第八話 飯と喧嘩
ギルドを出た田中は、受付で教えてもらった店へ向かった。日はほとんど沈み、通り沿いの建物には明かりが灯り始めている。しばらく歩くと、開いた扉から肉を焼く匂いが流れてきた。
「ここか」
中を覗く。木製のテーブルが並び、飯を食っている者や酒を飲んでいる者で賑わっている。
「腹減ったし、なんでもええわ」
田中は店へ入った。何人かがこちらを見る。作業服姿が珍しいのかもしれない。スコップは収納袋へ入れてある。空いている席へ座ると、店員らしい女が近づいてきた。
《――》
「やっぱ分からんわな」
女が文字の書かれた板を見せてくる。当然読めない。
「飯食いたいねんけど」
《――?》
「通じへんよな」
田中は周囲を見回した。少し離れた席で、大きな皿に盛られた焼いた肉を食べている男がいる。黒っぽいパンと煮た野菜、汁物も付いていた。
「あれ」
料理を指差し、料理と自分を交互に指差す。女が理解したらしく頷いた。
《――》
「値段か?」
田中は収納袋から何種類かの硬貨を取り出した。女が大銅貨を指差し、指を4本立てる。
「大銅貨4枚?」
4枚を持ち上げて見せると、女が頷いた。
「4,000円か」
日本の食堂よりかなり高い。だが、さっきギルドでキバイノシシの買い取り価格を聞いたばかりだ。若い個体でも丸ごとなら100,000円相当、成獣なら450,000円相当だった。そこから解体され、肉として店まで運ばれ、調理される。この世界では肉そのものが安くないのだろう。
「まあ、あの量ならそんなもんか」
大銅貨4枚を渡した。しばらくすると、大きな木皿が運ばれてきた。厚く切られた焼き肉が何枚も載っている。黒っぽいパン。煮た野菜。具の入った汁物。
「ええやん」
朝からまともに食べていない。田中はすぐに肉へ手を伸ばした。
「うま」
味付けは塩が中心だった。日本で食べていた料理ほど複雑な味ではないが、焼きたての肉は十分うまい。パンは少し硬く、汁物へ浸して食べる。
「腹減ってたら何でもうまいな」
田中は黙々と食べ続けた。店内では酒を飲んでいる者たちの声が飛び交っている。
《――》
《――!》
《――》
何を話しているのかは分からない。気にせず肉を食う。
その時だった。
《――!》
横から声がした。
「ん?」
顔を向けると、すぐ近くに男が立っていた。顔が赤い。酒臭い。
「なんや?」
《――!》
「分からん」
男が何か怒鳴り、田中を指差した。
「何言うてんねん」
次の瞬間、拳が飛んできた。
「っ!」
頬にまともに入った。田中の上半身が横へ振られる。店内が一瞬静かになった。田中はゆっくり顔を戻した。
「......いきなり何すんねん」
《――!》
男はまだ何か怒鳴っている。何に怒っているのか、何が気に入らなかったのか、田中にはまったく分からない。分かるのは、いきなり殴られたことだけだ。
「......先に手ぇ出したん、お前やからな」
男がもう1度拳を振り上げる。今度は当たらない。頭をずらして避け、伸びてきた腕を掴んで引き、足を払った。男が背中から床へ落ちる。
《――!》
近くの席から2人の男が立ち上がった。倒した男の仲間らしい。
「仲間か?」
1人が殴りかかってくる。半歩ずれてかわし、腹へ拳を入れた。男の身体が折れる。もう1人が木の椅子を掴んだ。
「それはあかんやろ」
振り上げた椅子が振り下ろされる前に踏み込み、手首を掴んで捻る。椅子が床へ落ち、そのまま身体を崩して床へ転がした。
最初の男が起き上がり、腰へ手を伸ばす。短い刃物が見えた。
「それ抜くんやったら話変わるで」
男が柄を握った、その時。
店の奥から大声が飛んだ。
《――――!》
男の動きが止まる。大柄な店主が太い棒を持って立っていた。
《――!》
