26話 静かな夜
宿へ戻る頃には、空はすっかり暗くなっていた。 王都アルヴェリアの夜。
街灯の灯りが石畳を照らしている。 人通りはまだ多い。 だが昼間よりは静かだった。
「はぁ……」
クルトが椅子へ倒れ込む。
「疲れたぁ……」
「お前歩いただけだろ」
ルークが呆れる。
「王都は歩くだけで疲れるんだよ!」
フィナが苦笑した。 食堂では、他の冒険者たちが酒を飲んでいる。 笑い声。 食器の音。 どこか落ち着く空気だった。
一方。 カゲツは窓際へ座り、静かに茶を飲んでいた。
「ほんと茶好きだな……」
クルトが半笑いで言う。
「落ち着くからな」
「老人みてぇ」
「否定はせん」
「最近開き直ってきたな?」
小さな笑いが起こる。
そんな中。 不意に宿の扉が開いた。 入ってきたのは、見覚えのある長耳族。
「……リュシエル?」
フィナが目を丸くする。 王都ギルドのハイエルフ受付嬢だった。
リュシエルは周囲を見回し、カゲツを見付けると静かに歩いてくる。
「こんばんは」
「ああ」
カゲツは自然に頷いた。 クルトたちは何故か少し姿勢を正している。 相手がハイエルフだからだろう。
だが。 カゲツだけは変わらない。
「座っても?」
「好きにしろ」
リュシエルは向かいへ腰を下ろした。 その仕草一つ一つが綺麗だ。 流石は長命種。 周囲の冒険者たちも、ちらちら視線を向けている。
「珍しいですね」
フィナが言う。
「ギルドの外で会うなんて」
「少し用事がありまして」
静かな返答。 そして。 リュシエルは視線をカゲツへ向けた。
「工房街へ行かれたそうですね」
「行った」
「灰髭ドグランと?」
「ああ」
その瞬間。 リュシエルの目が少しだけ細められる。
「……あの方が、他人へ興味を示すとは」
「有名なのか?」
「王都最高峰の鍛冶師です」
静かな声。
「偏屈ですが、腕は本物です」
カゲツは少しだけ頷く。
「良い音だった」
リュシエルが小さく目を瞬かせる。
「……やはり、そういう見方をされるのですね」
「?」
「普通は、剣を見ます」
リュシエルは静かに言う。
「ですがカゲツさんは、“鉄”を見ている」
その言葉に、カゲツは少し考える。
「鉄は正直だ」
ぽつりと呟く。
「生き方が出る」
一瞬。リュシエルが黙る。 その横で、クルトが小声になった。
「時々、急に深いこと言うよなこいつ……」
「分かる」
ルークも頷く。 リュシエルは静かにカゲツを見る。 やはり不思議だ。 若い。 だが。 言葉の端々が、まるで長い時間を知っているようだった。 その時。
「そうだ」
クルトが思い出したように口を開く。
「俺ら、帰りの護衛依頼受けることにした」
フィナも頷く。
「明後日出発らしいです」
リュシエルの目が、少しだけ動いた。
「ローヴェンへ?」
「ああ」
ルークが笑う。
「流石にずっと王都は落ち着かねぇしな」
その空気を聞きながら。 リュシエルは静かにカゲツを見る。
「……カゲツさんは残られるのですか?」
「ああ」
「理由を聞いても?」
カゲツは少しだけ窓の外を見る。 王都の灯り。 遠くの鐘。 工房街。 まだ見ぬ景色。
「まだ、この街を見たい」
静かな返答。 リュシエルは数秒だけ黙った。 そして。
「……貴方らしいですね」
小さく笑う。 その笑みは、以前より柔らかかった。
長い時を生きる者。 だからこそ分かる。
旅人の目だ。 何かを奪うためではなく。 ただ世界を観るために歩く者の目。
窓の外では。 王都アルヴェリアの夜が、静かに続いていた。
翌日。 王都アルヴェリアは、朝から快晴だった。 宿の食堂も賑わっている。 冒険者。 商人。 旅人。 様々な人間が朝食を取っていた。
「で、今日どうする?」
クルトがパンを齧りながら聞く。
「俺らは依頼の準備だけど」
「買い出しですね」
フィナが頷く。
ローヴェンへの帰路。 数日は掛かる。 食料や装備確認は必要だった。
一方。 カゲツは静かに茶を飲んでいる。
「お前は?」
ルークが聞く。
「工房街へ行く」
「やっぱりか」
全員が納得した。 そこへ。
「おはようございます」
聞き慣れた声。 リュシエルだった。 今日はギルド制服ではない。 白を基調とした落ち着いた服装。
だが、それでも目立つ。
「うぉっ」
クルトが驚く。
「普通の服だ」
「失礼ですね」
リュシエルが少し呆れた。 だが口調は柔らかい。 以前より明らかに空気が違う。
「仕事は?」
カゲツが聞く。
「今日は非番です」
静かな返答。
「少し、王都を歩こうかと」
その瞬間。 クルトとルークの目が光る。
「お」
「へぇ」
「なんだその顔は」
リュシエルが冷たい目を向けた。 フィナは苦笑している。
一方。 カゲツだけは普通だった。
「そうか」
自然な返答。 その空気に、逆に周囲が困る。
「いやもっと何かあるだろ」
クルトが突っ込む。
「何がだ」
「……もういい」
諦められた。 そんなやり取りを見ながら。
リュシエルは少しだけ笑っていた。 王都では珍しい。
肩肘張らずに話せる相手。
しかも。 長命種の自分ですら、底が見えない存在。
「カゲツさん」
「なんだ」
「もし宜しければ、長命種街区をご案内しましょうか」
静かな提案。 クルトが反応する。
「長命種街区?」
「エルフ区画とか、魔術区とかですね」
フィナが目を輝かせる。
「行ってみたい……!」
「お前ら準備あるだろ」
ルークが即座に突っ込んだ。
「うっ」
現実だった。 明後日には出発。 暇ではない。
「くっ……」
クルトが悔しそうにする。 その様子に、リュシエルが少し笑った。
「また来れば良いでしょう」
「……そうだな」
クルトは少しだけ静かになる。 ローヴェンへ帰る。 それは決めている。
だが。 不思議と、王都を離れるのが少し惜しくもあった。 その時。
「また会う」
不意にカゲツが言った。 全員が視線を向ける。 カゲツは静かに茶を飲みながら続けた。
「縁はまだ切れていない」
穏やかな声だった。 クルトが少しだけ笑う。
「……なんだよそれ」
「そのままだ」
短い返答。 だが。 何故か不思議と安心する言葉だった。 フィナも小さく微笑む。
「はい。また会いましょう」
王都の朝日が窓から差し込む。 その光の中。 カゲツは静かに外を見ていた。
この街で過ごす時間は、まだ始まったばかりだった。




