第四話 言葉
人影は3人いた。田中が近づいていくと、向こうもこちらに気づいた。
《止まれ!》
田中には、男が何を言っているのかまったく分からなかった。
以降、田中に通じていない現地語は《》で表記する。
「……やっぱ分からんか」
3人とも男だった。革鎧や胸当て、籠手まで身につけ、腰には革袋や小物入れをいくつも下げている。1人は剣、1人は槍、もう1人は弓を持っていた。
「……コスプレみたいやな」
だが、近くで見ると妙に使い込まれている。剣も槍も飾りには見えない。3人は田中の鉄製のスコップを見て、明らかに警戒していた。
「敵ちゃう敵ちゃう。ただの通りすがりや」
通じないと分かっていても口に出しながら、田中はスコップをゆっくり地面へ置いた。両手を見せる。
「ほら。なんもせえへん」
男たちは顔を見合わせた。
《言葉が通じてないのか?》
《みたいだな》
先頭の男が自分を指差し、それから田中を指差す。
《名前は?》
「名前か?」
田中は自分の胸を指差した。
「田中。田中真司」
《タナカ?》
「そうそう。田中」
男は森の奥を指差した。田中が来た方向だ。次に田中を指差す。
《あっちから来たのか?》
「どっから来たって聞いてんのか?」
田中も森を指差す。
「向こう」
《森の奥から1人で?》
《変な奴だな》
《見たことない服だぞ》
当然、田中には1言も分からない。
「これは面倒やな……」
文字ならどうか。田中は地面へ指で日本語を書く。田中真司。3人が覗き込んだ。
《なんだ、この文字?》
「あかんか」
男の1人も地面へ何かを書く。見たことのない文字だった。
「そっちも無理や」
話せない。読めない。書けない。
「完全に詰んどるやんけ」
田中は頭を掻いた。男が道の先を指差した。
《町はあっちだ》
「向こう?」
田中も同じ方向を指差す。男が頷いた。
「町でもあるんか?」
意味は分からないが、人のいる方向を教えてくれているようには見える。
「助かったわ。案外ええ奴らやん」
田中は地面へ置いたスコップを拾う。3人が僅かに身構えた。
「ああ、ちゃうちゃう」
田中は特殊収納袋を開き、スコップを差し込んだ。長い柄まで完全に袋の中へ消える。3人の顔色が変わった。
《収納袋……》
《おい。今の見たか?》
《見た。収納袋だ》
田中は袋を腰へ戻す。
「やっぱ便利やな、これ」
男たちが顔を見合わせた。
《奪うぞ》
《ああ》
《言葉も通じない流れ者だ。消しても誰も気にしねえ》
先頭の男が笑顔を作って田中へ近づく。
「ん?」
《ちょっと見せてみろ》
男が袋を指差した。
「これ?」
田中が袋へ視線を落とした瞬間。
《今だ!》
男の手が袋へ伸びた。田中は反射的にその手首を掴んだ。
「何すんねん」
《離せ!》
男が空いた手で剣を抜く。
「おい」
田中の声が低くなった。
「それ抜くんはちゃうやろ」
言葉は通じない。だが、袋へ手を伸ばされたことも、剣を抜かれたことも分かる。
《殺せ! 袋を奪え!》
槍を持った男が踏み込んだ。穂先が田中の腹へ向かう。
「危なっ!」
田中は身体を捻って避けた。掴んでいた男の腕を引き、そのまま槍の男へぶつける。
《ぐあっ!》
2人がもつれる。弓の男が矢をつがえた。
「お前もかい!」
田中は特殊収納袋へ手を突っ込み、スコップを掴んで一気に引き抜いた。弓が向けられる。田中が踏み込む。距離が一気に縮まった。
《なっ――》
スコップの平たい部分を横から叩きつける。鈍い音が鳴り、男の身体が横へ吹き飛んで地面を転がった。
「人に弓向けんなや」
剣の男が立ち上がった。
《殺せ!》
斬りかかってくる。田中は半歩退いて剣をかわし、返すスコップの柄を脇腹へ叩き込んだ。
《がっ……!》
男の身体がくの字に折れる。その顔面へ膝を入れると、鼻血を撒き散らして仰向けに倒れた。残った槍の男が動きを止めた。
