102-I 文化の違いと反省
試合の次の日は、それはもうてんやわんやだった。いつものようにアイリスを抱きかかえて馬車を降りたわたしは、早速待ち構えていたらしき人々に取り囲まれた。
「あっ、アイリーナ様!」
「おはようございます!」
「あの、昨日はとても格好良かったですわ!」
「あ、ありがとう、あの、ごめんなさいね、少し通してくださるかしら?」
その今まで以上の勢いに、わたしは一瞬固まってしまった。言葉も若干吃ってしまう。それでも、公爵令嬢として、シリウスの婚約者としてしっかりしなければいけないわ。一度深呼吸すると、この三ヶ月ですっかり身につき、もう無意識にでも出来るようになった社交的な微笑みを浮かべて歩き出した。
その様子を腕の中から見ていたアイリスが話しかけてきた。
『アイリーナ……今日はまた一段と賑やかね。何かしたの?』
『ええと、昨日少し試合を……』
『ああ、それで全力を…』
『出してないわ。そこはちゃんと気をつけたもの。だけど……』
心の中で会話しながら歩いていたわたしは、周りが見えていなかったらしい。そう、廊下で人とすれ違う度に二度見され、さらにわたしの後ろについてくる大集団を見て次々とそこに加わっていた事になど、全く気がついていなかった。
教室につくと、マルネラが一人で座っていた。わたしが来た事に気がついて振り向き、笑顔になりかけたところでマルネラが固まった。少しして僅かに復活したマルネラは、途切れ途切れにわたしに問いかけた。
「あ、あの………アイリーナ?……その、方々は、一体どう、どうしたの、かしら?」
「えっ?その方々って何の……………ふわぁ!?」
「なっ、気づいてなかったのね……」
マルネラの言葉に疑問を持って振り向くと、教室の前の廊下を埋め尽くす勢いでたくさんの人が集まっていた。
「えっ、な、いつの間に……!?」
『アイリーナが歩いているだけで、すれ違った人が皆ついてきてたよ』
「嘘、全然気がつかなかったわ……!」
「いえ、普通は気づくわよ、この人数」
動転していたわたしは、思わずアイリスの状況説明に対し思い切り返答を口に出してしまった。その返答に対してマルネラが突っ込んだおかげでその事実に気がつく。幸いにもマルネラには疑われてはいないようだった。
気を取り直したマルネラが口を開く。
「まあ、昨日あんな事をしたから、この反応が妥当よね」
「あんな事って……試合の事かしら?」
「ええ、そうよ。まさかアイリーナが生徒会長に勝つなんて、誰も予想してなかったわ」
「そうだったの?」
「生徒会長はこの学園最強よ。昨年卒業なさった先輩も歯が立たなかったわ」
そうよね、あの『煉獄』の威力はなかなかだったわ。
「それに、試合の後、傷を癒したでしょう?」
「そう、それよ。どうしてあの時静まり返ってしまったの?」
「どうしてって…………あれは、相当実力がある王宮魔導師くらいでないと使えないのよ。しかも、彼らにやらせても数秒はかかる。あんな当たり前のように一瞬で傷を治す事は出来ないのよ」
「……嘘でしょう?アイルクスでは、水属性の人は普通使えるのに」
これも、セトルータに流れる自然の魔力に、水属性が少ないからかしら?それに、若干闇の魔力が多く感じるわね。それも何か関係ありそうだわ。
「アイルクスでは普通なの!?信じられないわ……ああ、だから容赦なく腕を刺したのね?」
「ええ、試合だもの、相手を傷つけても良いのでしょう?」
「それも、アイルクスならではね………ここセトルータでは、相手を傷つけた瞬間に勝負が決まるのよ。それがたとえとてつもなく不利な人が死に物狂いで撃った一撃であっても」
「そうだったのね……」
きっと傷を治癒できる人が少ないから、そういうルールになっているのね。………ああ、やっぱりまたやってしまったらしいわ。そこにいる人々の常識に合わせるのは、本当に難しいわ。
『アイリーナには『常識』は似合わないよ』
『アイリスー、そんな事言わないでよ。少なくともセトルータでは抑えなくてはいけないのよ?』
