかった。 工房街へ、再び槌音が響く。
王都アルヴェリア。 銀髪の旅人は、ゆっくりとこの街へ馴染み始めていた。




