18話 旅の途中
村を出発したのは、昼前だった。 壊れた柵もある程度直り。 怪我人の手当ても終わり。 村人たちは何度も頭を下げていた。
「本当にありがとうございました……!」
村長のガルドが深く頭を下げる。 後ろには村人たち。 子供たちまで並んでいる。 その中には、朝一緒に木刀を振っていた少年もいた。
「兄ちゃーん!」
元気よく手を振っている。 カゲツは静かに視線を向けた。
「怪我はするな」
「うん!」
「ちゃんと素振りしろよー!」
クルトが笑いながら言う。 すると少年は真剣な顔になった。
「毎日やる!」
その返答に、カゲツはほんの少しだけ目を細める。
「そうか」
短い返答だった。 だが、どこか柔らかい。 フィナが横で小さく笑った。
「先生、嬉しそうですね」
「誰が先生だ」
「今朝、自分で否定しなかったじゃないですか」
クルトまで笑う。 カゲツは少しだけ困ったように黙った。
その時。 村長のガルドが静かに口を開く。
「……また、来てくださいますかな」
風が吹く。 静かな昼の風だった。 カゲツは少しだけ空を見る。 長い旅だ。 どこへ行くかも決めていない。
だが。
「縁があれば」
静かな返答。 ガルドは嬉しそうに笑った。
「ええ。それで十分です」
そのまま商隊は動き始める。 馬車の車輪が音を立てる。 村人たちは、姿が見えなくなるまで手を振っていた。
街道へ戻った後も、空気はどこか穏やかだった。
昨日までの緊張感が薄れている。
護衛冒険者たちも、かなり自然にカゲツへ話しかけるようになっていた。
「なぁカゲツ」
槍使いの冒険者ルークが隣へ来る。
「なんだ」
「お前、昔どっかで道場とかやってた?」
クルトが吹き出す。
「分かるか?」
「いや、朝見てたけど教え方上手すぎんだよ」
ルークが苦笑した。
「ガキへの教え方、完全に慣れてただろ」
カゲツは少し考える。 前世では弟子を取っていた。
剣道場。 子供もいた。 厳しい時代だったが、それでも笑って木刀を振る時間は嫌いではなかった。
「……少し昔にな」
静かな返答。 ルークは何となく、それ以上聞かなかった。 この男には、時々妙な重さがある。 軽く踏み込めない何か。
「でも意外だったな」
ルークが空を見る。
「もっと怖ぇ奴かと思ってた」
「最初は皆そう思ってました」
フィナが苦笑する。
「実際、初登場めちゃくちゃ怖かったしな」
クルトも頷いた。
「森で立ってるだけで空気ヤバかったぞ」
「そうか?」
「自覚無いのかよ……」
カゲツ本人は本当に分かっていない顔だった。
その時。後ろから笑い声が聞こえる。商人たちだった。
どうやら村で貰った酒の話をしているらしい。
馬車の上では、子供へ貰った花冠を頭へ乗せられて困っているルークの姿もある。
「似合ってるぞー!」
「うるせぇ!」
そんな声が街道へ響く。 平和だった。
少し前まで異常個体と戦っていたとは思えないほどに。
カゲツは静かにその光景を見ていた。 笑う人々。 騒ぐ冒険者。 穏やかな空気。
それを眺めながら、ふと思う。 前世では、こういう時間は短かった。 戦争。 死。 剣。
常に何かを背負っていた。 だが今は違う。 ただ旅をしている。人を見て。街を見て。世界を歩いている。
「……悪くないな」
ぽつりと呟く。
「ん?」
フィナが首を傾げる。カゲツは少しだけ目を細めた。
「こういう旅も」
その声音は、とても穏やかだった。 クルトが笑う。
「だろ?」
街道の先には、まだ見ぬ景色が広がっている。王都。
鍛冶師。 新しい出会い。 そして恐らく、また戦いもある。 だが今は。 この穏やかな時間を歩くのも悪くない。
百年生きた剣鬼は、静かに風を感じながら歩いていた。
村を出てから三日後。 商隊は順調に街道を進んでいた。
大きな襲撃も無い。 異常個体も現れない。
その事実だけで、護衛冒険者たちの空気はかなり軽くなっていた。
