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百年生きた剣鬼、希少長寿種に転生し、世界を観る  作者: ザナトス


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16話 木刀

 巨大熊が咆哮する。 空気が震えた。 夜の草原へ、圧倒的な殺気が広がる。 商人たちは青ざめ、馬は怯えたように暴れていた。

 異常個体。 しかも今までの魔物とは明らかに格が違う。

 護衛隊長のバルクですら、表情を険しくしていた。

「全員下がれ!」

 怒声が飛ぶ。 護衛冒険者たちが即座に距離を取った。 あれは危険すぎる。 数でどうにかなる相手ではない。

 だが。 その真正面へ。 カゲツだけが静かに立っていた。 手には木刀。 ただそれだけ。

「お、おい……」

 ルークの声が震える。

「木刀でやる気かよ……?」

 巨大熊が地面を砕きながら突進する。 速い。 巨体とは思えない速度だった。 普通なら反応すらできない。

 だがカゲツは動かない。 静かに呼吸する。 夜風が銀髪を揺らした。

 その瞬間。 巨大熊の腕が振り下ろされる。 轟音。

 空気そのものが潰れるような一撃。

 だが。 カゲツは半歩だけ踏み込んだ。

「――っ!?」

 誰かが息を呑む。 木刀が動く。 ただ、それだけだった。 凄まじい衝突音。

 次の瞬間。 巨大熊の身体が大きく逸れる。

「な……」

 バルクが目を見開く。 受け流した。 あの怪力を。 木刀一本で。

 しかも真正面から。 巨大熊自身も理解できていないようだった。 体勢が崩れる。

 その隙。 カゲツが静かに踏み込む。 速い。 いや。

 “静か”だった。 気付けば懐へ入っている。

 木刀が振られる。 軽く。 本当に軽く見えた。

 だが次の瞬間。 巨大熊の身体が宙を舞った。

「は?」

 ルークが間抜けな声を漏らす。 三メートルを超える巨体。 それが吹き飛ばされていた。

 地面を転がり、木々を何本も薙ぎ倒す。 轟音。 土煙。

 誰も言葉を失っていた。 カゲツは静かに木刀を下ろす。

「……まだか」

 低く呟く。 巨大熊は再び立ち上がった。 額の黒い結晶が脈打っている。

 狂気。 淀み。 それが無理やり身体を動かしていた。

 カゲツは少しだけ目を伏せる。

「本当に、酷いな」

 ぽつりと漏れる。 魔物たちも被害者だ。 本来の理性を奪われ、狂わされている。 それが分かるからこそ、胸の奥が僅かに重い。

 巨大熊が再び咆哮した。 だが先ほどより動きが荒い。

 理性が崩れている。 その瞬間。 カゲツの姿が消えた。

「――え?」

 バルクが目を見開く。 次の瞬間には、巨大熊の頭上にいた。 夜空を背に。 銀髪が月光を反射する。

 そして。 木刀が、静かに振り下ろされた。 音は小さかった。

 だが。 空気そのものが震える。

 ――ゴッ。

 鈍い衝撃。 次の瞬間。

 巨大熊の身体が地面へ叩き伏せられた。 轟音。 大地が揺れる。 土煙が舞い上がった。

 静寂。 誰も動けない。 やがて風が吹き、土煙が晴れていく。

 そこには。 地面へ沈み込む巨大熊と、その額へ木刀を当てたまま立つカゲツの姿があった。

 黒い結晶には、亀裂が入っている。 カゲツは静かに目を閉じた。

「――鎮まれ」

 淡い銀光が広がる。 風が吹く。 草原を渡る優しい風。

 そして。 ぱきり、と。 黒い結晶が砕け散った。

 巨大熊の身体から力が抜ける。 濁っていた赤い瞳が、ゆっくり元の色へ戻っていった。

「……終わったのか?」

 クルトが呆然と呟く。 カゲツは静かに頷いた。

「核を砕いた」

「いや、木刀で?」

 ルークが震えた声を出す。

「木だぞ?」

「木だな」

「意味分かんねぇよ……」

 周囲の冒険者たちも完全に固まっていた。 誰も理解できない。 巨大な異常個体。 それを木刀一本で制圧した。

 しかも、ほとんど傷付けず。バルクだけが、静かにカゲツを見ていた。

 そして低く呟く。

「……剣鬼、か」

 その言葉に、誰も否定できなかった。 夜風が吹く。

 草原を静かに揺らしていく。 カゲツは倒れた巨大熊を見下ろした。 その目は、勝者のものではない。

 ただ静かに、苦しみを終わらせた者の目だった。

