第4話:『不倫無罪のパラダイス地獄』
「……いいですか、皆さん。波多野君をよく見ておきなさい。彼こそが、我が国の未来を担う尊き『生命の楔』なのですから」
教壇に立つ女性教師の言葉に、僕は居心地の悪さで背筋を縮めた。
ここは、僕が通う共立の高等部。
一応は共学という体裁を取っているものの、教室内を見渡せば一目瞭然だった。
三十人ほどのクラスの中で、男子生徒は僕を含めてわずか三人。残りの九割は女子生徒だ。そして今、クラス中の女子生徒たちのエメラルドグリーン、あるいは黒や茶色の双眸が、一斉に僕に注がれている。
その視線は「憧れ」などという生易しいものではない。まるで、最高級の獲物を見つけた熟練の猟師が放つ、ギラギラとした執念に近い熱を帯びていた。
「本日の社会科のテーマは、法改正から二十五年が経過した『男性不貞行為免責特例法』――いわゆる、不倫免責制度についてです」
黒板に白墨で書かれたその文字に、僕は密かに心の中で盛大なため息をついた。
2026年の出生比率ショック以降、極端な人口減少を防ぐため、国家は数々の超法規的措置をとった。その最たるものが一夫多妻制の合法化、そして『男性側に対する不貞行為(不倫)の免責』である。
男性が複数の女性と関係を持つことは、法的にも、道徳的にも「国家の維持貢献」と言い訳できる社会。
それが、僕たちの生きる現代のルールだ。
(本音:不倫無罪とか、男のパラダイスやんけって思うやろ? 街を歩けば女の子に囲まれて、チヤホヤされる極楽社会やって。……大間違いや。そんな法律、我が家のハニーブロンドの絶対女帝の前じゃ、ただの紙屑以下なんやからな……)
放課後。
おびただしい数の女子生徒たちから「波多野君、一緒に帰りませんか?」「良かったらこのお弁当、食べてください!」という猛攻を、これまた志乃に徹底的に叩き込まれた完璧にエレガントな標準語と笑顔で受け流し、なんとか自宅へと帰還した。
「ただいま戻りました、お母様方」
玄関を開け、気品ある標準語で声をかける。
だが、リビングに足を踏み入れた瞬間、凄まじい密度のプレッシャーが僕の肌を刺した。
バチバチと、リビングの空間が目に見えて歪んでいる。
その歪みの中心にいるのは、僕の実母であり、波多野家の第一夫人・志乃だった。
志乃は眩いばかりのハニーブロンドの長い髪を美しくハーフアップにまとめ、エメラルドグリーンの鋭い双眸を冷たく細めている。その黄金のスタッフから放たれるのは、圧倒的な魔圧。同じハニーブロンドの親子でありながら、僕が持つ魔力など児戯に等しいと思えるほど、彼女の魔力の絶対的密度はケタ違いだ。
そして、その志乃の足元。
リビングの床が重力魔法でまたしても十センチほど陥没しており、そこに張り付くように健吾が這いつくばっていた。
「し、志乃ぉ……! 重い、マジで骨が軋んどる……! 法律的にも、男の不倫は無罪やんけ! 俺がギルドの受付嬢とちょっと握手して『今度メシ行こや』って言うただけで、なんで背骨折られなあかんのや!」
健吾がフローリングに顔を押し付けられながら、コテコテの関西弁で悲痛な叫びを上げている。
「健吾。何度言えばその足りない脳みそに理解できるのかしら」
志乃は冷徹に、感情を一切乗せない美しい標準語で言い放った。
手にした黄金の結晶スタッフを、健吾の頭上へ向ける。
「国家の歪んだ法律があなたを許したとしても、この私が許さないと言っているの。私の目の届く場所で他の女の手を握った。それだけで、あなたの背骨の二、三本をへし折る理由としては十分よ。それとも、第二夫人の薫子に『一週間ベッドから起き上がれなくなる毒薬』でも処方してもらう?」
キッチンから薫子ママが、はんなりとした笑顔で「あらあら、私特製のシビレ薬でしたら、いつでも用意できてますえ〜」と小瓶をシャッフルしている。
さらにソファに座っていたエレナママが、「ウチの旦那が若い女とよろしくやってるとか、ギルドの面目丸潰れだし。健吾、罰金十万ね。今月の財布は没収〜!」と健吾の革財布を指先で回していた。
「ぎえええ! 薫子のしびれ薬はアカン! エレナ、俺の財布だけは返してぇな!」
床に潰されながら絶叫する父親。
「お母様方、ただいま戻りました。本日も、我が家は大変平和に機能しているようで何よりです」
僕は姿勢を正し、完璧な笑みを浮かべてそう言った。
(本音:ほらみろ! 法律がどれだけ男に都合よくできてても、我が家のヒエラルキーじゃパパは完全に犬以下や! 複数婚なんてしたら、毎日お母様たちの間で板挟みになって、少しでも浮ついた瞬間に物理的・精神的に消される。僕は絶対にパパのようにはならない。一人の人と、静かに、対等な愛を育むんや……!)
這いつくばる父親の哀れな姿を見つめながら、僕はエメラルドグリーンの瞳の奥で、カゴの鳥からの脱走への決意をさらに固く燃え上がらせるのだった。




