99-I 誤算と後悔
次の日。ミルとマリーに制服に着替えさせてもらったわたしは、馬車で学園へと向かっていた。護衛にはエバートがついて、膝の上にはアイリスが丸まっている。胸元には制服の裏にこっそりとシリウスに貰ったネックレスをつけている。
それにしても、良くアイリスを連れて行くことを許可してくれたなと思う。アイルクスはお祖父様特権みたいなところもあったけれど、セトルータは全く関係ないはず。まあ、心強い味方がいて嬉しいのは事実だわ。
『アイリーナ、不安?』
『アイリス………ううん、大丈夫よ』
昨日は本当に案内してもらっただけで、今日初めてこれから一年クラスメートとなる人々に挨拶する事となっている。しかし、昨日会っただけとはいえ知り合いがいるというのは無用な不安を取り払ってくれる。
「では行ってくるわね、エバート」
「はい、お帰りの際にお迎えにあがります」
馬車を降りて大きく深呼吸する。それから歩き出した。アイリスはわたしの斜め前をちょこちょこと歩いている。そんな珍しい光景に、わたし達は周りの注目を浴びた。
向けられる視線をものともせずに校舎の入り口に向かうと、そこには知り合いがいた。淡い緑の髪を揺らして、わたしに挨拶したマルネラ様はアイリスを見つめた。
「あら、かわいい子がいらっしゃるわ。アイリーナ様、このネコはどうなさったのです?」
「アイリスと言います。わたしの飼い猫ですわ」
「まあ……」
口元に手をやって驚いているマルネラ様。それもそのはず、普通は飼い猫など学園に、それも他国の学園になど連れてこない。
「ニャー」
そんな中アイリスがマルネラ様の足にすり寄る。マルネラ様はくすぐったそうに微笑むと、アイリスを抱き上げた。
「ふふ、よろしくねアイリス」
「ニャ」
頭を撫でられて気持ちよさそうなアイリスは、少しするとぴょんと腕から飛び降りた。それを機にわたし達は教室へと足を向けた。
マルネラ様の後に続いて教室に入ると、わたしは一斉に視線を浴びる事となった。一瞬固まった後、前に立つほんのり緑っぽい髪と茶色の瞳をした男の先生の元に向かう。先生から並び立つように言われ、その通りにすると先生が声を張り上げた。
「皆、この方がアイルクス王国からの留学生だ。……自己紹介を」
「皆様初めまして、わたしはアイルクス王国の王太子の婚約者、アイリーナ·フォン·セイレンベルクと申します。短い間ではありますけれど、どうぞよろしくお願いしますわ」
優雅に一礼して微笑んでみせる。昔フランジーナ先生に言われた、『公爵令嬢たるもの、第一印象は完璧にしなさい』の上位版、上手く出来たかしら。
そう思いつつ軽く伏せた目を上げる。これからクラスメートとなる人々は、ほぼ全員がわたしを見つめたまま固まっていた。わたし、何か間違えてしまったかしら?
