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そこから事態は大いに紛糾した。
配下の者たちは将軍のご乱心に悲鳴を上げ、母や妻は義輝を慰留し、三好と六角は突然の養子騒動を阻止せんと動き出した。
当の信長と家康はと言えば、養子になることを受け入れた。
もっと正確に言うならば断る権利がない、と感じていた。彼らには身分差があり過ぎ、断る理由が無かったのだ。
これ幸いと即日養子縁組と当主の地位相続を済ませると、足利義輝はこう宣言した。
「わしは将軍を隠居し、剣術家になる。家の事はこの養子・信長を将軍に任せる。もうひとりの養子・家康は信長の補佐となり、彼らを中心に天下泰平へと導くであろう。
今後は武家の棟梁の名である足利の姓を名乗らず、師の姓から一文字貰って足原と名乗る事にする。
後はいい具合に切り回しといてくれ」
そう言って既にまとめてあった僅かな荷物を抱えると、一冊の書き付けを預けてどこかに消えてしまった。
たった一夜で得た未来の記憶により、足利義輝は日本史をあり得ない方向に捻じ曲げた。
それが彼らのみならず、世界史までも捻じ曲げていくことを今はまだ誰も知らない。




