03.侍女
逃げるように部屋を飛び出して扉を閉めた。
二人の顔が見えなくなってからふらりと崩れ落ちそうになる。生まれてからずっと私の婚約者だったリチャード様と、婚約解消したんだと遅れて実感が湧いてくる。しかも相手は妹のエイミーだった。
私は、どうすればよかったのだろう。もっと早く婚約解消をこちらから言えば良かった?
でも私がそんなことを言い出せば、厳格な両親が許すはずもない。なら、私の努力が足りなかったのだろうか。婚約者として相応しくないと言われ続けた結果なのかもしれない。
グルグルと先程までの会話を思い出しながら半ば放心状態で私は廊下を歩いていた。震える足を叱咤して、全てを放棄して投げ捨てたい気持ちを抑えた。婚約解消の現実を受け入れたくないと脳が拒否するかのように思考がぼんやりとしていて、目の前が真っ暗だった。
こんな調子で途中どこかにぶつかったり転ばなかったのが不思議なくらいだ。
それでも足は自室までの慣れた道のりを覚えているため無事にたどり着く事が出来た。そっと音を立てないように扉を開ける。
否、開けようとしたら扉が開いて体のバランスを崩した。
私がそのまま倒れることはなく、素早く伸ばされた腕にポフンと抱きとめられる。柔らかで安心する香りに包まれる。
「アデラお嬢様? どうされたのですか、まだお茶会の時間ですよね」
「……ユズ」
そこにいたのは部屋で待機して貰っていた私の専属侍女であるユズだった。
ユズはストレートでサラサラの黒髪を後ろでお団子にしている私より5つ年上の女性だ。また銀縁メガネのレンズ越しには、私を心配している猫のようにツリ目がちなアイスブルーの瞳が伺える。
彼女はいつも冷静で大人っぽくクールに見られがちなのだが、実はとても優しく温かな人だ。そして有り難いことに私のことを慕ってくれている。
ふと、その瞳の温度が下がったようなきがして身震いをする。ユズはこんなにも笑顔なのに不思議。
「……もしやあの婚約者殿がアデラお嬢様に何か無礼なことを? 処しますか?」
「え、えっと……そんな事言っちゃ駄目だよ」
「お嬢様がそうおっしゃるのなら」
こうして言葉は時々不穏になるけど、ユズはきっと私を笑わせようと冗談を言ってくれるんだなと考えると嬉しくなる。残念ながら私がユーモアにたけてないため、毎回返答には困ってしまうけども。
「いつ如何なる願いでも、アデラお嬢様の望むままに」
彼女は跪いて私の手の甲にキスを落とす。美人さんでかっこいいユズが行うととても様になっていてドキドキしてしまう。
するとユズが押しつぶされた。
「ちょっとミア、何をするのですか」
「もぉ、ちょっとユズったらぁ。アデラお嬢さまが来てたならもっと早く教えてくださいよぉ! このまま潰しますよ」
「もう少しアデラお嬢様を堪能したかったのですが、バレてしまいましたか。重いので早くどいてください」
「アデラお嬢さま、ユズに重いって言われましたぁ!」
ユズの声で私の存在に気がついたのか、もう一人の専属侍女であるミアもこちらへと駆け寄ってきてくれたようだ。
ミアはピンクブロンドのふわふわな髪を二つ結びにしていて、うるうるとした蜂蜜色の瞳はチワワのようでとても可愛らしい人である。 小柄で華奢な彼女は、ユズを押しつけたまま上目遣いでうるうると私を見つめた。同性でも守りたくなるような可愛らしさだった。
「ミア。ユズと仲が良いのはいいけど、いい子だからどいてあげてね」
「はぁい! いい子ですっ」
そうしてミアはすぐさまどいてくれた。ユズはため息をついていたが気にした様子はなく、満面の笑みを浮かべ私に駆け寄って抱きしめてくれた。
「アデラお嬢さま、24分48秒ぶりですねっ。そろそろ寂しすぎて部屋に乗り込むか暴れだしそうだったので、会えて嬉しいです!」
「そ、そっか」
言葉は少々大袈裟だがお世辞でも寂しかったと言ってくれるミアの愛らしさに少し和む。
そしてミアは時間を正確に測れる特技があるらしく、私が少しでも離れるとどれぐらい離れていたか毎回秒単位で教えてくれるのだ。前試しに測ってみればとても正確だったので普通に凄いと思う。あの部屋で永遠みたいな長い時間を過ごした気がするが、まだ三十分も経っていなかったみたい。
「それで、こんなに早くどうされたんですか? もしかしてやっとあの婚約者のこと嫌いになってくれましたか?」
「前々からユズとあの男の髪を毛根まで燃やすか、それとも切り落とすか迷ってたんですよ」
「や、やめてね……?」
「検討いたします」
「アデラお嬢様がそういうなら考えますっ」
可愛らしい笑みで放たれる言葉が少々物騒なのを聞き流せば、柔らかな抱擁に心が温かくなる。
ちなみにこの二人が並ぶと一見ユズの方が身長も高く大人っぽく見えるが、小柄なミアの方が先輩で年上らしい。ミアの年齢は私も知らなかった。調べればわかるのだろうけど、本人が知られたくないことは別に知らなくていいと思う。