表情は笑顔のまま、わたしは不安になってきた。それを見かねたらしく、先生が一言添えた。
「アイリーナ、貴女の属性は何ですか」
「はい、水と氷ですわ」
これはユリウス様に言われた通り。セトルータ王国ではわたしが全属性を使える事を隠してくれと命令された。確かにわたしはそれなりに強いと思うから、敵の手に渡ったら大変だ。
そこで、隠しようがない元の瞳の色から、わたしは水と氷属性使いだと言う事にしたのだけど……
パシッという効果音が聞こえてきそうなくらい、全員が揃って驚愕に固まる。そしてその次の瞬間には……
「ほ、本当ですか!?」
「珍しい瞳だと思ったらやっぱり……!」
「魔術見せてください!」
一斉に詰め寄ってきた。その勢いに思わず一歩退く。下がった事で出来た空間に素早く先生が割り込み、理由を説明してくれた。
「ここセトルータ王国では、水属性の人は本当に少ないんです。この学園でも昨年一人卒業して今は一人もいません。もし良ければ、魔術を使ってみてもらっても良いですか?」
「なるほどそういう事でしたのね。もちろん良いですわ。『水泡』」
確かにアイルクス王国で感じていたほど、水の魔力は感じられない。だからこんなに乾燥しているのかしら。
納得したわたしは皆の周り、教室全体に泡を浮かべた。それだけで大歓声があがる。その泡に恐る恐る手を伸ばし、触って目を丸くする先生。クラスメート達もそれに倣って泡を割り始めた。
「すげえ、まさか水属性魔術に触れるなんて!」
「本当、先輩が使ってたのは見たけど……!」
教室は暫く喧騒に包まれた。
「……さて、授業を始めようか。だが……」
やっと落ち着きを取り戻したものの、まだ興奮さめやらぬ状態のクラスメート達の様子を見て、先生が苦笑いした。一つ息をつくと先生は声を張り上げた。
「今日の授業は魔術演習にしようか」
一瞬静寂が教室を包む。そしてある生徒が声を震わせながら聞いた。
「せ、先生………良いん、ですか?」
「今の状態じゃ座学なんぞやっても集中出来ないだろう。それなら魔術でも打ち合って仲を深めた方が良い」
教室を見回しながら先生が言った言葉に、生徒達からは大歓声と拍手が上がった。もう待ちきれないといった体で腰を浮かす生徒もちらほら見受けられる。先生はそんな教室に響くくらいの大声を出した。
「いいか、その代わり明日の魔術演習は座学だからな!」
「「「「はい!」」」」
皆笑顔で大きく頷いた。そしてどんどん教室から飛び出していく。それを見送る先生がぼそっと呟いた。
「全く、いつもあのくらいやる気を出してくれよな……」
という事は、魔術演習が余程楽しいか、或いは珍しい水属性がいるからか……まさかここまで大騒ぎされるとは思っていなかったのでわたしは戸惑っていた。何というか……これはこれで目をつけられそうだわ……
わたしは早速後悔していたのだった。
先生とマルネラ様と一緒に訓練場に向かう。アイルクスの学院の訓練場は部屋みたいになっていて、天井があった。しかしセトルータでは天井がない。恐らくさほど雨が降らないからだろうなと思った。
そのせいか訓練場の壁も床もあの独特な土の色をしていた。それが出来るのも雨が降らないから。アイルクスで同じ事をすれば、きっと雨で崩れてしまうわ。もちろん多少の雨くらいは耐えるとは思うけれど。
訓練場では先に着いていたクラスメート達が早くも魔術を打ち合っていた。炎が飛び交い、風が吹き荒れ、土埃が舞っている。まるでユリウス様のいたずらが発動したような状況に、わたしの心は躍り始めた。
そんな状況を見てわたしの横からすっと先生が前に出た。
「では、改めて魔術演習を始める!…………って、聞けよ!全くこの……」
先生が話し出したにもかかわらず一向に魔術を止めないクラスメート達。流石に先生も頭に手をやる。しかし口調にも雰囲気にも怒りは感じられない。寧ろ、感じられたのは……
「!!『防壁』……!」
「…『地揺れ』!」
先生の地の魔力がクラスメート達の集まる中心に向けて放たれる。しかしその魔術は訓練場全体を容赦なく襲った。一瞬の後、訓練場に立っているのは先生とわたしだけだった。
「アイリーナ、巻き込んですみませ…………え?」
「先生、どうかなさいましたか?」
「いや、俺の『地揺れ』を受けて立っているとは……」
あ。やってしまった。先生の地の魔力が集まっていくのを感じて、状況から『地揺れ』だと判断していつものように防壁を張ってしまった。普通は防壁を地面に向かって張るという感覚がないというのに。
どう言おうか迷っている間に、先生はまあ良いかと言ってクラスメート達の方を見た。それにほっと胸を撫で下ろしながら先生の説明を聞く。説明が終わると早速わたしは囲まれた。
「あの、私の相手をしてくれませんか?」
「あ、俺もお願いします」
「その次に僕も!」
集まるクラスメート達に内心後悔と焦りを覚え、それでもわたしは躍る心を止められなかった。初めに頼んできた令嬢の方を向き、わたしは社交的な笑顔を浮かべた。
「……ええ、皆様よろしくお願いしますわ」




