第十七話 消えかけ骸骨さんと二人乗りで自転車
息が、乱れる。
さながらフルマラソンの選手のように。
後藤は、骸骨を連れて全力でペダルを漕いでいた。骸骨の体が崩壊しかけていることを背中で感じていた。
いつバラバラになって塵になってもおかしくない。一刻を争う。
後藤は脇道を走っていた。そっちのほうが信号が少ないからだ。
しかし、運命は悪戯か。脇道ルートの唯一にして最大の障害、開かずの踏切が今、目の前で閉まった。この踏切は一度閉じたら10分弱は開かない。カンカンと五月蝿く、通るなと喚き散らかす。
「クソがっ!」
そんなに待ってる暇はない、と判断した後藤は右に曲がった。大通りを使ったルートで行くことにしたのだ。信号は多いが、上手いこと避けられれば脇道ルートとほぼ同じ時間で行ける。
しかしその矢先、後藤たちは赤信号に引っ掛かってしまった。
「ああっ!!」
一度ここで赤信号で引っ掛かると、この先10個の赤信号は、どんなに急いでも赤信号に突っかかる、まさに赤信号地獄だった。
「ならこっちだ!」
後藤は大通りの隣の路地裏へ入り込む。大通りの赤信号ゾーンを抜けるルートだ。少し回り道になってしまうが、それでも赤信号10個に捕まるよりは数倍早い。
「待ってろ……伊達に3ヶ月鍛えてないぞ!!」
路地裏を抜け、再び大通りに合流する前の小道に出た。
しかし予想外。目の前の通路に、工事中の看板が立ち塞がった。
「うわっ!!」
後藤は看板にぶつからないよう、急いでハンドルを右に切る。しかし、右側からは軽自動車が走ってきていた。
「ぬおっっ!!」
後藤らは車とコンクリート壁のギリギリをすり抜ける。制服が車に擦れ、ゴリゴリゴリゴリとハンドルのゴム部分が擦り切れる。
「危ねぇ……」
後藤らは路地裏を出た。大通りの自転車走行レーンに出て、全力で疾走する。
「ガイコツさん、あとどのぐらい持つ!?」
骸骨は左の人差し指を一本立てて見せた。
「……1日……な訳はないよな。1時間か」
ここから紅道山まで、自転車で全力疾走して30分といったところだろう。
しかし、そこから山頂へ登るには当然、更に時間が掛かる。ロープウェイを使うとしたらもっと……40分は掛かる。そこまで登りづらい山ではないとはいえ、残り時間と体力を考えたらギリギリであった。
「急がないと……」
矢先、自転車の走行レーンのギリギリに突っ込んできた車が昨日の雨でできた水たまりに入り、しぶきを噴き上げた。
「ぶっ!!」
後藤らに直撃した。しかも後藤の目に思いっきり入った。後藤は涙目でゴシゴシと目を擦る。
後藤が目を再び開けた時、既に後藤らは十字路の信号を通り過ぎてしまっていた。車道に出てしまっていたのだ。
最悪なことに、横断歩道は赤だ。
当然、車が突っ込んできた。
車も、後藤も急いで急ブレーキを踏むも、右から迫ってくる車との接触は避けられそうにない。まずいっ……!
「うおおおおっ!!」
後藤は、タイヤがひん曲がってしまうかの勢いで自転車のハンドルを押し込み、ゴムの弾力を用いて跳躍した。真上にハンドルを持ち上げ、少しでも高度を稼ぐ。
車の上を、ジャンプした。自転車で。
スレスレ……いや、ガガッと少し車体を車輪で掠りながら、後藤らは車の向こう側に着地した。
衝撃が肘に、後藤と骸骨の身体中の節々に響いた。
「ぐぅっ……!」
しかし、後藤たちに休む暇はない。他の、道ゆく自動車の合間を縫って、右往左往走り抜ける。
「はぁ、死ぬかと思った……」
後藤たちの視界の隅にようやく山の麓が映った。
しかし、視線を外した束の間、後藤の口の中に何かが入り込んだ。
何かを確認する前に今度は目に黒点が入り込んだ。
「うぐっ」
後藤は思わず目を瞑る。
ハエである。
「ぺっぺ!! うげぇ〜〜」
口の中に入ってきたハエを出し、目をガサツにゴシゴシと擦って急いでハエの発生地帯を抜けた。
一難去ってまた一難。後藤の頭に飛来した鳥。カラスに襲われた。
手でブンブンと振り払いながら、山の麓を登っていく。
しかし、次第に急になってゆく角度。速度は逆比例で遅くなる。
後藤のペダルは微塵も動かない。後藤たちはかなりの角度の坂道に、重力に阻まれていた、
「ぐああああっ!!」
後藤はカスカスの小さな掠れ声で、絞り出すように声を出した。
「動け! 俺の足! 僕の全力を!!」
後藤は太ももに思いっきり力を吹き込んだ。