それからは落ち着きを取り戻し、 夜が明け始めていた。 草原の向こうから、淡い朝日が昇ってくる。

 巨大熊との戦いの後。

 商隊には、ようやく静けさが戻っていた。 だが空気は重い。 誰もが疲れていた。 異常個体。 しかもあれほどの化け物。 護衛冒険者たちは未だに現実感が薄い。

 一方。 カゲツは静かに巨大熊を見下ろしていた。

 既に黒い淀みは消えている。 苦しみから解放されたように、その表情は穏やかだった。

「……収納するのか?」

 クルトが尋ねる。

「いや」

 カゲツは首を横へ振った。

「村へ返した方がいい」

「返す?」

「被害状況を見ねば分からんが、素材になるなら使うべきだろう」

 静かな返答だった。 バルクが腕を組みながら頷く。

「確かに、あのサイズだ。村なら数ヶ月分の金になる」

 助けを求めてきた男――村人の男は、何度も頭を下げていた。

「す、すまねぇ……本当に助かった……」

 顔は疲れ切っている。 恐怖もまだ抜けていない。 無理もない。 突然、魔物の群れに襲われたのだ。

「村まではどれくらいだ」

 バルクが尋ねる。

「馬車なら一時間ほどです……!」

 その返答を聞き、バルクは少し考える。 そして商隊へ振り返った。

「予定変更だ。村へ寄る」

 ざわめきが起こる。 だが反対する者はいなかった。 見捨てられる状況ではない。 エドガーも静かに頷く。

「人命優先ですな」

 そのまま商隊は進路を変えた。 村は、森近くにあった。

 小さな村だった。 木造の家が並び。

 畑があり。 柵がある。 どこにでもある、普通の村。

 だからこそ。 被害の跡が痛々しかった。

 壊れた柵。 荒らされた畑。 倒れた荷車。

 村人たちの顔にも疲労が浮かんでいる。

「父ちゃん!」

「無事だったか!」

 助けを求めてきた男へ、子供たちが駆け寄る。 男は膝をつき、強く抱き締めた。

 その光景を見ながら、カゲツは静かに目を細める。

「……良かったな」

 小さな呟きだった。 フィナが隣で笑う。

「カゲツさん、そういう顔しますよね」

「どんな顔だ」

「優しい顔です」

 カゲツは少しだけ困ったように黙った。 その時。

「おぉ……」

 村人たちのざわめきが起こる。 巨大熊の死体が運ばれてきたのだ。

「な、なんだこれ……」

「山主じゃねぇか……!」

 年老いた村長らしき男が、震える声を漏らす。 バルクが前へ出た。

「異常個体だった。もう心配はいらん」

 その言葉に、村人たちの空気が少し緩む。 泣き出す者までいた。 ずっと恐怖の中にいたのだろう。

「助かった……」

「これで生きられる……」

 小さな村。 余裕は無い。 だからこそ、魔物被害は死活問題なのだ。

 その時。 カゲツは黙って倒れた柵へ向かった。

「……カゲツ?」

 クルトが首を傾げる。 カゲツは普通に木材を持ち上げ始めた。

「直すのか?」

「ああ」

「いや、お前が?」

「人手は多い方がいい」

 当然のように答える。 村人たちが目を丸くしていた。

 銀髪の精霊族。 上級異常個体を倒した化け物。

 そんな存在が、普通に柵を直している。

「……変な人だな」

 クルトが苦笑する。 だがフィナは少し嬉しそうだった。

「カゲツさんらしいです」

 その後。 カゲツは淡々と手伝った。 倒木を運び。 壊れた柵を立て。 荷車を起こす。 その動きは自然だった。

 力仕事も異常に速い。 だが本人は全く偉ぶらない。

 昼頃になると、村の空気もかなり落ち着いていた。

 その時。 一人の老人が、静かにカゲツへ近付いてくる。

 白髪の老人だった。 深い皺。 長く生きてきた顔。

「……あんたさん」

「なんだ」

 老人は少しだけ目を細める。

「不思議な人じゃな」

 カゲツは黙って聞いていた。

「昔、祖父から聞いたことがある」

 老人は空を見る。

「人を助け、静かに去っていく“精霊様”の話をな」

 風が吹く。 朝の柔らかな風だった。 老人は小さく笑う。

「なんとなく、あんたさんを見て思い出したわい」

 カゲツは少しだけ目を伏せる。 そして静かに答えた。

「……買い被りだ」

 その返答に、老人は優しく笑った。

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