3話 街へ
森を抜ける頃には、空は赤く染まり始めていた。
荷馬車の車輪が土を踏み、ゆっくりと街道を進んでいく。
御者台に座るクルトは、ちらちらと隣を歩くカゲツを見ていた。
銀色の長髪、 透き通るような白い肌。 整いすぎた顔立ち。 どう見ても普通ではない。
しかも、その細い身体で巨大な魔物を木の枝一本で斬った。 未だに信じられなかった。
「……なぁ」
クルトが口を開く。
「なんだ」
「本当に精霊族なのか?」
カゲツは少し考えた。
「恐らくな」
「恐らくって……自分のことだろ?」
「まだ分からんことも多い」
それは本音だった。 この身体について理解していることは多い。 だが、それでも知らないことの方が多い。
精霊族。 長寿種。 自然との共鳴。
知識として理解できても、実感はまだ薄かった。 クルトは苦笑する。
「なんか変わってるな、あんた」
「よく言われる」
カゲツは静かに答えた。 すると、荷台に座っていたフィナが顔を出す。
「でも、優しいですよね」
「優しい?」
「だって普通、あんな魔物と戦ってる人なんて助けませんよ」
カゲツは少しだけ空を見る。 夕焼けが綺麗だった。
「……どうだろうな」
助けた理由は単純だ。 見捨てる理由が無かった。 それだけだった。 昔なら違ったかもしれない。
戦場では、助ける命と切り捨てる命を選ばなければならなかった。
全てを救えるほど、人は万能ではない。 だから景継は多くを斬った。 多くを見捨てた。 だが今は違う。
急ぐ理由もない。 背負うものもない。 だから手を貸した。 それだけのことだった。
「……?」
フィナが不思議そうな顔をする。
カゲツは小さく笑った。
「気にするな」
風が吹く。 銀髪が揺れた。 その瞬間、街道脇の草花が一斉に揺れる。 まるで頭を垂れるように。
クルトが引き攣った顔になる。
「やっぱ精霊族って怖ぇ……」
「怖いか?」
「いや、だって森が反応してるぞ……?」
カゲツは周囲を見る。
言われてみれば、風の流れが妙に自分へ寄っている気がした。
「……無意識だ」
「余計怖ぇよ」
クルトは肩を落とした。 だが、その表情に怯えは薄い。 代わりに浮かんでいるのは好奇心だった。
伝承の存在。 滅多に会えない長命種。 しかも、異常に強い。 普通なら関わることすら恐れる相手だ。
だがカゲツは妙に自然だった。
静かで、穏やかで、どこか老人のような落ち着きがある。
見た目だけなら、自分より年下にしか見えないというのに。
「……あんた、何歳なんだ?」
不意にクルトが尋ねる。
フィナも興味津々な顔をした。 カゲツは少しだけ考える。
「前の人生も含めれば、百は越えている」
沈黙。 荷馬車の音だけが響く。
「……は?」
クルトの口が半開きになる。
「え、えっと……精霊族ってそんなに生きるんですか?」
「いや。この身体はまだ生まれたばかりだ」
「じゃあ前の人生って?」
「人だった」
さらに沈黙。 クルトとフィナは顔を見合わせた。
「……転生者?」
「そうなるな」
カゲツは特に隠すつもりもなく答えた。 するとクルトが頭を抱える。
「精霊族で転生者とか、情報量多すぎるだろ……」
カゲツにはよく分からなかった。 だが、珍しい存在であることは理解できる。
それでも今更どうこう言うつもりはなかった。
百年も生きれば、自分が他人と違うことくらい何度も経験している。
「まぁいいじゃないですか」
フィナが笑う。
「カゲツさん、悪い人じゃないですし」
「そりゃそうだけどよ……」
「それに、綺麗ですし」
「おい」
クルトが呆れた声を出す。 カゲツは少し目を細めた。
「綺麗と言われるのは慣れんな」
「言われたことないんですか?」
「無いな」
前世では百歳を超えた老人だった。
剣鬼だの師範だのとは呼ばれたが、美しいなどと言われたことは一度もない。
フィナはくすくす笑う。
「今はすごいですよ。街に入ったら絶対目立ちます」
「それは困るな」
「もう遅いと思うぞ」
クルトが苦笑した。 実際、今のカゲツは異様に目立つ。
ただ歩いているだけで空気が変わる。
しかも精霊族。 隠しようがなかった。
そんな話をしているうちに、やがて前方に灯りが見えてくる。
石壁。 門。 そして、人々の気配。
「見えてきました!」
フィナが嬉しそうに声を上げた。 街だった。 この世界へ来て初めて見る、人の営み。
カゲツは静かに目を細める。 人は変わらない。 どんな世界でも。
灯りを作り、集まり、笑い、争い、生きていく。