「……まだやるん?」
言葉は通じない。それでも意味は伝わったらしい。槍の男が1歩下がる。田中はスコップを肩へ担いだ。
「先に手ぇ出したん、お前らやからな」
《く、くそ……》
槍の男が倒れた仲間を見る。次に田中の腰の袋へ目を向けた。そして再び槍を突き出した。
「アホか。まだ来んのかい」
田中は穂先をかわし、柄を掴んで強引に引いた。
《うわっ!》
男の身体が前へ崩れる。田中は槍を奪い取って放り捨て、腹へ拳を叩き込んだ。
《ごっ……》
男が膝をつく。田中は襟を掴んだ。
「人のもん盗ろうとして、殺そうまでして」
もちろん相手には伝わらない。
「何で俺が加減せなあかんねん」
顔面へ拳を叩き込む。男が地面へ倒れた。
「……ったく」
田中は3人を見る。死んではいない。弓の男は呻きながら転がっている。剣の男は鼻血を流して気を失っている。槍の男も腹を押さえたまま動けずにいた。
「異世界来て初めて会うた人間がこれかい。治安どうなっとんねん」
昨夜はゴブリン。今日は人間。
「ろくな奴おらんな」
田中は落ちている剣や槍、弓を見る。
「……いらんな」
今のところスコップで困っていない。わざわざ他人の武器を持っていく必要もない。田中はスコップだけを特殊収納袋へ戻した。先ほど男が指差していた方向を見る。
「町はあっちっぽいな」
道も続いている。
「行ったら分かるやろ」
田中は3人を放置して歩き出した。
◇
10分ほど道を進むと、森が途切れた。
「おお……」
すぐ先に石壁が見えた。その内側から建物の屋根がいくつも突き出している。
「やっぱ町やったんやな」
道を進むにつれて人の姿が増えていく。荷物を背負った男。籠を持った女。荷車。馬車。そして、剣や槍を持った者。革鎧や金属製の胸当てを身につけた者もいる。
「……コスプレちゃうかったんやな」
さっきの3人だけなら妙な集団で済んだ。だが、町へ向かう人間の中にも似た格好をした者が何人もいる。
「ほんまにこれが普通なんか」
ゴブリン。2つの月。ステータス。そして武器と防具を身につけた人々。異世界だと認める材料ばかり増えていく。石壁には大きな門が開いていた。人や馬車が出入りしている。門の脇には武装した兵士が立っていた。田中が近づく。
《止まれ》
「……分からん」
《身分証を出せ》
「何言うてんねん」
兵士が手を出した。何かを見せる仕草をする。
「なんか出せってことか?」
田中が首を傾げると、兵士が別の兵士へ声をかけた。
《こいつ、言葉が通じてないぞ》
《翻訳の魔道具を持ってくる》
1人が詰所へ入っていく。
「待っとけって感じか」
田中はその場で待った。やがて兵士が小さな板のような物を持って戻ってくる。中央に石が嵌め込まれていた。兵士が石へ触れると、淡い光が灯る。
「私の言葉が分かるか?」
「……お?」
田中は目を見開いた。
「分かるわ」
「ならよかった。翻訳の魔道具だ」
「便利なもんあるんやな」
ついさっきまで意味不明だった言葉が、今は普通に頭へ入ってくる。便利という言葉では足りないくらいだった。
「珍しい言葉だ。どこの出身だ?」
「大阪」
「オオサカ?」
「知らんよな」
「聞いたことがない」
「俺もここが何処か知らん」
兵士が眉を寄せる。
「自分がいる場所も分からないのか?」
「昨日の夜、気ぃついたら森の中におった」
「それ以前の記憶は?」
「ある。ここに来た理由だけ分からん」
「転移魔法か?」
「知らん。俺が聞きたいぐらいや」
「身分証は持っているか?」
「一応あるで。こっちで通じるか知らんけど」
田中は腰の袋へ手を入れ、財布を取り出した。運転免許証を抜く。
「これ」
兵士へ渡した。
「……これは?」
