17話 村の夜
その日の夜。 商隊は村へ滞在することになった。
元々、被害確認と修繕には時間が掛かる。 無理に夜道を進む理由も無かった。
村人たちは、商隊の者たちを歓迎していた。 特にカゲツへの感謝は大きい。
巨大熊――“山主”と呼ばれていた異常個体。 あれがこの辺り一帯を荒らしていたらしい。
「本当に助かりました……」
村長が深々と頭を下げる。 白髪の老人だった。 名をガルドというらしい。
「気にするな」
カゲツは静かに答える。
「困っていたから助けただけだ」
「それをできる者ばかりではありません」
ガルドは苦笑した。 実際、普通の冒険者ではあの巨大熊は止められなかっただろう。
だからこそ、村人たちは未だに半信半疑だった。 目の前にいる銀髪の青年が、本当にあの怪物を倒したのかと。
その時。
「兄ちゃん!」
小さな声が飛ぶ。 振り返ると、子供たちがこちらを見ていた。 三人ほど。 皆、恐る恐るという顔をしている。
「なんだ」
カゲツが視線を向ける。 一番小さな少年が、おずおずと口を開いた。
「ほんとに、山主倒したの?」
「倒した」
「木の棒で?」
カゲツは手元の木刀を見る。
「そうだな」
子供たちの目が丸くなる。
「すげぇ……!」
「やっぱ精霊様だ!」
「違う」
即答だった。 クルトが後ろで吹き出す。
「最近それ多いな」
「誤解は訂正すべきだろう」
「もう無理だと思うぞ……」
フィナも苦笑していた。 だが子供たちは楽しそうだった。 先ほどまで怯えていた顔とは違う。
村に笑顔が戻り始めている。 カゲツはそれを見ながら、小さく目を細めた。
「……良いことだ」
ぽつりと呟く。 前世では、こういう光景を守れなかったことも多い。 だからだろうか。
今の平和な空気が、少しだけ眩しく感じる。 夜になると、村では小さな宴のようなものが開かれた。 豪華ではない。 だが温かい食事だった。
スープ。 焼いた肉。 硬いパン。 それでも、村人たちは笑っていた。
「うめぇ……」
クルトが感動したように呟く。
「腹減ってたから余計染みる……」
「いっぱいありますからね」
フィナも笑う。 一方。 カゲツは静かにスープを口へ運んでいた。 温かい。 素朴な味だ。 だが不思議と落ち着く。
「口に合いませんでしたか?」
近くにいた村の女性が少し不安そうに尋ねる。
「いや、美味い」
カゲツが答えると、女性は安心したように笑った。 その様子を見て、クルトがぼそりと呟く。
「なんか最近、普通に馴染んでるよな」
「最初めちゃくちゃ警戒されてましたもんね」
「今もされてると思うぞ」
カゲツは静かに言う。 実際、村人たちはどこか畏怖混じりだった。 無理もない。
銀髪。 精霊族。 異常な強さ。 どう見ても普通ではない。
だが、それでも。 彼らは少しずつカゲツへ近付いてきていた。 強さだけではないと、感じ始めているのだろう。
その時。
「兄ちゃん!」
昼間の少年がまたやって来る。
「木の棒見せて!」
「木の棒ではない」
「木刀だっけ?」
「そうだ」
カゲツは木刀を渡す。 少年は目を輝かせた。
「軽っ!」
「軽いか?」
「でもすげぇ硬い!」
ぶんぶん振り回し始める。 危ない。 クルトが慌てる。
「おいおい!」
だがカゲツは少しだけ笑っていた。 本当に僅かに。 その表情を見て、フィナが目を瞬かせる。
「……笑いました?」
「ん?」
「今、少し」
カゲツは少しだけ考える。 自分ではよく分からなかった。
だが、 子供が木刀を振っている姿は、少し懐かしかった。 前世。 道場。 弟子たち。
まだ平和だった頃。 色んな記憶が一瞬だけ蘇る。
「……昔を思い出しただけだ」
静かな声だった。 クルトとフィナは、それ以上聞かなかった。 カゲツには時々、そういう顔をする時がある。
若者ではなく。 もっと長い時間を生きた者の目。 その時。
「ほっほ」
村長のガルドが近付いてくる。 手には酒瓶。
「少し付き合わんか?」
「酒か」
「嫌いではあるまい?」
「嫌いではない」
カゲツは受け取る。 村長は隣へ腰を下ろした。 焚き火が静かに揺れている。 村人たちの笑い声。
夜風。 穏やかな夜だった。
「……良い村だな」
カゲツがぽつりと呟く。 ガルドは少し驚いたように目を細める。
