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第六話:視覚拡張の代償  

レンズを装着した瞬間、脳が沸騰した。

「――っ、が、あああああ!」

 視界が爆発する。今までが「覗き穴」から世界を見ていたのだとしたら、今は全方位から高圧洗浄機で情報を流し込まれている気分だ。

 半径五百メートル。その範囲内に存在する数千、数万の「視覚」が、俺の脳内に一斉になだれ込んできた。

通行人のスマホのインカメラ。

信号機の歩行者検知センサー。

逃げ惑うネズミの赤外線視界。

そして、劇場の壁を爆破しようとしている「掃除屋」たちの、暗視ゴーグルの視界。

「佐藤、耐えて! 意識を絞るの! ノイズを捨てて、必要な『線』だけを掴んで!」

 リコの叫びが遠く聞こえる。俺は溢れ出す情報の大濁流の中で、必死に「自分」という杭を打ち込んだ。

 脳が千切れる寸前、俺はついに「それ」を捉えた。

支配の糸

 劇場の外、包囲網を敷く「掃除屋」たちの視界。

 彼らの視覚情報には、共通の「オーバーレイ(重層表示)」が重なっていた。ターゲットである俺の予測移動ルート、心拍数、さらには脳波の揺らぎまでが、彼らの網膜に直接投影されている。

(……こいつら、自分たちの意思で動いてるんじゃない)

 彼らもまた、システムの「端末」に過ぎない。

 俺は、その情報の供給源――さらに上空、成層圏に近い高度で静止している「管理局」の軍事衛星の視界へと、意識の触手を伸ばした。

「……見えたぞ。お前らの『目』の出処が」

「おじさん、まさか……あそこまで跳ぶ気!? 正気じゃないよ!」

 リコの声に構わず、俺は意識を加速させた。

 地上五百メートルから一気に数万メートル上空へ。視覚を中継し、増幅し、空間を跳躍する。

 

 一瞬、俺の意識は肉体を離れ、宇宙の暗闇の中で輝く冷徹な機械の瞳と同化した。

 そこから見下ろす地球は、無数の光の糸で縛られた、巨大な繭のように見えた。

神の視点、人の代償

「……う、ぐあ!」

 鼻から温かいものが垂れるのがわかった。鼻血だ。

 衛星の圧倒的な情報密度に、俺の脳のニューロンが悲鳴を上げている。視界の端がボロボロと崩れ、ノイズに変わっていく。

 だが、俺は衛星のコントロールを奪い、劇場の周囲を包囲していた「掃除屋」たちの網膜に、偽の映像を送り込んだ。

 彼らの視界の中で、俺の姿は「十方向へと分裂し、それぞれが猛スピードで街へ散っていく」ように映ったはずだ。

「……目標、多数に分裂! 追跡不能、混乱が生じています!」

 階上から、掃除屋たちの当惑した通信が聞こえてくる。

 

「今だ……逃げろ……!」

 俺は衛星とのリンクを強制切断し、意識を肉体へと引き戻した。

 衝撃とともに床に倒れ込む。視界は真っ赤に染まり、右目の焦点が合わない。

「……無茶苦茶だよ、おじさん。あんな高度までジャックするなんて、普通なら即死だってば」

 リコが駆け寄り、俺の顔を覗き込む。彼女の瞳に映る俺は、顔中から血を流し、まるで壊れかけの人形のような無残な姿だった。

沈黙の逃亡者

 劇場の扉を突き破って突入してきた「掃除屋」たちが目にしたのは、もぬけの殻となった廃墟だった。

 

 俺たちは、地下劇場の下層にある古い下水道を伝って、すでに数キロ先まで移動していた。

 リコに肩を貸してもらいながら、俺は一歩一歩、泥水を踏みしめる。

 右目の視力は戻らない。拡張された感覚の代償として、俺の脳の一部は永久に「焼き切れて」しまった。

「……リコ。一つ、分かったことがある」

「なに? お礼なら、あたしのパソコンを新調してからにしてよね」

「……衛星から見た時、街の地下に、もっと巨大な『脈動』が見えた。管理局のシステムじゃない。もっと……古くて、巨大な何かが」

 俺の左目――残された唯一の視界に、今まで見えなかった「世界の裏側の輪郭」が、うっすらと浮かび上がり始めていた。

「……戦いは、これからなんだな」

 普通の社会人は、昨日死んだ。

 そして今日、俺は人間ですらなくなったのかもしれない。

つづく(第七話:深淵の胎動)

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