「運転免許証。俺がおった国の身分証みたいなもんや」
兵士が免許証と田中を見比べる。
「この絵はお前か?」
「写真な。俺や」
「シャシン?」
「まあ、俺の姿をそのまま写したもんやと思っといて」
兵士は免許証を裏返した。
「文字は読めない」
「そらそうやろな」
「これが身分証だという証明は?」
「ここでは無理や」
田中は即答した。
「そっちの文字すら俺は読まれへんしな」
「なるほど」
兵士は免許証を返した。
「この町で通用する身分証は持っていないということだな」
「そうなるな」
「なら冒険者ギルドへ行くといい」
「冒険者ギルド?」
「登録すれば冒険者証が発行される。それが身分証になる」
「ほんまに冒険者ギルドあるんや」
田中は思わず笑いそうになった。ここまで来ると、ラノベで見慣れた単語まで現実になって出てくる。
「知らないのか?」
「まあ、名前ぐらいは知っとる。そこで作れるんやな?」
「ああ。他の町でも身分証として使える」
「なら作っとくわ」
「仕事も受けられる。お前のように身元を証明できず、頼れる者もいないなら都合がいいだろう」
「仕事は別に――」
田中は途中で口を閉じた。魔力換金がある。金を作るだけなら働く必要はない。だが、それを説明する理由はない。
「まあ、行ってみるわ」
「その前に入門の検査だ」
「検査?」
「ああ。それと、その袋も調べさせてもらう」
「これ?」
田中が腰の袋を指差す。
「ああ。今、そこから財布を取り出したな。物を収納できる袋なのか?」
「収納できるで」
「収納袋か?」
「そういう名前なんやったら、たぶんそうやな」
「なら検査台へ置いてくれ」
門の脇に、水晶が埋め込まれた台がある。田中は袋を置いた。水晶が淡く光る。兵士が浮かび上がった文字を確認する。
「危険物なし。生体反応なし」
「中身分かるん?」
「危険物や生きた魔物が入っていないか確認するだけだ」
「なるほどな」
中身を全部見られるわけではないらしい。田中は少しだけ安心した。
「入門料は銅貨1枚だ」
「銅貨?」
「持っていないのか?」
「金はあるけど、こっちの金の名前知らんねん」
田中は魔力換金で作った3種類の硬貨を取り出した。
「どれ?」
掌へ並べる。兵士が1枚を指差した。
「これが銅貨だ」
「これか」
10MPを換金した時に出た硬貨。袋へ入れた時、100円相当と分かった硬貨だ。
「これが銅貨なんやな」
「ああ」
ようやく1つ、この世界の金の名前が分かった。田中が銅貨を渡そうとした時だった。
《いたぞ! あいつだ!》
後ろから大声が聞こえた。
「ん?」
田中には意味が分からない。振り返る。
「……あ?」
見覚えのある3人がいた。先ほど森で半殺しにした男たちだ。革鎧や胸当ては泥まみれになり、顔も腫れている。剣の男は鼻に布を当て、槍の男は腹を押さえ、弓の男も足を引きずっていた。
「お前ら、もう来たんか」
あれだけ痛めつけられた割には元気だった。3人が田中を指差して叫ぶ。
《そいつだ!》
《俺たちを襲った!》
《収納袋を奪った盗賊だ!》
門の兵士たちが一斉に田中を見る。
「何言うとんねん?」
3人が翻訳の魔道具の範囲へ入った。
「そいつだ! そいつが俺たちを襲った!」
「……は?」
「森で突然襲ってきたんだ!」
「おい、待てや」
「俺たちの収納袋まで奪った!」
田中の眉が寄った。
「何言うとんねん、お前ら」
さっきまで言葉が通じなかったのをいいことに、好き放題言い始めたらしい。
「こいつを捕まえてくれ!」
「ちょい待て」
兵士が3人を止める。
「双方、順番に話せ」
3人が口々に訴えようとする。
「黙れ!」
兵士の一喝で静かになった。兵士が田中を見る。
「森でこの3人と会ったのか?」
「会うた」
「戦った?」
「戦ったっちゅうか、襲われたから返り討ちにした」