「何も無い村ですぞ?」
「だから良い」
静かな返答だった。 ガルドは数秒だけ黙り、それから優しく笑う。
「不思議なお人だ」
カゲツは何も答えない。 ただ静かに、焚き火の向こうを見ていた。
揺れる炎。 笑う人々。 守られた日常。 それを眺めながら。 百年生きた剣鬼は、ほんの少しだけ穏やかな目をしていた。
翌朝。
村は静かな朝を迎えていた。鳥の声。 朝露の匂い。 遠くでは鶏の鳴き声も聞こえる。
昨日まで魔物の恐怖に包まれていたとは思えないほど、穏やかな空気だった。
カゲツはいつものように早く目を覚ましていた。 まだ日も完全には昇っていない。 村外れの草地へ歩き、静かに木刀を抜く。
風が吹く。 草が揺れる。
そして。 カゲツはゆっくり構えた。 静かな動きだった。 速くはない。 だが、無駄が無い。
呼吸と共に、自然に木刀が動く。 振る。 止める。 流す。
その一つ一つが、まるで長年積み重ねられた型のようだった。 実際、積み重ねられている。 百年。 それ以上の時間。 身体に刻まれた剣だった。
「……綺麗だ」
不意に声がした。 振り返ると、フィナが立っていた。 眠そうな目を擦っている。
「起こしたか」
「いえ、私も早起きなので」
フィナは少し照れたように笑う。
「でも驚きました。毎朝やってるんですか?」
「ああ」
「百年?」
「大体」
「やっぱり時々さらっと凄いこと言いますよね……」
フィナが苦笑する。 カゲツは静かに木刀を下ろした。
「剣は積み重ねだ」
ぽつりと呟く。
「一日で強くはならん」
その声は穏やかだった。 だが、重みがある。 百年続けた者の言葉だった。
その時。
「兄ちゃーん!」
元気な声が飛ぶ。 昨日の少年だった。 後ろには他の子供たちもいる。
「やっぱここにいた!」
「なんだ」
「また木刀見たい!」
カゲツは少しだけ目を細める。 昨日より、子供たちの警戒はかなり薄れていた。 完全に懐かれている。
その様子を見て、フィナがくすりと笑った。
「人気者ですね」
「理解できん」
「多分、優しいからですよ」
カゲツは少し黙った。 そして小さく息を吐く。
「……そういうものか」
子供たちは既に木刀へ興味津々だった。
「振っていい!?」
「怪我はするな」
「する!」
「元気よく言うなよ……」
後ろからクルトが眠そうな顔で歩いてくる。
「朝から騒がしいな」
「おはようございます」
「おう……」
クルトは大きく欠伸をした。 だが、その目はすぐカゲツへ向く。
「また朝稽古か?」
「ああ」
「本当に毎日やってんだな」
「やらねば鈍る」
「いやもう十分強いだろ……」
クルトが呆れる。 だがカゲツは首を横へ振った。
「剣に終わりは無い」
静かな返答だった。 その言葉に、クルトは少し黙る。
時々思う。 この男は、本当にどれだけ積み重ねてきたのだろうと。 若い見た目なのに。
剣へ向ける感覚が、まるで老人の達人だ。
その時。
「兄ちゃん!」
少年が木刀を構える。 だが当然、滅茶苦茶だった。
足も。 腕も。 重心も。 全部ぐらぐらだ。
カゲツは少しだけ見ていたが、やがて静かに近付く。
「違う」
「へ?」
「力を入れすぎだ」
後ろから、そっと木刀を支える。
「剣は振り回すものではない」
静かな声。
「流す」
カゲツが軽く動かす。 すると木刀が、驚くほど自然に動いた。
「おぉ……!」
子供たちの目が輝く。 フィナも感心したように見ていた。
「なんか、踊りみたいですね」
「近いかもしれん」
カゲツは静かに答える。 剣は力だけではない。
流れ。 呼吸。 間。 そういうものだ。
「兄ちゃん先生みたい!」
少年が嬉しそうに言う。その瞬間。 カゲツの動きが、ほんの少し止まった。
先生。 その言葉が、昔を思い出させる。 前世。 道場。 弟子たち。 老いてなお木刀を振っていた日々。
失ったもの。 残ったもの。 色んな記憶が一瞬だけ胸を過ぎる。
「……カゲツ?」
クルトが少し不思議そうに見る。 カゲツは静かに目を細めた。
「いや」
そして。 本当に僅かに笑う。
「悪くない呼ばれ方だ」
朝日が昇る。柔らかな光が、村を照らしていた。
その中で。 銀髪の青年は、子供たちへ静かに木刀を教えていた。




