06:お祭り
私が婚約をして数ヶ月が経った頃。
まだミアとユズが我が家に来ていない時のことだ。
リチャード様とは高位貴族同士の婚約者にしては珍しく、頻繁にお互いの家を行き来していた。彼はとても忙しい身分であると言うのに時間を見つけては、私とお茶会をして顔を合わせてくれていた。
それでも私の緊張はいつまでも解れることはなかった。話せば話すほどとても素敵な人であることが分かり、そんなリチャード様を前にすると眩しくて固まってしまうのだ。
そしてエイミーは我が家で行われる私とリチャード様のお茶会にいつも当たり前のように参加するようになっていた。
彼女が訪れると私が話し下手なせいで、リチャード様とエイミーが楽しく話しているのをただ聞いて相槌を打つだけの存在になってしまっていた。
それでも疎外感は感じさせないよう配慮されているのと、私は話すよりも話を聞く方がずっと好きだったからその時間は苦ではなかった。
むしろ私だけだとリチャード様が頑張って話してくれていたのが身にしみて分かってしまったのだ。それでも自分からは上手く話す事が難しくて、申し訳なく思っているところだった。
それにエイミーとリチャード様が話している話題が面白くて、相槌を打って笑うだけでも三人でのお茶会の時間が私は好きだった。
その日も我が家のお茶会では、リチャード様とエイミーが中心となって話していた。
今回は薔薇が美しく咲いた我が家の庭での開催というのもあり、春の温かな陽射しに眠気が襲ってきていた。
しかしお茶会中にうたた寝など貴族としてマナー違反どころの騒ぎではないため、気合いで笑みを浮かべて眠らないよう紅茶に口をつけた。少し冷めた紅茶が喉を通り、目が覚めた心地がする。
「……そういえば、お姉様ったら刺繍がすっごく苦手なのですよ。だから今週末のお祭りではリチャード様にハンカチはあげられないかもしれません」
「そうなんだね。アデラ、怪我は無いかい?」
「えっ、えっと、その……」
ふいに話題を振られた私は咄嗟に手を隠して俯いた。今は手袋で隠れてはいるけれど、実際に今の私の手は傷だらけだったから誤魔化すのも後ろめたかった。
我が国の建国祭では、婚約者または配偶者が居る女性は花を刺繍したハンカチを贈る。そして男性はお返しに両手で抱えるほどの花束を贈るのが風習となっていた。
その昔。この国の初代国王が大きな戦に行く際に、彼の幼なじみがハンカチに花の刺繍をして男の無事を祈った。そのおかげか男は無事に戦に勝ち、幼なじみが待つ村へ帰る途中で美しい花を集め幼なじみに求婚し結ばれた。
それからこの国は仲つむまじい二人により治められ、建国から数百年経った今ではこの国は戦もなく平和に暮らしている。国民であれば親から語り継がれ、数他の絵本や観劇にもなっており誰でも知ることができる内容だ。その花々は国旗にも描かれこの国を象徴する物になっている。
ちなみに平民たちの間では告白のイベントとしても使われていて、男女問わず刺繍したハンカチを贈り、お礼に花を渡されたら交際がスタートするというロマンチックな行事としても有名なのだとか。
勿論貴族でありリチャード様という婚約者が出来た私は、建国祭を控えたこの時期には丹精込めてハンカチに刺繍をする。それが我が国の貴族令嬢の嗜みでもあるのだ。
しかし不器用な私は刺繍がとても苦手だった。
慎重に進めようとも何度も指に針をさしては怪我をして、ハンカチに血をつけてしまった。そうなったものは下げて一からやり直していた。流石に私の血が付いた汚いものを公爵家のリチャード様に渡すことは出来ない。
一応布は上質なもので捨てるのも申し訳ないので、失敗したものは丁寧に洗ってもらって家族にあげるか侍女に渡していた。それでも残ったものは孤児院へと贈る予定だ。どれだけ失敗して布を無駄にしているのだと悲しくなる。
「それが、お姉様ったら昨日も針で指に怪我をしましたのよ。それで私が手当をしたのですわ」
「そうか……エイミーは優しいね。ねぇアデラ、大事な君の手を傷つけるくらいなら刺繍は無理しないで大丈夫だからね」
「……あ、ありがとうございます」
リチャード様の優しい言葉に、申し訳なさから体を縮めてしまう。手をキツく握りしめてしまい指の傷が疼いた。
この国では婚約者が居るのに刺繍したハンカチを渡さない、もしくはお礼の花束を渡さなかったりハンカチを貰ったのに使わないというのは婚約者間が不仲であると世間に知らしめるようなものだ。
そうなることは避けたいので、今日も深夜まで励もうと思う。それにリチャード様の婚約者になって初めての建国祭なのだから、アデラも楽しみにしていたのだ。
ハンカチと花束を贈り合うロマンチックなイベントには憧れていたし、王都の広場で開催されるお祭りに行くことが出来るのが楽しみだった。