店主が3人を怒鳴りつけ、入口を指差す。男たちは何か言い返しているが、店主が棒を床へ叩きつけると、
《――――!》
3人は田中を睨みながら店を出ていった。
「......なんやってん」
殴られた理由すら分からない。店主が田中を見る。
《――》
「俺に言うても分からんで」
店主は倒れた椅子を起こし、壊れていないことを確認した。それから田中の料理を指差し、座るよう手で示す。
「食ってええん?」
頷きが返ってくる。
「ほな食うわ」
田中は席へ戻った。周囲から視線が集まっている。
「......見んなや」
当然、通じない。残った肉を食う。少し冷めていた。
「4,000円もしたのに冷めてもたやんけ」
それでも全部食べた。朝から空だった腹が、ようやく満たされる。
「ごっそさん」
田中は席を立った。食事代は大銅貨4枚、4,000円相当。所持金715,357円から4,000円を引く。所持金711,357円。
店を出る。外はすっかり暗くなっていた。
「さて、寝るとこ探すか」
十数歩も進まないうちに、前方に人影が3つ。
「お前らか」
さっき追い出された3人組だった。何か喚いている。
「まだやんの?」
背後で足音。振り返ると、さらに3人。
「増えとるやん」
合わせて6人。田中は内心でため息をついた。
(今日だけでもう何回目や、これ)
数えてみる。日本での喧嘩が1回。ゴブリンが6匹。町の若造が1人。森で3人組。今度は6人。異世界に来てから、まともに休めた時間の方が短い。
「もう数えるのも面倒くさいわ」
棍棒の男が先陣を切って走ってくる。振りかぶった軌道の内側へ半歩踏み込み、開いた腹へ拳を叩き込む。骨の間、力の抜ける一点。狙いを外したことは1度もない。声も出せずに崩れ落ちた。
続いて剣を抜いた男。踏み込みも振りも、動く前から読めてしまう。手首を取って逆に極め、剣を落とさせてから膝で沈める。
背後から短剣。振り向きもせず気配だけで軌道を察し、腕を取って肘を極めた。落ちる音がしただけだった。
――残りの3人がどう来たかは、正直あまり覚えていない。刃物を抜いた男の手首を極めて蹴り、棍棒を躱して顎を打ち抜き、それだけだった気がする。全部同じような手応えで、途中から誰が何番目だったのかも曖昧になっていた。
気づけば5人とも地面に転がっていた。
「......これもう作業やな」
達成感も緊張もない。ただ夕飯の腹ごなしが済んだ程度の感覚だった。それでも急所は外していない。加減はしていても、当てる場所を間違えたことは1度もなかった。
最後の1人だけが、仲間の山を見て動けなくなっている。
「来んの?」
男が後ずさった。
「やらんのやったら帰れ」
意味は通じないはずなのに、田中が一歩踏み出しただけで男は全力で駆け出していった。
「あれは逃げたから、まあノーカンやな」
倒れている5人を見渡す。全員息はある。
「飯食いに来ただけやのに、なんで運動までせなあかんねん」
最初に殴ってきた男がまだ睨んでいる。
「まだやる?」
反応がない。
「ほな終わりや」
落ちている剣や短剣に目もくれず、田中は大きく伸びをした。腹ごなしついでに肩まで軽くなった気がする。
そのまま歩き出そうとした、その時。
遠くから甲高い音が響いた。
ピーッ――。
少し間を置いて、別の方向からも聞こえる。
ピーッ、ピーッ――。
「......笛?」
夜の通りの向こうで、人が動き始める。何人かが道を空けた。金属の擦れる音。走ってくる複数の足音。田中は転がっている5人と、自分の状況を見比べた。
「まさかこれ、俺が捕まる流れちゃうやろな」
体操感覚で片付けた喧嘩が、思わぬ形で面倒事に変わりそうな予感がした。田中はその場に立ったまま、音のする方を見た。
MP111/750
所持金711,357円
異世界生活、2日目。




