第3話 暴君ルビーアイ 前編 その2
「おかえりなさい、サトキさま。学校の帰りにおつかいを頼んでしまってすみません。それで、お醤油は買ってきていただけましたか?」
聡樹が帰宅すると、ダイニングではライムが夕食の支度をしていた。
その異様な光景に聡樹は目を丸くする。
なにが異様かというと、驚くべき事にライムは五人おり、その五人のライムは全員が頭頂部から伸びるアホ毛のようなもので房状に、まるでバナナのようにつながっているのだ。これを異様と言わずしてなんと言おうか。珍妙か。
五人のライムはそれぞれが、鍋をかき混ぜ、フライパンを返し、まな板で野菜を刻み、流し台で洗い物をして、そして冷蔵庫の前でいつでも食材を取り出せるように待機している。
聡樹に向き直って声をかけてきたのは一番近い、冷蔵庫前にいるライムだ。
「うわ、気持ち悪っ」
聡樹は思わず素直な感想を吐露した。
その暴言に今度は五人のライムが全員聡樹を振り返り、一斉に頬を膨らませた。
「ひどいですサトキさま。これでも、アルバイトではすごくウケがよかったんですよ、一人で五人分働けるなんて便利だって。……お給料は一人分以下でしたけど」
社会的地位が低いからいいように使われちゃうんです私たち、とぼやいた。
それは確かにひどい話だと聡樹は思った。
もしライムがもんすたぁずファイトリーグで優勝すれば、世間のスライム族に対する認識も改まり、待遇も改善されるだろう。
なるほど、ライムが契約に必死になるわけだ。
「あれ、そういえばサトキさま、よく見たら目が真っ赤っかですよ? なにかあったんですか?」
「俺は泣いてない、泣いてないぞっ。いいかライム、男の涙はなぁ、悲しいときに流しちゃいけないんだぞっ」
「そ、そうですか、私はまだなにも言ってませんけど。ところでサトキさま、お醤油は」
「ライム、俺は突然散歩に出かけたくなった。ついでになにか用事でもあれば代わりに済ませてきてやるぞ」
「……。それじゃあ、お醤油を買ってきていただけますか」
「醤油だな、任せろ」
聡樹はビッと親指を立て、ブレザーのままとんぼ返りでダイニングを後にする。
ライムのジト目×5をその背中に受けながら。
さて、家を出た聡樹が向かったのは、先ほど赤いゴスロリ少女に泣かされ――いや、心の傷に粗塩をすり込まれた商店街だ。
近くに大型のスーパーマーケットができてしまい、顧客をごっそり取られたせいで軒並み閉店の危機に追い込まれている寂れた商店街。その一角にフーズ大森という食料品店がある。
このフーズ大森、品揃えではスーパーに劣るものの、手作りのお総菜がとても美味しいため贔屓にしているお客さんは結構多い。
特に手作りコロッケは一枚三十円という驚愕の安価でありながら、コンビニの百円コロッケよりも断然美味しいと言うことで、聡樹は小学生の頃から下校時などにちょくちょく買い食いをしていた。
そんな素敵な下校ライフをプレゼントしてくれたフーズ大森に恩返しの意味も込めて、食料品の買い出しはできる限りここで済ませることにしているのだ。
「久しぶりにコロッケ食べたくなったな」
昔の照井家は両親がいないときはここでお総菜を買っておかずにしていたのだが、魅麗が料理をするようになってからはお総菜を買わなくなってしまった。
聡樹はふと懐かしくなり、お総菜コーナーへ足を伸ばす。
「おばちゃん、コロッケ一つください」
「おや聡樹ちゃん、いらっしゃい。どうしたの、おばちゃんのコロッケが恋しくなったのかい?」
声をかけた聡樹に愛嬌のある笑顔で答えたのは、ふっくらした体つきの四十歳くらいの女性で、人好きのする笑顔が印象的なおばちゃんだ。この人はフーズ大森の店主の奥さんで、お総菜を作らせたら右に出る者がないほどの料理上手である。
「まーね。おばちゃんのコロッケ、俺好きだから」
「アハハ、ありがとうねぇ。ところで聡樹ちゃん、もんすたぁマスターになったんだって? よかったねぇ、夢が叶ったんだねぇ」
「あれ、おばちゃん誰に聞いたの?」
「魅麗ちゃんだよ。魅麗ちゃん、自分のことみたいに嬉しそうに話してくれてねぇ。おばちゃんも嬉しくなっちゃってさぁ」
本当に嬉しそうに顔をほころばせるおばちゃん。
でも当の本人の内心はちょっと複雑だ。
「そんで、聡樹ちゃんはドラゴンを仲間にしたのかい? 昔っから聡樹ちゃん、ドラゴン、ドラゴン言ってたものねぇ」
聡樹の胸がズキッと痛む。
おばちゃんから視線を逸らし、指で頬を掻きながら答える。