婚約者が居ない貴族は基本的にお祭りに参加出来ないのだ。お祭り会場は警備もしっかりしているが、平民もそこそこ多く居る。
平民に面白半分に告白されることを避けるため、大抵の未婚の子が居る家ではお祭りに行くことを禁止される。
過去に高位貴族でもうすぐ婚約者が決まるはずだった令嬢が、平民とお祭りの騒ぎにかこつけて駆け落ちをする事件もあったからだろうか。
そのため我が家でもお祭り当日は屋敷の中に居るよう両親から厳命されていた。
建国祭当日は外から聞こえる賑やかな喧騒と、美味しそうな香りが漂ってきていていつか私も行きたいなと願っていた。中央では楽器が演奏されていて踊ったり、沢山の屋台があって楽しいのだと使用人から聞いたことがある。
そして婚約した今年は行くことができるのである。
当日にはリチャード様とお祭りを回る約束をしていた。男性は刺繍されたハンカチを胸ポケットに飾り、女性は贈られた花束から一輪を選び髪に刺して一緒に回るのだ。
その為にもハンカチに何とか刺繍をして、リチャード様に渡したいと気合いを入れ直す。
今も化粧のおかげでなんとか隠してはいるが、目の下には酷い隈があった。エイミーにはバレてしまっているのか、私の顔をじっと見られた。
「お姉様、どうしても無理だったら私が代わりに刺繍してあげても良いですわよ」
「……エイミーは刺繍が上手だもんね」
エイミーは刺繍がとても得意で、私の余った練習用の布に芸術作品のような繊細で美しい花々を刺繍していた。お姉様のお手本にと貰ったのだが、何年かけてもできる気がしない。
そして昨日、母にこの酷い出来の刺繍を見られた時には、エイミーと比べられ眉を顰められた。
「どうして貴方は妹のエイミーよりも出来ないの? この出来なら使用人にでも任せた方がいいのではないかしら」
「……でも、その、お母様。リチャード様の婚約者になってから、初めての建国祭の贈り物ですし……自分でやりたくて」
「上級貴族ならみんなお抱えの針子を雇ってやらせてるわよ」
「え……?」
確かに今まで建国祭間近になってもお母様が刺繍をしている所を見たことがないなと思っていたが、まさかお針子さんに任せてたのは知らなかった。父と母は政略結婚であり、あまり仲が良くないのは知っていたが最低限の体裁は守っていると思っていた。
毎年建国祭当日には母は刺繍入りのハンカチを渡して、父は花束を渡していたのを見ていつか私も……と憧れていたのだ。
その憧れが目の前で崩れていく私に、母は言葉を続けた。
「いい? そんな汚い刺繍のハンカチを渡して、くれぐれもブラウン公爵家から見放されないよう気をつける事ね。ようやく貴方にも価値が出来たんだから、精々無価値に戻らないで頂戴」
わざとらしく深々とため息をつかれて私は肩を揺らす。母は冷たい視線のまま立ち去ってしまった。
その時のことを思い出して泣きたくなった。私の努力は無意味なのだろうか。自分で粗末な刺繍をするよりも母のように人に頼んで渡した方がずっといいのだろうか。
リチャード様の方を恐る恐る見つめた。彼は心配そうな瞳を私に向けていた。母とは違う温かい瞳に心が落ち着いた。
「……あの、その、リチャード様。私は刺繍がとても下手なのですが……当日は、ハンカチを貰っていただけますか……?」
「勿論。アデラは婚約者なんだからね」
「あ、ありがとうございます」
即答して貰えたことに嬉しくなる。やっぱり、私は人に任せずに最後まで頑張りたい。
お茶会が終わりリチャード様が帰った後に、私は部屋にこもり刺繍に取り掛かった。
失敗しないよう、指を傷つけないよう気を張りながら一針ずつ丁寧に心を込めていく。書いた図面は子供向けのとても簡単なものだ。刺繍が得意な人であれば一時間もすれば簡単に出来上がるのだろう。
それでもアデラにとっては果てしない道のりに感じた。
気が付けば私は夜ご飯も食べずにずっと集中して刺繍をしていた。
そして朝日が昇る頃。何とか花の刺繍が出来たハンカチが一枚仕上がった。
しかし今までに比べたらギリギリ人に渡しても許されるかな、程度の出来である。これが花だと分かる人はいるのだろうかと不安になる。でももうやり直す時間がない。
せめても見栄えが良くなるようにと丁寧にラッピングをしていれば、そのまま一睡もしないまま起床時間になってしまった。目が霞むのを無視して、冷たい水で顔を洗う。
リチャード様と会う日は母の侍女が一人派遣され、身支度を整えられる。今日は街歩きのため溶け込むような服装でコルセットがないため内心ホッとした。
この侍女はコルセットを息が止まりそうになるほどキツく締め上げるため、毎回私の骨が折れて倒れないか心配で怖かったのだ。