「平和って素晴らしいな……」
ルークが荷馬車へ寄り掛かりながら呟く。
「数日前まで死にかけてたから余計にな」
クルトも苦笑する。 フィナは馬車の上で薬草を整理していた。
「でも本当に、最近静かですよね」
「嵐の前じゃねぇといいけどな」
バルクが前方を見ながら言う。 歴戦の冒険者らしい言葉だった。 だが今日は、本当に穏やかだった。
空気は涼しく。 風も心地良い。
その時。 ぽつり、と。 クルトの頬へ何かが落ちる。
「……ん?」
空を見上げる。 灰色の雲。 いつの間にか広がっていた。
「雨か」
カゲツが静かに呟く。 そして次の瞬間。
ざぁぁぁぁ――。 一気に降り始めた。
「うおっ!?」
「急すぎるだろ!」
商人たちが慌てて荷へ布を掛け始める。 馬たちも落ち着かない。 街道はあっという間に濡れていった。
「前に休憩小屋がある!」
御者が叫ぶ。 商隊は急いで進路を変えた。 街道脇の古い休憩小屋。 石造りの簡素な建物だった。
旅人用なのだろう。 屋根は古いが、雨宿りには十分だった。
「助かったぁ……」
クルトが濡れた髪を拭く。
「凄い雨ですね……」
フィナも窓の外を見ていた。 雨音が激しい。 空まで暗くなっている。 今日はここで停滞することになりそうだった。 小屋の中では、商人たちが火を起こし始めている。
濡れた服を乾かし、湯を沸かす。
そんな中。 カゲツは窓際へ座り、静かに雨を眺めていた。
「……好きなのか?」
隣へ来たバルクが尋ねる。
「雨か」
「ずっと見てるだろ」
カゲツは少しだけ考えた。
「嫌いではない」
「変わってんなぁ」
バルクが苦笑する。 だがカゲツは静かだった。 雨の音は落ち着く。 前世でも、雨の日は道場が静かだった。
木の床を叩く音。 湿った空気。 弟子たちの足音。 そんな記憶が、不意に蘇る。
「……思い出すんだ」
ぽつりと漏れる。
「昔を」
バルクは何も聞かなかった。 代わりに酒瓶を差し出す。
「飲むか」
「昼だぞ」
「雨の日は別だ」
「雑だな」
だがカゲツは受け取った。 一口飲む。 喉が熱くなる。 その時だった。
「カゲツさん!」
フィナが手を振る。
「こっち来てください!」
「なんだ」
近付くと、商人たちが何やら困った顔をしていた。
「実は車輪が少し傷んでまして……」
ローヴェン商会の責任者・エドガーが苦笑する。
「この雨でぬかるむと厄介なんです」
見ると、確かに荷馬車の車輪に亀裂が入っていた。
「予備は?」
「ありますが、交換はかなり重労働でして……」
その瞬間。 周囲の視線が、自然とカゲツへ集まる。
「……なんだ」
クルトが吹き出した。
「いや、お前なら一人で持ち上げられるだろ」
「持ち上げられるな」
「普通に認めるなよ……」
だが実際、カゲツは普通に荷馬車を持ち上げた。
「おぉぉ……」
商人たちがざわつく。 重い。 本来なら数人掛かりの作業だ。 それを銀髪の青年が片手で支えている。
「やっぱ精霊族っておかしいだろ……」
ルークが遠い目をした。 カゲツ本人は静かだった。
「早く替えろ」
「あ、はい!」
商人たちが慌てて車輪交換を始める。
その間。 カゲツは普通に荷馬車を支えていた。 全く揺れない。
「……なんかもう慣れてきたな」
クルトがぼそりと呟く。
「慣れたら駄目だと思います」
フィナが即答した。 やがて交換が終わる。
「助かりました!」
エドガーが深々と頭を下げる。 カゲツは静かに荷馬車を下ろした。
「これで進めるな」
「はい。本当に」
雨はまだ降っている。 だが小屋の中には、少し穏やかな空気が流れていた。 誰かが湯を配り始め。 冒険者たちは雑談し。 商人たちは笑っている。
旅の途中。 こういう時間もまた、悪くない。
カゲツは湯気の立つ茶を受け取り、静かに窓の外を見た。
雨は、まだしばらく続きそうだった。