そして彼女達は昔からお世話になっている信頼できる侍女で、私は二人のことを勝手に姉のように思い慕っていた。
本当は専属侍女である二人には婚約者とのお茶会で控えていてもらいたいものである。しかし彼女達は昔から何故かリチャード様への敵対心がとても強く、言動が少しばかり物騒なのだ。そのため問題を起こさないようにと毎回こうしてお茶会の時にはお部屋待機となっていた。相手は格上の公爵家でもあるから、二人が不敬なことをしてしまったら私後からでは守るのが難しいかもしれないから。
彼女達は普段のリチャード様とのお茶会なら少なくとも二時間ほどは話し込んでいるから、私はまだ帰ってこないと思って部屋の掃除をしていたところらしい。
そして掃除は普通侍女ではなくメイドの仕事なのだが、私に関わる仕事は何故か奪い取っているらしく、私の部屋は二人がいつも掃除をしてくれている。
その流れで私の服も全て二人が率先して洗ってくれている。我が家にはちゃんと洗濯専門のメイドさんも居るのにいいのだろうか。しかし彼女たちにそう申したところで、隙のない笑顔でのらりくらり受け流されるだけなので最近では諦めて任せることにしている。
それにしても普通の侍女より大変な二人のお仕事の邪魔をしてしまって申し訳ない。時計を見れば、お茶会の時間が始まってからまだ三十分も経っていなかった。やはりミアの時間感覚は正確である。
部屋から出た方がいいかな……と視線を動かせば、ユズに肩を掴まれて目を丸くする。
「……お嬢様、顔色が悪うごさいます。お茶会は……体調不良で早めに切り上げたのですか? すぐにお医者様を呼びましょう」
「う、ううん、大丈夫だよ……」
彼女は手袋を外してから、私の考え込みすぎて火照った頬に手を当てて熱がないか確認している。ユズの冷たい手が気持ちよかった。
大丈夫だと笑顔を浮かべながら貧血の時のようにフラフラとした足取りで自室に入れば、ミアとユズに心配されてしまった。
不味い、二人はとても過保護なのである。このままだと腕のいいお医者様を無理やり連れて来て診て貰ったあと、安静のためとベッドに縛り付けられてしまう。そう思い冷や汗をかけば、違う方に捉えたようでさらに心配そうな眼差しを向けられる。
「アデラお嬢様はたとえ体調が悪くても、いつも大丈夫とおっしゃりますから心配です」
「ユズ。ほんとに大丈夫だから、ね?」
「お嬢様ぁ、フルーツなら食べられそうですか? わたし今すぐ切ってきますよ!」
「えっと、ミアもありがとう。嬉しいよ。でも今は大丈夫かな」
まだ彼女たちは私の婚約解消を知らないはずだから、婚約者のリチャード様と話しただけでどうしてこんなに疲れているか不思議そうだ。体調不良を疑われ医者を呼ばれそうになったが、ただの精神疲労で呼ばれたら忙しいお医者様も迷惑だろう。
もしリチャード様に婚約解消されたことが知られたら、こんなに優しい侍女達にも私は軽蔑されてしまうだろうかと心配になる。我が家での婚約解消だったとはいえ人の口に戸は立てられない。そのうち婚約解消された惨めな私のことが使用人達の中でも噂話にはなるに違いない。
どんどんと顔色が青くなる私を見て二人は更に眉をひそめた。
「でも……その、少し疲れたからもう眠ろうと思うの。一人にして貰える?」
「…………かしこまりました。何かあればすぐにお申し付けください。枕元のベルを鳴らしたらすぐ参りますから」
「ならアデラお嬢さまが目覚めた時ために、フルーツ盛りとアイス、それからプリンとゼリーを用意しておきますからっ!」
「えぇ、二人ともありがとう」
ぐるぐると暗いことを考え始めてしまった私に、二人の優しさが身に染みた。私のうるんだ目に気がついていないかが心配だった。
「それではアデラお嬢様はゆっくりおやすみください。ほらミア、行きますよ」
「やだ~っ! アデラお嬢さまに子守唄と読み聞かせしてあげるの!」
「貴方は音痴なんだからお嬢様の具合が更に悪くなったらどうするのです。では失礼します」
いつも通り賑やかな彼女達にどこか安堵する。
そうしてユズはミアの首根っこをつかみ引きずりながら、明かりを消して部屋から出ていったのだった。
一人きりになった部屋は静かで、急にどこか寂しく寒い印象になった。やっぱり傍に居て貰えば良かったかな、なんて思ったところで甘えた考えだなと乾いた笑いが出て首を振る。
そして重い体を引きずって、勢いよく沈むようにベッドへと倒れ込む。貴族令嬢らしからぬ行為だが、誰も見ていないし今日だけは許して欲しい。
そして深いため息をついた。心の中の真っ黒い煙を吐き出すように深呼吸を続ける。
(……それにしても、エイミーはいつからリチャード様が好きだったのかしら)
目を閉じて今思い返してみれば、私とリチャード様が我が家でお茶会をしていれば、エイミーが必ず訪れていたなと思う。
私はリチャード様との初めてのお茶会の日のことを思い出していた。




