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百年生きた剣鬼、希少長寿種に転生し、世界を観る  作者: ザナトス


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14話 黒牙猪

 森の奥から響く低い唸り声。 空気が変わった。

 先ほどまでの和やかな空気が、一瞬で消える。 護衛冒険者たちの表情が引き締まった。

「……来るぞ」

 護衛隊長・バルクが低く言う。 冒険者たちが即座に武器を取った。 流石に慣れている。

 さっきまで笑っていた空気が嘘のようだった。 クルトも剣へ手を掛ける。

「魔物か?」

 カゲツは静かに森を見ていた。

「ああ。しかも群れだ」

 その言葉と同時。 森が揺れた。 次の瞬間。

「ブモォォォオ!!」

 巨大な猪が飛び出してくる。 黒い体毛。 異様に発達した牙。 赤黒い瞳。

「黒牙猪だ!」

 誰かが叫ぶ。 しかも一体ではない。 三。 五。

 更に奥にも気配がある。

「多いな……!」

 バルクが顔を顰める。 本来ならここまで群れない魔物だ、 しかも、どれも興奮状態だった。

 カゲツの目が細められる。

「……また淀んでいる」

「何?」

「魔力だ」

 以前ローヴェン近郊で見た異常個体。 あれと似ている。 完全ではない。 だが確実に影響を受けていた。

「来るぞ!」

 黒牙猪が突進する。 地面が揺れる。 巨体とは思えない速度。 商人たちから悲鳴が上がった。

「護衛隊、前へ!」

 バルクが吼える。 冒険者たちが迎撃へ動いた。 剣。 槍。 魔法。 戦闘が始まる。 黒牙猪は危険な魔物だ。

 突進力が異常に高く、生半可な盾では止まらない。

 だが護衛隊も弱くない。 前衛が受け。 後衛が援護し。 連携して押し返していく。

「はぁっ!」

 ルークの槍が猪の脚を裂く。

「右からもう一体!」

「分かってる!」

 混戦。 土煙。 怒号。 商隊護衛らしい戦場だった。

 その中で。 カゲツだけは静かだった。 抜刀すらしていない。

「カゲツ!?」

 クルトが叫ぶ。

「動かねぇのか!」

「いや」

 カゲツは森の奥を見ていた。

「本命がいる」

 その瞬間。 ぞわり、と空気が震えた。 次の瞬間。

 森の木々を薙ぎ倒しながら、“それ”が現れる。

「――っ!?」

 冒険者たちが息を呑む。 巨大だった。 通常の黒牙猪の倍近い。 黒い体毛。 濁った赤い瞳。 そして額には、黒い結晶。

「また異常個体かよ……!」

 バルクが舌打ちする。 周囲の黒牙猪たちも、更に興奮し始める。 完全に群れの主だ。

 巨大猪は咆哮を上げ、そのまま一直線に商隊へ突進した。

「やべぇ!」

「止めろ!」

 だが間に合わない。 巨体。 速度。 あれが馬車へ突っ込めば、被害は避けられない。

 その時だった。 カゲツが、一歩前へ出る。 静かに。

 本当に静かに。 抜刀。 音すら無かった。

 次の瞬間。 銀色の線が走る。

「――え?」

 誰かが呟く。 巨大猪の突進が止まっていた。 数秒遅れて。 巨大な身体が、ゆっくり横へ崩れ落ちる。

 轟音。 地面が揺れた。 静寂。 誰も動けない。 巨大猪の額。

 そこにあった黒い結晶だけが、綺麗に断ち切られていた。

「……核だけ斬ったのか?」

 バルクが呆然と呟く。 カゲツは静かに剣を納めた。

「できれば殺したくはなかったが」

 低い声だった。 だが巨大猪はもう動かない。 淀みが深すぎた。 恐らく、戻せなかったのだろう。

 その瞬間。 周囲の黒牙猪たちが、一斉に動きを止める。 赤黒かった瞳が、徐々に元へ戻っていった。

「……正気に戻った?」

 フィナが目を見開く。 黒牙猪たちは混乱したように周囲を見回し、やがて森へ逃げていく。 静寂だけが残った。

「終わった……のか?」

 ルークが呆然と呟く。 バルクも数秒黙っていたが、やがて深く息を吐く。

「……お前、本当に何なんだ」

 カゲツは倒れた巨大猪を見つめる。

「旅人だ」

「その返し好きだな……」

 クルトが遠い目をした。 周囲の冒険者たちは、まだ呆然としていた。 一瞬だった。 抜刀して。 斬って。 終わった。 しかも巨大猪だけを。

 周囲へ被害を出さず。

「……剣鬼」

 不意に、誰かが呟いた。

 静かな声だった。 だが。 その言葉は、不思議と皆の胸へ残った。 カゲツは何も言わない。

 ただ静かに、風に揺れる草原を見ていた。

 黒牙猪の襲撃から数時間後。 商隊は予定より少し早く野営準備へ入っていた。