その光景を見て、カゲツは小さく笑った。
「……悪くない」
その呟きは、夕暮れの風の中へ静かに溶けていった。
街の門前は賑わっていた。 荷馬車を引く商人。 槍を持った衛兵。
旅人や冒険者らしき者たちが行き交い、夕暮れの空気の中には人の熱気が満ちている。
カゲツは静かにその光景を見上げていた。
石造りの壁。 木製の大門。 前世の日本とは全く違う景色。
だが、人の営みというものは不思議と変わらない。 人は集まり、暮らし、笑い、争う。
それがどの世界でも同じなのだと、カゲツはどこか懐かしく感じていた。
「ようやく着いたぁ……」
クルトが大きく息を吐く。
フィナも安心したように胸を撫で下ろしていた。
だが、次の瞬間。 門前にいた衛兵たちの視線が、一斉にカゲツへ向いた。
「……なんだ?」
「銀髪?」
「いや、あれ……」
ざわめきが広がる。 カゲツは少しだけ眉を下げた。
「目立つな」
「そりゃ目立つだろ……」
クルトが苦笑する。
精霊族など、普通の人間は一生に一度見られるかどうかの存在だ。
しかもカゲツは異様に整った容姿をしている。
注目されない方が無理だった。 やがて、一人の衛兵が近付いてくる。 四十代ほどの男だった。
腰には剣。 歴戦の雰囲気がある。
男はカゲツを見るなり、一瞬だけ表情を変えた。
恐らく、分かったのだ。 この少年が“ただ者ではない”と。
「……旅人か?」
「そうだ」
カゲツは穏やかに答える。 衛兵は数秒だけ沈黙した後、小さく息を吐いた。
「身分証は?」
「無い」
「……だろうな」
衛兵は頭を掻く。 その視線が、再びカゲツの腰元へ向いた。
剣は無い。 だが妙だった。
武器を持っていないはずなのに、妙な威圧感がある。
まるで猛獣を前にしているような感覚。
長年衛兵をしてきた経験が警鐘を鳴らしていた。
――この少年は危険だ。
だが同時に理解する。 もし敵対したとして、自分では絶対に勝てない。 カゲツはそんな衛兵の視線に気付いていた。
だからこそ、小さく笑う。
「安心しろ。暴れる気はない」
「……ならいい」
衛兵は肩の力を抜いた。 不思議な声だった。 静かなのに、妙な説得力がある。
クルトが慌てて口を挟む。
「この人、俺たちを助けてくれたんだ! 森狼を一瞬で……」
「クルト」
「お、おう?」
「余計なことは言わなくていい」
カゲツの言葉に、クルトは口を閉じる。 衛兵は目を細めた。 森狼。
この辺りでは熟練冒険者でも苦戦する魔物だ。
それを一瞬。 なるほど、と衛兵は納得した。 やはり普通ではない。
「……まぁいい。問題を起こさないなら通っていい」
「......ローヴェンにようこそ」
「感謝する」
カゲツは軽く頭を下げる。 その動作が妙に自然で、衛兵は少し驚いた。
もっと傲慢な存在を想像していたのだ。
精霊族など、人の上位存在のようなものだと聞いていたから。
だが目の前の少年は静かだった。 まるで長い年月を生きた老人のように。 そのままカゲツたちは門を抜ける。
瞬間。 街の喧騒が耳へ流れ込んできた。
「おお……」
フィナが目を輝かせる。 露店。 酒場。 行き交う人々。 夕暮れの街は活気に満ちていた。
肉の焼ける匂いが漂い、酔っ払いの笑い声が響く。
カゲツは静かに周囲を見渡す。 面白い。
人というものは、どんな世界でも変わらない。
欲を抱え、懸命に生きている。 それが少しだけ懐かしかった。
「カゲツさん!」
フィナが振り返る。
「宿、どうします?」
「宿?」
「旅人なら必要でしょう?」
言われてみればそうだった。 前世では家があった。
だが今のカゲツには、帰る場所が無い。 それを不快とは思わなかった。 むしろ自由だった。
「おすすめあるか?」
「だったら“月兎亭”かな」
クルトが答える。
「飯も美味いし、店主も悪い人じゃない」
「ならそこにしよう」
三人は街の中を歩き出す。 人々の視線は相変わらずカゲツへ向いていた。 美しい銀髪の少年。
しかもどこか人ではない空気を纏っている。 目立たないはずがない。
だがカゲツ本人は気にしていなかった。
むしろ、人々を眺めていた。 笑う者。 怒鳴る者。
酔い潰れる者。 恋人と歩く者。 その全てが、どこか愛おしく見えた。
「……やはり人は面白い」
「え?」
フィナが首を傾げる。 カゲツは少しだけ笑った。
「いや、なんでもない」
夕暮れの空には、既に星が浮かび始めていた。
長い旅の始まりとしては、悪くない夜だった。




