第7話:『アナーキー・ダンジョンの誘惑』
深夜二時、僕の部屋。
完全に冷めきっていたはずの、ニンニク醤油まみれのジャンクな唐揚げ。その最後の一つを胃袋に収め、冷たいサイダーで一気に流し込んだ。
喉を焼くような炭酸の刺激と、口内に残る濃厚な脂の余韻。
「……はぁ、生きてるって感じがするわ」
気がつけば、上品な標準語のメッキは跡形もなく剥がれ落ち、コテコテの関西弁が口をついて出ていた。
それを見て、健吾は満足そうにビールの空き缶を揺らし、ワイルドな無精髭を撫でる。
「せやろ! 男の魂に火ぃつけるんは、おかんたちのオーガニックなスープやない。こういう体に悪くて美味いもんや!」
「それは認めるけど……パパ。さっきから言ってる『アナーキー・ダンジョン』って、本当に安全なの? というか、ただパパがそこに行って遊びたいだけなんじゃないの?」
僕はベッドの端に腰掛け、ジト目で父親を見つめた。
健吾は「何を言うてんねん!」と大げさに両手を広げてみせる。
「心外やな! 俺は実の息子の将来を心配して、男としての自立を促しとるんやぞ! ええか央太。お前が今日受け取ったゴールド生殖カードはな、いわば国からの『お前は種馬として生きろ』ちゅう命令書や」
健吾の言葉は、下品だが的を射ていた。
この世界で、男は希少価値の高い「資源」だ。18歳になった瞬間から、国営センターへの定期的な提供を義務付けられ、周囲からは「早く結婚して子供をたくさん作りなさい」と急かされる。
そこに、男個人の「意思」や「本気の恋愛」が挟まる余地は、驚くほど少ない。
「パパの言う『アナーキー・ダンジョン』って、電波も届かない立ち入り禁止区域でしょ? そんなところに潜って、お母様たちに見つかったら本当にただじゃ済まないよ」
「だから今がチャンスなんや!」
健吾は僕に顔を近づけ、声を潜めながら熱っぽく囁く。
「あのダンジョンはな、国に管理されてへんからスマホの電波が一切届かん。ちゅうことは、国営アプリのGPS監視も、生殖センターからの『早く出しに来い』ちゅうアラートも全部無視できるんや。おまけに……」
健吾はにやりと、いつものチャラい笑みを浮かべた。
「野生の、自立した美女冒険者たちが、まだ見ぬ強い男を求めて命がけで迷宮を這い回っとる。不倫が罪にならんこの世界やぞ? おかんたちの目の届かんところで、お前を心から求めてくれる運命の女と出会う。これ以上の男のロマンがどこにあるちゅうねん!」
「……やっぱり、パパが新しい女の子と遊びたいだけじゃん」
僕は呆れて、綺麗な標準語に戻って突っ込みを入れそうになった。
志乃お母様という絶対の女帝がいながら、薫子ママ、エレナママという第二、第三の夫人を娶り、それでもまだダンジョンでナンパを企む。この男の腰の軽さは、ある意味で尊敬に値するが、息子としては非常に軽蔑すべき対象だ。
「でも……」
僕は、学習机の上に置かれた3枚の誓約書を見つめた。
お母様たちがそれぞれのコネで持ってきた、美しく、優秀な少女たちの写真。
彼女たちと結婚すれば、僕は一生を豪華なカゴの中で、贅沢に、お姫様のように守られて暮らすことができるだろう。働かずに、愛玩動物のように生きていける。
「僕は、お人形になりたいわけじゃない」
ぽつりと、僕の口から言葉が漏れた。
実母である志乃と同じ、エメラルドグリーンの瞳。その奥に、初めて「波多野央太」という一人の男としての、本当の自我が灯る。
「誰かに用意された完璧な未来なんて、ちっとも面白くないです。僕は、自分の足でダンジョンを歩いて、自分の魔術で戦って……一人の冒険者として、誰かと出会いたい。パパみたいな最低なチャラ男にはなりたくないけど、カゴの中の鳥で終わるのも、絶対に嫌だ」
じっと健吾の三白眼を見据えて、僕ははっきりと告げた。
健吾は少しだけ目を見張り、それから、今まで見たことがないほど優しく、誇らしげな笑顔を見せた。
「……せや。お前は志乃の遺伝子を100%受け継いどる。ハニーブロンドの髪も、その綺麗な瞳も、そっくりや。けどな、魂までおかんのイエスマンになる必要はない。男なら、自分の道は自分で決めて、自分の力で掴み取れ」
健吾はそう言うと、背中の大剣「バルムンク」の柄をポンと叩いた。
「よし! アナーキー・ダンジョンへ家出や! お前が一人の男として羽ばたくための、実践授業の始まりやぞ、央太!」
「うん……行く。パパ、僕をダンジョンへ連れていって!」
深夜二時十五分。
油まみれの唐揚げの香りが残る部屋で、僕たちはしっかりと拳を合わせ、暗黒の夜闇へ飛び出す準備を始めた。