 流石に皆、疲れていたのだ。 特に護衛冒険者たちの精神疲労が大きい。 異常個体。 しかも群れ。

 普通なら死人が出てもおかしくない襲撃だった。

 だが。 結果として被害は軽微。 それどころか、商隊側に重傷者すらいなかった。 理由は言うまでもない。

 カゲツ。 その存在だった。

「……化け物だろあれ」

 焚き火の近くで、ルークが呆然と呟く。 槍使いの若い冒険者だ。 向かいでは、他の護衛冒険者たちも頷いていた。

「しかも斬ったの核だけだぞ?」

「普通できねぇよ……」

「見えなかったしな」

 そんな声が飛び交う。 一方。

 少し離れた場所で、カゲツは静かに焚き火を見ていた。 ぱちぱち、と薪が爆ぜる。 夜風は少し冷たい。

 頭上には星空が広がっていた。

「ここにいたんですね」

 フィナが隣へ座る。 少し遅れてクルトも来た。

「皆、カゲツの話ばっかしてるぞ」

「そうか」

「そうかじゃねぇよ……」

 クルトが苦笑する。 もはや商隊の中で、カゲツは完全に別格扱いだった。 それも当然だろう。

 上級異常個体を一瞬で沈めた。 しかも周囲を巻き込まず。技量として異常すぎる。

「なぁ」

 クルトが焚き火を見ながら口を開く。

「前から思ってたんだけどさ」

「なんだ」

「あんた、戦うの嫌いじゃないだろ」

 静かな問いだった。 フィナも少し気まずそうに視線を向ける。 カゲツは少しだけ考えた。

 そして静かに答える。

「嫌いではない」

「やっぱりか」

 クルトが苦笑する。 カゲツは炎を見る。

「剣は長く振っていた」

 ぽつりと呟く。

「気付けば、それしか無かった時期もある」

 その声音は穏やかだった。 だが、妙に重い。 クルトとフィナは黙って聞いていた。

「戦うこと自体を否定する気は無い」

 カゲツは続ける。

「生きるために必要な時もある」

 風が吹く。 焚き火が揺れる。

「……ただ」

 そこで少しだけ目を細めた。

「できれば、無意味にはしたくない」

 静かな言葉だった。 クルトは何となく理解する。

 この男は、戦いを知りすぎている。 だからこそ、軽く扱わない。 その時だった。

「失礼する」

 低い声。 護衛隊長のバルクだった。 手には酒瓶を持っている。

「飲むか」

「酒か」

「嫌いか?」

「いや」

 カゲツは受け取る。一口飲む。 強い酒だった。 喉が熱くなる。

「……懐かしい味だ」

 ぽつりと漏れる。 バルクが少し眉を動かした。

「その歳で懐かしい、ねぇ」

「色々あった」

「便利な言葉だな」

 バルクは焚き火の向こうへ座る。 そしてしばらく無言で炎を見ていた。 やがて低く呟く。

「昔、戦争へ行ったことがある」

 クルトとフィナが顔を上げる。バルクは静かだった。

「若い頃だ。国境紛争ってやつでな」

 火が爆ぜる。

「その時見た剣士と、お前が少し似てる」

 カゲツの視線が向く。

「そいつも、妙に静かな奴だった」

「……そうか」

「強かったよ。化け物みてぇに」

 バルクは苦笑する。

「だが、同時に酷く疲れた目をしてた」

 静寂。 クルトもフィナも黙っていた。 カゲツは少しだけ空を見る。 前世を思い出す。 血。 炎。 怒号。

 泣き声。 剣鬼。

 そう呼ばれていた頃。

「……人は簡単に壊れる」

 カゲツがぽつりと呟く。

「だから時々、分からなくなる」

「何がだ?」

「何のために振るっているのか」

 その言葉に、焚き火の空気が静かになる。 若者の言葉ではなかった。 もっと長い時間を生きた者の声。

 バルクはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。

「なら、今は分かるのか?」

 カゲツは少し考えた。 そして。 隣を見る。 クルト。 フィナ。 商隊。 焚き火。 穏やかな夜。

「……少しは」

 静かな返答だった。 その時。

夜風が吹く。 草原を渡る冷たい風。 だが、不思議と嫌な寒さではなかった。 クルトが酒を飲みながら笑う。

「なんか爺さんの昔話聞いてる気分だ」

「爺さんだからな」

「だからその見た目で言うなって!」

 周囲から笑いが漏れる。バルクまで笑っていた。 焚き火の光が、人々を照らす。 旅の夜。

 その穏やかな時間を眺めながら、カゲツは静かに目を細めた。 悪くない。 こういう夜も。

 百年生きた後だからこそ、そう思えた。

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