「あー、いや、実はさ、ドラゴンはやめにしたんだ」
「おや、どうしてだい? ドラゴンは男のロマンじゃなかったのかい?」
「そうなんだけど、ドラゴンは契約するのが難しいらしいんだ。だから違うもんすたぁにすることにしたんだよ」
おばちゃんは残念そうに眉尻を下げた。
「そうなのかい、そりゃあ残念だったねぇ。じゃあ結局どのもんすたぁにするんだい?」
「一応、スライムかゴーレムのどっちかにしようと思ってるんだ」
ライムか、真理のどちらか。
「なるほどねぇ。おばちゃん、もんすたぁのことはあんまり詳しくないけどさ。そのどっちかなら、ゴーレムがいいと思うねぇ。テレビで見たんだけどさ、すごい大きくて力持ちで強そうじゃないか」
命をもつ泥の巨人、ゴーレム。力こそパワーを体現する攻撃力重視のもんすたぁ。
ドラゴンすらも上回るパワーとタフネスを誇り、痛みを感じることのない泥の身体は崩されても再生が可能。ただし、ゴーレムボディは構築する度に多量のマナを必要とするために無限に復活できるわけではない。
弱点としては、巨体がゆえの機動力の低さが上げられる。戦いにおいてスピードは攻撃にも防御にも通じるため最重要視されており、そのせいか、ゴーレムが地域大会やもんすたぁずファイトリーグの上位に食い込んでくることは意外と少ない。
「うーん、真理か」
「真理ちゃんがどうかしたのかい?」
「い、いやいや、なんでもないよっ」
慌てて手を振ってごまかす。
おばちゃんは真理とも顔馴染みだが、おばちゃんは真理のことを人間だと思っている。その正体がゴーレムだと知っているのは、本人が言うには聡樹だけだ。
「おや? 聡樹ちゃん、どうやら噂をすれば影、ってやつみたいだよ」
「え?」
おばちゃんの視線は聡樹の後ろを指している。
つられて聡樹が背後を振り返ると、そこには買い物バッグを提げた真理が立っていた。
いつも通りのポニーテールで額に柄付きのバンダナを巻いて、服装はパーカーにキュロットスカートと軽快そうな出で立ちだ。
「ま、真理」
「やほ、聡樹。おつかい?」
真理の表情は基本的に吊り目のへの字口なので感情が読み取りにくいが、口調からして機嫌は悪くないようだ。
「まあな。真理もか?」
「うん。ママがお醤油を切らしてたのを忘れてたんだって」
「奇遇だな、うちも醤油だ」
「おやおや、おそろいだねぇ、相変わらず仲がいいのねぇあんたたち」
おばちゃんがからからと笑った。
このおばちゃんに限らず聡樹の周囲の大人たちは、なぜか聡樹と真理が仲良しだと思い込んでいるらしかった。
聡樹の記憶では、自分は横暴で強引グマイウェイな真理の腰巾着みたいなポジションだったはずだ。
あまり深く思い出すと、封じられた黒歴史に抵触する恐れがあったので聡樹は考えるのをやめた。
「ええ、幼馴染みですから」
おばちゃんに対して真理は、なんと滅多に見せないはずの笑顔でそう答えた。
もしかしたら真理が無愛想に振る舞うのは自分に対してだけで、他の人には意外と愛想がいいのだろうか、と聡樹は思った。ちょっと悔しい。
「いいねぇ、聡樹ちゃん。こんな可愛い幼馴染みがいてさぁ。実はね、ウチの旦那も幼馴染みだったんだよ。だから聡樹ちゃんも、真理ちゃんと結婚することになるかもねぇ」
「ブホッ!?」
聡樹は噴き出した。なにも口に含んでいなかったが、とにかく噴き出した。
「そんなことないですよ~おばさん。アタシたち、別につきあってたりしないですし」
真理も苦笑いしながら否定している。聡樹も慌ててそれに乗っかった。
「そうそう、そうだよ。結婚だなんてそんなこと、世界が滅んで俺と真理が第二のアダムとイブになってもありえないって痛ッッ」
ぎゅううぅ。
真理の靴のカカトが、聡樹のつま先を思い切り踏みにじる。
「なにすんだよ真理ッ?」
「ごめん、足滑った」
「滑ったって割には思い切りグリグリやってなかったかッ?」
「気のせいじゃない?」
「気のせいってお前……」
「アッハッハッハ、前途多難な感じだねぇ」
おばちゃんは楽しそうに笑う。聡樹にはなにが楽しいのかちっともわからない。若干ふてくされてしまう。
「もういいよ、俺帰る。おばちゃん、コロッケと醤油ね」
「あ、アタシもコロッケください」
「はいよ。二人とも、また来てちょうだいねぇ」
おばちゃんに小銭を渡して醤油のペットボトルとコロッケの入ったビニール袋を受け取り、聡樹はフーズ大森を出た。