「嘘だ!」
「黙っていろ」
兵士が3人を睨み、それから田中へ視線を戻す。
「何があった?」
「最初は普通やったで。言葉は何言うてるか全然分からんかったけど、身振りでこっちに町があるみたいなん教えてもろた」
「それから?」
「俺がスコップをこの袋にしまった」
田中は腰の袋を指差した。
「そしたら急にこいつらの様子が変わった」
3人の顔が僅かに強張る。
「何を言っていた?」
「知らん」
田中は即答した。
「その時は言葉通じてへんねんから、何言うてたかなんか分かるわけないやろ」
「そうだったな。続けろ」
「こいつが袋指差して近づいてきた。俺が袋見た瞬間、いきなり手ぇ伸ばして袋掴みに来たから手首掴んだ」
田中は剣の男を指差す。
「そしたらこいつが剣抜いた」
次に槍の男。
「こいつは槍で腹突いてきた」
最後に弓の男。
「こいつは矢つがえて俺に弓向けた」
兵士が3人を見る。
「間違いないか?」
「嘘だ! こいつが先に襲った!」
「俺は最初スコップ地面に置いて両手まで見せたぞ」
田中は呆れたように言った。
「言葉通じへんから敵意ないって伝えようとしてな。それからスコップしまった途端にこれや」
「こいつが俺たちの袋を盗んだから取り返そうとしたんだ!」
「俺の袋や」
「俺たちの物だ!」
「ほな聞くけど」
田中は3人を見る。
「お前らの袋なんやろ? 中に何入っとった?」
「……何?」
「自分の収納袋なら中身ぐらい分かるやろ」
3人が黙った。田中は兵士を見る。
「さっき俺、この袋から財布出して免許証見せたやろ」
「ああ」
「俺の財布も免許証も入っとる。スコップも入っとる。こいつらに会う前から全部入れとった」
兵士が3人を見る。
「お前たちの物だというなら、中に何が入っている?」
「それは……」
「こいつが中身を入れ替えたんだ!」
「いつやねん」
田中は呆れた。
「お前ら倒してから、俺そのままこの道歩いてここ来ただけやぞ」
「黙れ!」
「お前が黙れや」
「双方黙れ」
「はいはい」
兵士が大きく息を吐く。
「これは門前で決められる話ではない。全員、詰所で事情を聞く」
「ええで」
田中は即答した。
「こっちは別に困らん」
3人の表情が変わった。
「待て。俺たちは被害者だぞ!」
「だから事情を聞く」
「そいつを捕まえればいい!」
「お前たちの話だけで拘束できるか」
兵士の声が低くなる。それから3人の装備を見る。革鎧。胸当て。籠手。剣。槍。弓。そして、腫れ上がった3人の顔。
「確認するが、お前たちは3人とも武装していたんだな?」
「……ああ」
「相手の武器は?」
3人の視線が田中へ向く。
「……スコップだ」
兵士が田中を見る。
「スコップ?」
「せや」
田中は袋から鉄製のスコップを取り出した。
「これ」
兵士がしばらくスコップを見る。そして3人へ視線を戻した。
「3人で?」
「……」
「剣と槍と弓を持って?」
「……」
田中は吹き出しそうになるのを堪えた。
「そこ掘り下げたんなや」
「お前は黙っていろ」
「はい」
兵士は額を押さえた。田中は口元を押さえたまま、黙っておくことにした。
「とにかく全員、詰所へ来い」
「分かった」
田中はスコップを袋へ戻した。
「ギルド行く前に面倒増えたな」
兵士について歩き出す。後ろでは3人が小声で話していた。
「……どうする」
「黙ってろ」
「でも――」
田中の足が止まった。振り返る。
「今は聞こえとるで」
3人が揃って口を閉じた。田中は翻訳の魔道具を見る。
「ほんま便利やな、これ」
さっきまで何を言われても分からなかった相手の内緒話まで、今は筒抜けだった。3人と出会ってから、ここまで約40分。
異世界生活 2日目
MP 548/750
所持金 160,510円