『もう手遅れだよ、見れば分かるでしょ?』
「ふぇぇ、やり直したい………」
小さく呟いた言葉は、アイリス以外誰に聞かれる事もなく消えていった。
王宮の部屋に戻って改めて大いに反省する。しかし、幾ら反省したところで過去が変わるわけでもないし、わたしの本質、魔術が好きな部分もそうそう変わらない。
『アイリス、わたしはどうすべきだったのかしら?』
『そうだね……本当なら試合をしなければ良かったと思うけど…』
『うぅ、だって向こうが申し込んで来たのよ、わたしに断れるわけがないじゃない』
『或いは、わざと負けて…』
『そんな事出来ないわ。それじゃ相手に申しわけないわ』
その後も今までのわたしの行動を振り返っていて、ふとある事に気がついた。
『わたしが何かやった時って、基本誰かに何か頼まれた、若しくは申し込まれた時じゃないかしら?』
レテフィア嬢達との試合も向こうから申し込んできた。クラウスの呪いを解いたのも、仲良くして欲しいとユリウス様やシリウスに頼まれたから。魔術指導も頼まれたからやっていた。昨年の冬の事件、王宮が襲われた時も、フィナに助けてと言われた事が結果的に事態の収拾に繋がった。
そして、セトルータに来てからもそうだわ。珍しいから水属性魔術を見せて欲しい、という頼みから始まり。次第に頼んでくる人数が多くなってきて、アキナラル殿下に試合を申し込まれて。
そして、頼まれたからにはそれを存分に楽しむ。その結果、気がつけば何かをやらかしている。
『なら、頼みを断るか、せっかくの楽しみを無視して引き受けるか……』
わたしには出来そうにない。せっかくわたしを頼ってきてくれたのに断る事など。きっと自分ではもうどうしようもなくなっているのを、断るのは簡単だわ。わたしは公爵令嬢で、王太子の婚約者。そんなわたしに断られて引き下がらない人はほとんどいないわ。
だけれど、権力があるからこそ皆の事を考えなければならない。わたしが何かする事で解決するような事、わたしにしか出来ない事は、わたしには断れない。
そして、そこにある楽しみを無視すれば、わたしの暮らしはきっと味気なくなってしまう。権力がある分しがらみも多い。それすらも楽しんでいかなくては、きっと重圧に押し潰されてしまうに違いないわ。
『……本当に優しいよね、アイリーナは』
『いいえ、結局わたしは自分の楽しみが全てなのよ。どうしようもなくわがままだわ……』
『わがままは、悪い事じゃないよ』
アイリスの言葉に思考が凍りついた。わがままが、悪い事じゃない……?だって、わがままは周りの人に迷惑をかけて、自分の事だけ考える、わたしみたいな人の事を……
『違うよ、わがまま自体は悪い事じゃない。アイリーナみたいに周りの人の事をきちんと考えられる人は、わがままでも迷惑なんかじゃない。悪いのは、こっちの王子様みたいな人よ』
『とても不敬だと思うけれど……流石にあの方とわたしが同じだとは思わないわ』
『だったらアイリーナは『良いわがまま』の人だよ、だからありのままで良いんだよ』
『ありのままで……』
アイリスの励ましに、何故かシリウスの顔が思い浮かんだ。そして大学園祭の前に言われた事を思い出す。
『もっと自分の気持ちに正直になって良いんだよ、誰も何も文句なんか言わないから』
『僕は、僕に対してなら、リリーが何をしてもわがままだとは思わないよ』
シリウスは、わたし以上にわたしの事をわかっていたんだわ。言われた時には気づかなかった。シリウスがどれだけわたしの事を見て、どれだけ心配していたかなど。わたしは何も知らずにただ甘えていただけ。
「シル……」
理解した途端にどうしようもなく寂しくなった。ずっと昔からありのままのわたしを、好き勝手に魔術で遊ぶわたしを見ていたシリウス。きっと少し話すだけで、今のわたしの悩みなど笑い飛ばしてしまうだろう。そして優しく抱きしめてくれるに違いない。
今はただ、その温もりが恋しかった。