最低限お化粧でクマを隠して、髪をキツく結い上げて仕事は終わったとばかりにその侍女はお母様の元へ戻っていった。鏡を見ても疲れきった姿の自分が居るだけでため息しか出ない。
残念ながら準備の時間がギリギリだったので、朝食の時間は取れなかった。寝不足と空腹からふらふらとしながらリチャード様の到着を待った。
そうして時間通りにリチャード様が我が家へ迎えに来てくれた。今日は街のお祭りにいくため、いつもよりシンプルで動きやすい装いだったが、それでも彼はとても美しかった。
「やぁアデラ。その服装も似合うね」
「……あっ、ありがとうございます」
婚約者に対する優しいお世辞だと分かっているのだが、褒め言葉になれていない私はつい顔を真っ赤にしてしまう。私は視線を泳がせワタワタと話題をそらすように口を開く。
「……リチャード様、その、こちらを」
震える手で外側だけ豪華にラッピングされたハンカチを彼へ渡す。彼は美しい手で宝物に触れるかのように丁寧にリボンを解いた。
そこにはやはり目を汚すような花には見えない刺繍のハンカチがあった。リチャード様はハンカチの刺繍をまじまじと見て、呆れた顔をせずに微笑んでくれた。
「ありがとう、頑張ってくれたんだね。とても嬉しいよアデラ」
「いえ、高貴なるリチャード様に渡すものが、こんな粗末なもので申し訳ございません……」
私が泣きそうになりながらそういえば、彼は困った顔をしてしまった。
「出来とかではなく、君から貰えたことが嬉しいんだよ。これはお礼の花束、気に入ってもらえると嬉しい」
「……ありがとうございます」
リチャード様から花束を貰えたことが嬉しくて、素敵な花束を宝物のようにそっと抱える。
しかしその分自分の刺繍の粗末ハンカチを贈ったことが釣り合わないようで申し訳なくなり、小さくお礼を告げるのが精一杯だった。俯くと、私好みの香りが鼻を掠めて少しだけ心が凪いだ。
「それじゃあ、そろそろ街へ出かけようか」
「は、はい」
私は目を輝かせてこくりと頷いた。エスコートのために差し出された手にそっと手を乗せようとした時、視界が揺れた。
連日の睡眠不足が祟ったのか、ご飯を食べていないからか。それともハンカチを無事に渡せて気が抜けたのか、その場でバタンと倒れてしまったのだ。
結局私が目覚めたのは夜も更けた頃。
飛び起きて自身の失態を悟ると、リチャード様とお祭りを回るのを楽しみにしていたのにと涙がこぼれる。
更に両親には体調管理がなっていないと叱られてしまった。リチャード様への心象も最悪だし、婚約者同士でお祭りを回らないのは不仲だと世間から言われてしまうからだろう。
そしてリチャード様が置き残してくれた手紙を恐る恐る読んだ。
『アデラが倒れるほど刺繍を頑張ってくれたことは知っているから、どうか気にしないでね。ハンカチ大切にするよ。
どうか今日はゆっくり休んでほしい。お祭りはまた来年一緒に回ろう』
と書かれていて、彼の優しさに胸が熱くなった。そしてまた来年一緒に回ろうという言葉が私にとって一番嬉しかった。リチャード様は来年も婚約者で居続けてくれるのだと、そう思ったから。
それからエイミーが部屋にやって来て、こっそり外に出てお祭りに行ったのだと聞いて私は驚いた。両親に知られたら大変なことになるのは想像に難しくない。
しかし私が目覚めた時にはもう帰ってきていて、両親も知らないようだったのできっと要領の良いエイミーは上手くやったのだろう。
私は両親の言いつけを破るということを考えたことすらなかったので驚いたが、妹が親に叱られるのは可哀想なので誰にも言わないことにした。
「眠ってるお姉様の代わりに楽しんできましたわ」
と言って、エイミーからお土産に色んなものを貰った。
宝石のような飴、フルーツにチョコがかけられたもの、丸い生地にソースがかかったもの、一口サイズのカステラなど今まで見たことの無いものばかりで目を瞬かせた。
見た瞬間にお腹が大きく鳴る。丸々一日くらいご飯を食べていなかったからとてもお腹が空いていた。エイミーはそんな私を見て笑っていた。
「あっはは、お姉様ったらそんなにお腹空いていたのね。これ全部食べていいわよ」
「……え、でもそんな、悪いよ」
「私はお祭りでいっぱい食べてきたの。それよりお父様とお母様にバレたら怒られてしまうから、早く食べて証拠隠滅して頂戴」
最初は遠慮していたが、その言い分に納得して有難く食べることにした。それまで眠ってしまったことに悲しんでいたが、楽しみにしていたお祭りの美味しいご飯を食べられて、鈍感な私は呑気に喜んでいた。
もしかしたら、あの時エイミーは私の代わりにリチャード様とお祭りに行っていたのかもしれない。二人の婚約を知った今の私はそう思った。
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