11話 指名依頼
ローヴェンの朝は賑やかだった。
市場には商人の声が響き、焼き立てのパンの匂いが通りを流れていく。
そんな街の中を、カゲツたちはギルドへ向かって歩いていた。
「見られてるな」
カゲツが静かに呟く。 周囲の視線。 明らかに昨日より増えていた。
「あんだけ騒ぎになれば当然だ」
クルトが苦笑する。
「もう街中で噂になってるぞ。“銀髪の精霊族が上級異常個体を素手で止めた”って」
「素手ではない」
「そこじゃねぇよ……」
フィナも困ったように笑っていた。
「でも本当に広まるの早いですね」
「ローヴェンはそこまで大きな街じゃないからな。こういう話は一瞬だ」
クルトの言う通りだった。 通りを歩く人々が、ちらちらとカゲツを見る。 中には露骨に道を開ける者までいた。
「怖がられているのか?」
「半分は畏怖だろうな」
「残り半分は?」
「顔」
「顔です」
二人が即答した。 カゲツは少しだけ眉を寄せる。
「やはり理解できん」
「そのうち慣れろ」
そんな会話をしながらギルドへ辿り着く。 そして扉を開いた瞬間。
「お、来たぞ」
「本当に来た……」
「銀髪だ……」
空気が変わる。 冒険者たちの視線が集まった。 だが昨日と違う。 警戒だけではない。
敬意。 好奇。 そして少しの恐怖。 そんな空気だった。
「お前、完全に有名人だな」
クルトが呆れた顔をする。 カゲツは静かに周囲を見回した。 前世でも視線を浴びることはあった。
剣鬼。 そう呼ばれていた頃、 だが今とは少し違う。
あの頃は畏怖だけだった。
今はもっと、奇妙なものを見るような目が混じっている。
「来たか」
奥からヴァルドが現れる。 相変わらず険しい顔だった。
「呼ばれたので来た」
「助かる。ちょっとこっち来い」
そのまま奥の部屋へ案内される。 応接室のような場所だった。 木製の机。 革張りの椅子。
そして、そこには既に一人の男が座っていた。
四十代ほどだろうか。 上質な服。 細い目。
商人らしい男だった。 男はカゲツを見るなり、一瞬だけ動きを止める。
「……本当に精霊族とは」
「話は聞いてるな?」
ヴァルドが言う。 男は頷き、姿勢を正した。
「失礼。私はローヴェン商会の支部責任者、エドガーと申します」
「カゲツだ」
「単刀直入に申し上げます」
エドガーは真っ直ぐカゲツを見る。
「依頼を受けて頂きたい」
カゲツは静かに座った。
「内容は?」
「護衛です」
「護衛?」
クルトが少し驚く。 エドガーは頷いた。
「数日後、王都方面への商隊が出ます。本来なら通常の冒険者へ依頼する予定でした」
そこで一度言葉を切る。
「ですが最近、街道沿いでも魔物の異常化報告が増えているのです」
空気が少し重くなる。 ヴァルドが腕を組んだ。
「森だけじゃねぇってことだ」
「はい。しかも妙に広範囲です」 カゲツは静かに話を聞いていた。
魔力汚染。 森の異変。 そして街道でも異常化。 偶然には思えない。
「報酬は十分にお支払いします」
エドガーが続ける。
「もちろん、空間収納をお持ちである件も含めて」
クルトが吹き出しかけた。
「もうそこまで広まってんのかよ……」
「商人の情報網を舐めないでください」
エドガーが苦笑する。 だがその目は真剣だった。
本当に危険を感じているのだろう。
「……どうする?」
ヴァルドがカゲツを見る。 カゲツは少し考えた。
護衛。 旅。 王都方面。 悪くない。
世界を見るという目的にも合っている。
「何日かかる」
「片道で十日前後です」
「遠いな」
「王都ですから」
エドガーが答える。 カゲツは窓の外を見る。 ローヴェン。 まだ来たばかりだ。
だが、旅をするなら、いずれ出る街でもある。
「……受けよう」
その言葉に、エドガーが安堵したように息を吐いた。
「感謝します」
ヴァルドも少し肩の力を抜く。
「まぁ、お前なら問題無ぇだろ」
「いや、問題は起きると思いますよ……」
クルトが遠い目をした。 フィナも頷いている。 カゲツ本人は静かだった。
王都。 まだ見ぬ街。 まだ見ぬ人々。 少しだけ興味があった。
百年生きた剣鬼。 そして永命に近い精霊族。
そんな彼の旅は、少しずつ世界へ広がり始めていた。
王都行きの護衛依頼を受けた翌日。
ローヴェンの街は、いつも通り動いていた。 市場には人が集まり。 鍛冶屋からは金属音が響き。
冒険者たちは依頼を求めてギルドへ向かう。 そんな日常の中を、カゲツは静かに歩いていた。