ふくらはぎがパンパンに膨らんでも、足からブシュブシュと血が吹き出ようと。後藤は全力でペダルを下へと押し込んだ。
「進んでんのか、これ……?」
正確には、後藤たちは風のような速度で坂道を走り抜けていた。
しかし、こんな速度じゃ間に合わない! という後藤の焦燥感が、自転車の速度を遅く感じさせていた。
後藤は必死に速度を出そうと、歯を食いしばってペダルを押していた。
「にゃ〜お」
突然。彼らの眼前に猫が現れた。
「やっやばい!」
後藤はとっさに左へとハンドルを切った。
しかし左側は聳え立つ崖である。
「おっ、わっ、ちょっ、ぬわああああっ!!」
後藤らはそのまま勢いに乗って崖の壁を走り上がる。
落ちる! という危機感が後藤にレースカー並みの速度を出させた。
後藤は崖を上りきった。
「ぜぇ……へぇ……」
しかし、ここからロープウェイまでは真反対方向である。自転車で飛ばしてもあと30分は掛かるだろう。
「ガイコツさん、残り時間は……」
後藤は一度自転車を止め、息を整えようと浅い呼吸を繰り返した。
振り返ると、骸骨は、確かにそこにいた。外郭も、はっきりとしていた。
だが、だがしかし後藤の目には、電池の切れかけた懐中電灯のように、今にも消えそうに見えた。
後藤は、骸骨の返事を待たずにまたペダルを漕ぎ出した。
だが、足がもつれてペダルから外れる。荒くなった息も戻らない。
数センチと進まずに、また自転車は止まった。
「は……あえ?」
後藤は脳の命令通りに動かない自分の体に驚いた。
そして、呟くように、吐いた息に乗せるように呟く。
「まずい……こんなところで、止まってるわけにはいかない……せめて、ガイコツさんをロープウェイに乗せてあげなきゃ……」
しかし、後藤は自身の意思とは裏腹に、まるで穴の空いた風船のように、足に力を入れようとしても、入れた力がたちどころに抜けてしまっていた。
それどころか、ハンドルを持つ腕すら維持できない状態だった。
「ちょ、ちょっとごめん……」
後藤は自転車から降りて、膝に手をつく。
「げほっえほっ…………ロープウェイの係員さん、きっと驚くだろうな……。でも、無理矢理にでも乗せなきゃ……あそうだ、宴会用の手荷物とか言えば通してもらえるかな……?」
後藤の体を支えていた足に、次第に力が抜けていく。後藤はゆっくりとその場に倒れ込んだ。
「まずい、はやく、早く起きないと……!」
骸骨は、息を荒くしている後藤をまじまじと見つめた。
そして、ガチャガチャと、後藤の背後にある自転車からホワイトボードを取り出す。そして、背中の方から、倒れた後藤の肩を叩いた。
「ガイコツさん、今はちょっと見れないんだけど……」
後藤は背中越しにそう言うと、骸骨はボードを地面にカタッと置いた。
そして、カシャカチャと足音を響かせた。その音は、後藤から段々と遠ざかっていく。
「ガイコツさん……?」
後藤が息も絶え絶えに振り返る。しかし既に骸骨はいなかった。
ただ、そこには、
『今までありがとう
もう大丈夫』
の文字が書かれたホワイトボードがあるのみ。
「……まさか! ガイコツさん、そこはダメだ!!」
後藤は、掠れた喉で叫んだ。
後藤が倒れた眼前には、千刺桜だらけの山道が広がっていた。
この山の登り方はいくつかある。複数の普通の登山道が3、4ルート、そしてその付近にあるロープウェイだ。そしてそれらの中で最速は当然、ロープウェイである。
今、後藤たちがいる場所に近い登山道もあるにはあるが、どれもが迂回ルートだったりして時間が掛かる。故に後藤が使うことを躊躇しているルートであった。
ただ一つを除いて。
その例外のルートがここである。この時期は通行が禁止されている、最も危険とされる登山道。
最速ではあるが、その代わり、この時期に行けば大怪我間違いなしどころか、生還できるかすら怪しいルートである。
骸骨は今、そこに飛び込んで行ったのだ。
「……どうしよう? どうする?」
後藤は追いかけたいのは山々だったが、今のボロボロの体では、まともには走ることはできなかった。
加えて、もし遭難したら確実に後藤は死ぬだろう。
故にこの状況において、後藤は二つ返事で追いかけることを選択することができなかった。
しかし、ふと後藤は地面に置きっぱなしになったホワイトボードと、ペンを見た。
「…………!!」
後藤は、黙ってそれらを右手で握りしめた。