朝の空気は少し冷たい。 石畳を踏む音が、小さく響く。
「……平和だな」
ぽつりと呟く。
前世では、こういう朝が突然壊れることも多かった。
だからこそ。 何気ない日常というものが、妙に貴重に思える。
「おーい!」
後ろから声が飛ぶ。 振り返ると、クルトとフィナが走ってきていた。
「探したぞ」
「別に隠れていた訳ではない」
「朝から街の外見に行くなよ……」
クルトが息を吐く。 カゲツは少し首を傾げた。
「歩いていただけだ」
「精霊族が一人で森近く歩いてるだけで噂になるんだよ今」
「面倒だな」
「今さらだな」
フィナが苦笑する。 三人は並んで街を歩き始めた。
通りには商隊の準備をしている者たちもいる。
馬車。 荷物。 武装した護衛。 王都方面への商隊だろう。
「出発は明後日だったか」
カゲツが呟く。 クルトが頷いた。
「ああ。結構大きい商隊らしい」
「王都まで十日って言ってましたもんね」
フィナも周囲を見回す。 ローヴェンから王都へ。
この世界へ来て、カゲツが初めて向かう大都市だった。
「王都はどんな場所だ」
カゲツが尋ねる。 するとクルトが少し考える。
「デカい」
「雑だな」
「いや、本当にデカいんだよ。人も多いし、貴族もいるし、冒険者も強い」
「あと綺麗です!」
フィナが少し楽しそうに言う。
「私、一回だけ行ったことあるんですけど、夜でも明るかったですよ!」
「夜でも?」
「魔導灯っていう魔道具がいっぱいあるんだ」
クルトが補足する。 カゲツは静かに頷いた。 この世界は、前世とは違う。 魔法がある。 精霊がいる。 魔物がいる。
だが、人の営み自体は変わらない。 街があり。 笑いがあり。 争いもある。
「楽しみか?」
不意にクルトが尋ねる。
カゲツは少し考えた。
「……そうだな」
そして小さく目を細める。
「知らない場所を見るのは嫌いではない」
その声音は穏やかだった。 フィナが笑う。
「じゃあ、きっと楽しい旅になりますね」
その言葉に、カゲツは少しだけ視線を空へ向けた。
楽しい旅。 前世では、あまり縁の無い言葉だった。
剣ばかりの人生。 戦いばかりの時間。 だからこそ今は、こうした時間が不思議だった。
「……そうだと良いな」
静かな返答。 その時だった。
「おいクルト!」
通りの向こうから声が飛ぶ。 振り返ると、数人の若い冒険者たちがこちらへ来ていた。
「本当に王都行くのか!?」
「ああ、その予定だ」
「羨ましいなお前ら……」
冒険者たちはカゲツを見る。 少し緊張した顔だった。
やはり今のローヴェンで、カゲツは既に有名人らしい。
一人の冒険者が恐る恐る口を開く。
「あ、あの……カゲツさん」
「なんだ」
「昨日の戦い、マジで一人で倒したんですか?」
「そうだな」
あまりにも普通に答える。 冒険者たちが顔を見合わせた。
「……やっぱ化け物だ」
「聞こえてるぞ」
「すみません!」
慌てて頭を下げる。 その様子を見て、クルトたちが笑った。 以前より空気が柔らかい。 恐れだけではなくなっている。 カゲツ本人も、それは少し感じていた。
「……変な感じだな」
「ん?」
「人に慣れられるというのは」
ぽつりと漏れる。 クルトが少し目を瞬かせた。
「前は違ったのか?」
カゲツは少しだけ黙る。 前世。 剣鬼。 戦争。 多くの人間が、自分を恐れた。 強さは時に、人を遠ざける。
それを嫌というほど知っている。
「……まぁ、色々あった」
静かな返答だった。 クルトはそれ以上聞かなかった。
聞いてはいけない気がしたのだ。 その代わり、軽く肩を叩く。
「今は違うだろ」
カゲツが視線を向ける。
「俺ら、普通に話してるしな」
「そうですね」
フィナも笑った。 その笑顔を見て、カゲツは少しだけ目を細める。
温かい。 不思議な感覚だった。 百年生きても、知らないものはまだあるらしい。
その時。 通りの先で、小さな子供が転びそうになる。
荷物を抱えた母親が慌てていた。 だが次の瞬間。
ふわり、と風が吹く。 子供の身体が、優しく支えられた。
「え……?」
母親が目を見開く。 カゲツは何事も無かったように歩いていた。
クルトが横目で見る。
「……今やったろ」
「風が吹いただけだ」
「便利すぎるだろ精霊族……」
フィナがくすくす笑う。 ローヴェンの街は、今日も平和だった。 そして。
そんな穏やかな時間もまた、カゲツにとっては大切な旅の一部になり始めていた。




